92 えっ? おまえ、膝にエンジン積んでないの?


 見せつけるように笑みを浮かべてから、そのままくるっとリィルに背を向けた。リィルから見れば、どこまでも不敵に、さぞかし自信に溢れた姿に見えたに違いない……言っていることはさて置き。


(ふふっ、決まった! ワタシ世紀一の格好良さだった! これならリィルも惚れ……? そもそも惚れてるとかそういう関係じゃないような……。

 ま、まぁそれもさておき、これなら戻ってきたときに頼る先がありませんってことは避けられるだけじゃなくて、少しはワタシのことを見直しただろ!

 ふふん、自分の才能が恐ろしいですねぇ!)


「……イディちゃん」


「ふっ、何かな? リィル」


 肩越しに視線でだけで振り返えると、眉根にシワを寄せながら、申し訳なさそうに顔を背けているリィルがいた。


 そんな心配そうな瞳をしなくても大丈夫ですよ。ワタシの身を案じてくれるのは嬉しいけど、結局の所、ワタシが行かないと収拾がつかないみたいだし。


 クイーンさんも行きの安全は保証するって言ってくれてる訳で、アーセムの上の……どなたかは存じませんけど、急に呼び出しておいて、いきなり襲いかかってくるようなことはないでしょう、きっと。


 それに、貰い物とはいえ、ワタシの能力はリィルとかの様子を見ている限り、一応、曲がり形にも、こちらの要望とはかけ離れていたとしても、発動そのものもしているみたいだしね。敵意を漲らせてってことはないでしょう。


(つまり、ワタシの安全は保証されているようなもの! これは勝ち確入ったでしょ!)


 なら、さんざん駄々捏ねていないでさっさと行けとか、そんなことを言ってはいけない。泣いちゃうからね、ワタシが。


(それでも、ここまでくれば覚悟も決まるってもんですよ! そうだよ、ワタシには待ってくれている人がいるんだ! 

 だから大丈夫。今ならワタシ、なんでもできる気がする! もう何も怖くない! だってワタシ、もう独りぼっちじゃない!)


 しかし、そんな今までにない幸せな気持ちに浸っているワタシを前にしているはずなのに、なぜリィルはもう直視に堪えないとでも言うように、身体を震わせながら唇を噛め閉めているんだろうか?


 もう今から血を吐きますってくらいに悲痛を全身で表現してくれるリィルは、ワタシの方に視線を向けないまま、実際に口の端から垂れた血を雫にして飛ばしながら、声を絞り出した。


「その、言いにくいんだけど、……尻尾、丸まってるよ」


 はは、何を言うかと思えば、そんなこと。


「ある訳……んん?」


 これはどういうことだろうか? いつの間にか尻尾が股ぐらを通り抜けて、腹の前にまで到達しているじゃあないですか!


 そんな馬鹿な、今のワタシを以てしても、駄目だていうのかッ!?


 ――いや、断じて否!


 そんなはずはない。だってワタシは確かに今、最高に調子づいてるんだから!


 もう何も怖くないワタシが、恐怖で尻尾を巻くはずないじゃないですか。


「こ、これは……そう! あまりあるやる気が先走って、尻尾が我先にと前に進もうとした結果なんだよ! 今宵のワタシの尻尾はちょっと血の気が多いのさッ!」


「そっか……。でも、膝。人族の可動域を超え気味にちょっとなんで立ってられているのか分かんないくらい震えてるよ?」


 ――お前もかブルータス


 そんなに血に飢えているというのか!?


 でも膝が血の気も多く、血を求めるって、なんかそれはもうムエタイでやれって話になるから落ち着きたまえよ。まだここはリング(ステージ)の上じゃあないんだぜ?


 ワタシたちは登り詰めていくのはこれからだ……アーセムの頂上っていう、最高のリング(ステージ)の上になぁ!


 だから、ちょっと静かにしません? ほら、リィルもこっちを見ないように必死になってるじゃん!


 これはあれだよ。このままいったら、あれだけ格好つけた分だけ締まらない姿に拍車が八気筒四〇〇〇馬力エンジンつきで回りに回って、犬と馬が合わさって最強に(情けなく)見えるってことになりますよ!?


 そうなったら今まで築き上げてきた、ここぞって時にはやってくれる奴ってイメージがうなりを上げて崩壊してしまう!


