ある休日の朝③
「おっはよぉ~!」
――目を覆って天を仰いだ。
もう見なくてもゼタさんの反応が予想できる。今からここは地獄になるんだ……。
でもワタシはネット世代の現代っ子なので、どんな情報も自分の目と耳で判断することの重要性を知っている訳ですよ。ほら、フェイクニュースとかって怖いじゃん?
だからこれは必要なことで、致し方ないことなんだよ。
(チラッ)
指の隙間から覗いたゼタさんは、丸太に頭を押しつけたまま目を丸く見開いて固まっていた。
ワタシたちのことをジッと見つめてくる瞳から意志を感じられない。
きっと頭の中が真っ白になって、まともな思考ができてないんだろうなぁ。
「んふふ~。おはよ~、ゼタ。朝からお盛んだねぇ~、あぁ~んな声出しちゃってぇ。『お姉ぇちゃん、お姉ぇちゃん』ってぇ~、そんな私が恋しかった?
いいんだよぉ? 昔みたいに私が角研ぎしてあげても~。でも、昔みたいに膝の上でっていうのはさすがに難しいから、うつ伏せで膝枕かなぁ……どうするぅ?」
――リィル選手、渾身の煽り!
歴戦の風格を感じさせる佇まい。眉の寄せ方から口角の上げ具合まで、完璧に計算し尽くした顔ですね。効果音的には『にゅっふぅ』って感じ。
特に理由もない不法侵入から唐突に煽られるゼタさん、金髪じゃないのにかわいそう……。
さすがのゼタさんもこれには黙ってないだろう。
「……きっ」
「きぃ?」
「きゃぁあぁあああッ!!!」
まさに布を切り裂くような悲鳴、ありがとうございます。
乙女チックな悲鳴を上げながらペタンと尻もちをついたゼタさんは、ワタワタ後退りしながら一番近くにあった丸太のカーテンの裏に隠れた。
カーテンがプルプル揺れてる。中を見なくても分かる……受け入れ難いよね、現実って。
「んふふ、んふふ、んっふっふ~」
絶妙に人を苛立たせる鼻歌と笑いをわざとらしく聞かせながら、リィルがスキップで近づいていく。
必然、リィルに抱えられているワタシも一緒になって近づいていくのは、長いものは巻かれざるを得ない、弱者に優しくない社会の縮図を示しているよね。
(大丈夫、ワタシはゼタさんの味方ですよ)
現実を覆い隠そうとしてできていないカーテンに指の隙間から優しい視線を向けた。
――でも、リアルさんはいつだって非常なんだ……。
「ゼ~タッ!」
「ひゃぁッ!?」
(楽しそうだね、リィル)
シャァッと軽快な音を立てて、無情にもカーテンが開かれる。現実を覆い隠すにはカーテンの柄がちょっとメルヘン過ぎたんだろうな。
現実の厳しさに晒されてしまったカーテンの向こうでは、ヒシッとリィル人形を胸に抱えたゼタさんが腰を抜かし涙目でこちらを見上げていた。
怯え切ったゼタさんを、影を背負ったリィルが見下ろす。その顔には今まで以上に深い笑みが浮かんでいた……ホラー以外の何物でもないな。
「お・は・よッ!」
「め、めぇええ!?」
山羊成分いただきました。
鳴き声のような悲鳴を上げながら、ゼタさんはリィルからカーテンを奪い返した。
再び閉じられたカーテンの隙間からゼタさんは頭だけをひょこっと出して、受け入れがたい目の前の現実に口を震わせた。
「なななんで姉さんとイディちゃんがここにッ!?」
「えぇ~。ゼタが呼んだんでしょう? お姉ぇちゃ~ん、って。んふふ~」
「そそそれはぁ!」
「それは~?」
「ふんぐぅむむぅ!?」
あーダメダメ、可愛すぎます。一切非がないのにリィルに押し負けて涙目になってるゼタさんとか。
ちょっとぉ、リィルに勝手に餌をあげないでください。喜んじゃうでしょ?
案の定、リィルは一層笑みをいやらしくにゅふらせならがら顔を近づける。
混乱し切ったゼタさんはぐる目に涙を一杯に溜めていて、見るからにジューシーなビジュアル。これにはリィルも辛抱たまらないようで、ゴクッと生唾を飲んで舌なめずりをした。
「そ、そもそもッ! どうやって入って来たんですかぁ!? 毎日、戸締りはしてるし、昨日だってちゃんと確認してからお布団に入ったもん!」
リィルの様子に身の危険を感じとったゼタさんは、幼児退行しながら距離を取ろうと後退りしたが、背後には丸太があってそれ以上は下がれない。
――やっぱり部屋の中に丸太は無理があったんだよ。
ついに……いや初めっから追い詰められてたな。
とにかくゼタさんに後はない。ここで引いたら負ける……だったら攻めるしかない。こんな横暴を許しちゃいけないんだ!
