ある休日の朝②


 どんなにいい話風にまとめようったってそうはならんからな。


「ん、んぅ」


 ゼタさんから微かな吐息が聞こえてきた。


「起きたみたいですよ! もういいでしょ、離脱しましょう!」


「何言ってるのイディちゃん。ここからおもしろいんじゃない!」


 ワタシたちが小声でごちゃごちゃ言い合っている内に、クッションベッドの上でゼタさんがもぞもぞ動き出した。何回か寝返りを打った後、かすかに目が開けられる。


 まだ眠たそうな目のまま、ゆっくりと上半身を起こしたゼタさんは、数秒の間ボーッと宙を見つめたまま固まった。どうやら、そんなに寝起きがいい方じゃないらしい。


 ワタシが緊張に身を固くして、リィルが興奮に鼻息を荒くして覗いている目の前で、ゼタさんは手に抱えているリィル人形を目の高さに持ってくると、へにゃっと表情を崩した。


「おはよぉ~、お姉ぇちゃん」


 そのまま人形のお腹に顔を擦りつけだした。


 緩み切った笑顔ですぴすぴ鼻を鳴らして匂いを嗅いでいる。見るからに他人ひとに見せられない顔になっているゼタさんだったけど、まことに残念ながらバッチリ拝ませてもらった。


「んふっ、んふふ~! 自分の妹のことながら本当に可愛いなぁもうッ!」


「いや、可愛らしいのは認めますけど、これ以上いたら本当に見つかりますよ」


「その時は一緒に怒られようね」


「いつの間にワタシも加害者になったんですかねッ!?」


(ホント心外だからやめて?)


 恨めしく睨んでいるワタシの視線なんて、リィルはそよ風ほどにも感じていない様子でゼタさんのことを眺め続けてる。いやらしく半開きになった口元からは、今にも涎が溢れてきそうだった。


「まあ、大丈夫だよ。ゼタってば昔っから家の中にいると気が抜け切っちゃうから。それに朝も弱いんだよねぇ。その分、外にいる時は気を張ってるんだけど」


「そうは言っても、ドア一枚隔てただけ場所でこれだけ騒いでるんですから、さすがのゼタさんでも……気づいてないですね」


「でしょ?」


 いくら声を潜めてるとはいっても、それなりにうるさくしていたと思うんだけど、ゼタさんにこちらを気にする様子もなく、まだ眠気の残る足取りで立ち上がって目を擦りながら部屋の一角にゆったりと歩いていった。


 そこには天井から床すれすれまで伸びる大きなカーテンで仕切りが作られていて、何かを覆い隠しているように見えた。


「あれ、なんですか?」


「んふふ~。あれはねぇ……」


 リィルがもったいぶって言葉を溜めてるうちに、ゼタさんはおもむろにカーテンに手を伸ばし、シャァッと軽やかな音を立ててカーテンを開け放った。


「……丸太まるた?」


 それはどう見ても丸太だった。


 天井と床を繋ぐ支柱みたいに、武骨な丸太が部屋の片隅に鎮座している。ファンシーな部屋の中でそれだけが異様に浮いていた。


「…………んん?」


 思わず、目をきつく閉じながら目頭を押さえて唸った。どれだけ考えても丸太が室内にある理由は分からない。


 どういうことだよ、部屋に丸太って。気になるあの子を家に誘うときにでも使うのか?


 ――家さぁ、いい丸太あんだけど……見に来る?


 ……無理があるよ。いや、実際にそんな誘い文句垂れ流されたら、怖いもの見たさにホイホイついて行く気がするけど……いや、やっぱりないな。


 しかも、丸太にまでレースフリルのリボンとか。どれだけ可愛く飾っても丸太は丸太だから。世が世なら吸血鬼との戦闘で絶大な威力誇る決戦兵器ですからね、それ。


「なんで部屋の中に丸太が……?」


「ゼタはパーンヌス、角持ちの獣人だからね。角研ぎに必要なんだよ」


「角研ぎ?」


「そっ。ほら」


 リィルに促されて視線を戻すと、ゼタさんは角を覆っていたナイトキャップみたいなものを外し、人形を抱えたまま頭の御立派様を丸太に擦りつけ始めた。


 ゴッゴッ、ザリザリと思いのほか硬そうな音を響かせながら、胸に抱えたままのリィル人形に鼻を埋めて心地良さそうに目を細めている。


 丸谷に向かって頭を突き出している姿は、なんだか主人に撫でて欲しくて頭を押しつけて甘えてくる飼い犬みたいな可愛さがあった。


 ……今の姿を見られることなんて、まったく考えていないんだろうなぁ。


 まぁ、誰しも他人の目を気にしないで過ごせる時間っていうのは必要だからね。一人でいる時にはっちゃけるのは分かる。ワタシも昔はねぇ……。


 ワタシが感慨深く幼き日を振り返っていると、ゼタさんの口から何やら吐息らしきものが漏れ聞こえてきた。


「んっ。ぅん、あッ! はぁ、んん! ふぅ……」


「……なんか卑猥ッ!」


「ね~。ちょっとエッチな感じだよね」


 いやいや「ね~」じゃないよ、そんな呑気なこと言っとる場合ですかッ! これってアレですよね、今更だけどやっぱり見ちゃいけないヤツですよねッ!?