 そうなる前に何か布石を打たなければ!


 だから、つまり。これはそう!


「……ッ! きゅ、求愛! これは求愛だから!」


 ――……ん? 間違えたかな?


 何か自分で打った布石フラグにつまづいて盛大に転けている気がする……。


 い、いや、もう後戻りはできない! 突き進むしかないんだ!


 ――そう、車とバカは急には止まれないのさ……。


「え、なんて?」


「だから求愛行動ですよ! ワタシの見に収まりきらないパッションが、求愛行動として表に出てきちゃってるって訳ですよ。クッ!? 静まれワタシの両膝ぁ!」


 しかし、一度火エンジンがついてしまったブルータスがそうそう収まってくれるはずもなく、しかも震えてると気づいてしまったせいか、一層激しさを増しているような気もする。


「そっかぁ……求愛かぁ……」


「そうそう、求愛求愛。叫ばずにはいられないってワタシの膝が奮い立ってるだけですよ」


 苦しい、実に苦しい。だけど苦しいのは言い訳(おまえ)だけじゃないから、ワタシだってブルータスだって苦しいんだ。自分だけが特別だなんて思うなよ?


 ほら、リィルだってワタシの惨劇に耐えきれなくなって、今じゃ完全に背を向けて、口元を隠しながら身体をくの字に折り曲げて膝までついて震えてるじゃあないか。どうすんだよ、この状況。


「……ぅ、ふっ……くっ」


 ああ、なんてことだ。安心させたくて、無理して格好つけたっていうのに、これじゃあ余計に不安にさせてるだけじゃないか。


 あんな、声を押し殺して、顔まで見えないように覆い隠すだなんて……。きっとぐしゃぐしゃに涙に濡れてしまって、見せられるような状態じゃないんだ。


 そりゃあそうかもしれない。得体の知れないとはいえ、こんな幼女に重責を背負わせようって言うんだから。普通なら良心の呵責に胸が痛むだろう。


 しかも、リィルはワタシの能力で好感度が爆上げ中。そりゃあ心苦しいよね。


 ――……ごめんね、リィル。


「……ぷっ、くふっ、んっはっはっは!」


 ……ワッツ?


「ああ、もう駄目ぇ! ずるいよ、イディちゃん! こんな、真面目に、重要な話してるのに! そんな、急に笑わせにくるなんて、耐えられないよぉ!」


 これは、あれですか。つまりさっきまで震えていたのは、悲しみからじゃなくて腹の中で笑いが暴れ回っていたからで、声を押し殺していたのは泣き声じゃなくて笑い声を耐えていたからだと?


 つまり、そういうことなんですね?


 ――フッ


(計画通り!)


 そうですよ、湿っぽい別れなんていうのは趣味じゃあないんでね。こういう悲しみに溺れそうなときほど、笑ってさ。「またな」なんて明るく言って、軽い足取りで振り返らずに進むのが、粋ってもんだろう?


 つまり、そういうことなんですよ!


 だから、未だに震えが止まらないブルータスもわざとだから。尻尾が巻いてるのも意図してのことだから。


「ふふふ、ようやく笑ってくれたね」


 ――ワタシはさっきから笑いが止まらねぇけどな!


「んふふ、ホントに。あ~あ、イディちゃんには敵わないなぁ。これから大変になるのは自分だっていうのに、私の心配とか責任とか、全部吹き飛ばしちゃうんだもん。

 でも、そうだね。なんか、イディちゃんなら大丈夫かもって。そう、思えちゃんだよね」


 そうでしょうそうでしょ、そう思うでしょ? ワタシもそう思ってたんだ。だから、ブルータスは落ち着けよ。もう演技は必要ないんだぜ……。


「笑っちゃうほどゆるゆるで、力なんて入りそうにないぐらいいつも通りだけど。この方が私たちらしいかな?」


「そうだよ(自己暗示)」


「そっか……、そうだね。なら、笑って見送るよ。――いってらしゃい。イディちゃん。甘~いお菓子と可愛い服を準備して待ってるから!

 お夕飯までには帰ってくるんだよ?」


「まかせなぁ!」


 ワタシのブルータスは八気筒四〇〇〇馬力だぜ? 


 ――なんかさっきも似たやりとりしませんでした?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る