(頑張ってゼタさん! ワタシを解放してッ!!)
指の隙間から控えめなエールを乗せて視線を送ってみたけど、逆に救いを求める視線を返されてしまった。そりゃあそうですよね……。
「え~、ちゃんと玄関から入ってきたよぉ?」
「だ、だから、どうやって鍵をッ!?」
今にも濁声を上げながら泣き出しそうにしているゼタさんの目の前に、リィルが懐から取り出した合鍵がぶら下げられる。
自分しか持っていないはずの鍵をなぜリィルが持っているのか。当然、理解なんてできるはずもなく、余計に混乱したゼタさんは現実を拒絶するみたいにイヤイヤと首を横に振った。
でも、そんなことでリアルさんから逃げられるなら苦労しないんだよなぁ。
まだ青い後輩を見ている気分でゼタさんに向かって憐憫の目を向けてあげた。
「んっふっふ~。ちゃあんと大家さんにお願いして、合鍵を用意してもらったんだよ。さすがの私もどっか壊して侵入なんてことはしないよぉ。んふふ、どう? 偉いでしょ~」
何も自慢できるところがないのに自信満々で言い切れるのがリィルの凄いところだよね。
ほら、ゼタさんも開いた口が塞がらなくなっちゃてるじゃないですか。
そりゃあ普通に考えたら大家さんに凸するとかあり得ないもんね。そもそも、まず他人の家に侵入を試みること自体、普通しないんですけど。
固まっていたゼタさんがスッと俯いた。執拗に突きつけられる理不尽な現実に、思わず目を反らしたみたいだった。
「……いざ……さい」
「んん? なになにぃ、何かなぁ?」
(察して……言葉にならないだって!)
どんな言葉を使おうと、どれだけ言葉を並べようと、この気持ちを伝え切れない。
十代の切ない恋心にも通じるポエムを量産できそうな激情が、ゼタさんの中で渦巻いてる。
もう渦巻きすぎて、十年ぐらい使い続けた歴戦の洗濯機並みに震えてますもんね。
――まぁ、それもすぐに決壊するのは目に見えてますけど……。
顔を寄せてなおも煽ろうとしているリィルの前で、ゼタさんの震えがピタッと止まった。
これから何が起ころうとしているのか分からないリィルではないだろうに、それでもなお抉るように覗き込んでいくのはさすがのプロ意識。
(なんならちょっとワクワクしてません?)
全く隠そうとされないにやけ面からも、そんな気がしてならない。
(でも、ゼタさんだってやられっ放しじゃない。そうでしょう?)
そう心の中で語りかけた瞬間。リィルのふざけた顔面を吹き飛ばすような勢いで、ゼタさんの頭がグワッと振り上げられた。
「そこに正座しなさぁいッ!!!」
ダンッと床を踏み鳴らし、ゼタさんが立ち上がってガイナ立ちに構える。
背後から気炎が上がっているのが見えるほどの凄み。今の状態でアーセムに登ったら、鳥も獣も虫も、軒並み裸足で逃げ出すでしょうね。
――組んだ腕にリィル人形が挟まれてなかったらなぁ!
駄目だよゼタさん、台無しだよ。もうそれだけで迫力も何もあったもんじゃないよ。まぁ、こんなにメルヘン&ファンシーに囲まれながらじゃあ元々無理な話ですけどね。
フーッフーッ荒く吹き出される鼻息からも、ゼタさんの激昂指数が相当荒ぶっているのが分かるけど、それを直接向けられているリィルはまるで堪えてなかった。
まぁ、自分の人形を抱えた人に涙目で怒られても……ねぇ?
ワタシの内心に呼応するようにリィルは「んふっ」と鼻で笑ってさらに詰め寄った。
「え~。私に正座させてぇ、何をしようっていうのかなぁ? ゼタぁ」
「そんなことッ! もちろんお説教を」
「んふぅん~? もしかしてぇ……本当に角研ぎしてもらいたくなちゃった?」
「違いますぅ!!!」
またゼタさんの悲鳴が上がった。
もう、勝敗は決まりましたね……。
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