 ああもうッ! 中学生の息子の部屋のドアがちょっとだけ開いてて、好奇心に巻けて覗いたら○ナニーの真っ最中だったみたいな状況だよぉ!


 居た堪れなさに尻尾のつけ根がゾワゾワして、ワタシの不安定な精神状態を表わすみたいにゆらゆらするのが止めれなかった。


「な、なんであんな、あ、あられもない声を出してるんですかね?」


「んー、なんか角研ぎって気持ちいらしいよ? 私には角がないから、なんてたとえればいいか分かんなけど。うーん……、耳かきをしてもらう感じ? かな……あッ! イディちゃんだったらナデナデしてもらうとか、ブラッシングをしてもらう感じ、って言えば分かる?」


「な、なるほど……」


 納得したくないけど、納得せざるを得ない。確かにあれは気持ちいい。


 なんというか、理性を溶かす本能的な快楽が全身を駆け巡る感じがするからね。思わず声も出ちゃうし、抗えないのも分かる。


「懐かしいなぁ。一緒に住んでた頃は、私が角研ぎやってあげたんだよ」


「他人にやってもらう場合もあるんですか?」


「うん。まぁ、よっぽど親しい間柄の場合だけどね。普通は私とゼタみたいに家族間で、母親が子供にとか、年の離れた年上の子が年下の子にやってあげるくらいじゃないかな。後はラブラブなカップルとか夫婦とか」


 なるほどね。まぁ確かに角持ちの獣人にとって、角って一番身近でどんな兵器よりも信頼を置ける武器みたいなもんだろうしな。


 それを他人に触らせるには、ある程度以上の親密さがあるのは大前提なんだろうな。つまり、親しくもない他人の角を触るっていうのは失礼になるってことかな?


 まぁ、そこら辺は後で聞いてみよう。そんなことより今は、どうやったらこのリィルのホールドから抜け出せるかですよ。


 小さめのハンドバックでも持ってるみたいに、気安く小脇に抱えてくれちゃってますけど……ワタシ、そんな軽い女じゃないですからッ!


 どっちかって言うと重いんですよ、ホントホント。ほら、今この瞬間もゼタさんに見つかった時のことを考えると、気がどんどん重くなっていくんです。


(――こんな重い女、リィルも嫌でしょ?)


 …………嬉々として抱き着いてくるのしか思い浮かばないってすげぇな。


 ふふふ。これは、諦め時ってヤツですかね……。


 静かに確定した自分の未来を、涙と一緒に飲み込むワタシのことなんて気にした様子もなく、リィルは冷めることなく、むしろボルテージを上げて続けた。


「徒人族でいうと母親に歯を磨いてもらう感じかな? こう、小っちゃな棍棒みたいな専用の道具を使ってね、コリコリ~って。やり始めるとさ、目をトロ~ンとさせて、うっとりして、くた~ってなっちゃうんだ。

 ホント、あの時のゼタの可愛さといったらもぉ……!

 んふーッ! たまらないんだぁ!」


 たまらないのは鼻息の荒さと握り拳の力強さで言われんでも分かりましたよ。


 顔の脇でブォンブォン振られる拳から顔を遠ざけながら返した。


「でもそれって、つまり普通は他人に見せるようなものじゃないってことですよね?」


「そりゃあね。今のゼタくらいの年齢になったら親にも見せないんじゃないかな」


「……それをワタシたちは覗いていると」


「うん」


「駄目じゃんッ! 何が駄目なのか分かんないくらい駄目じゃんッ!! すぐに離脱しましょう! このままゼタさんに見つかったら、ゼタさんが羞恥のあまり悶死しますよ!?」


 このままじゃあゼタさんが、○ナニーしてるのを見つかった男子中学生みたいな有様になってしまうッ!


 必死の形相で訴えるワタシに、リィルは悟りでもひらいたみたいに、優しさの滲む微笑みを浮かべた。


「――イディちゃん。私はね……ゼタの恥ずかしがる姿が見たいんだよぉ!」


「止めろぉ!!!」


 ――制止の言葉が届くはずもなく。


 リィルは叫ぶのと同時に勢いよく、部屋のドアを開け放っていた。

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