77 これがバブみってやつか……
――人生には岐路がある。
その時、どちらの道を選ぶかによって、その後の人生に花を添えるか、墓前に花を添えるか、同じ花なのになんでそんな悲しいことにってくらい変わってくる。
「さあ、イディちゃん! 思いっきりいっちゃって!」
まぁ、ワタシの場合、どっちの道を行っても棺桶への直通ルートしか用意されていないんですけどね。人生ハードモードすぎやしませんか?
リィルの真剣な眼差しに追い立てられるように、子供たちが寝ていた共同の寝室から持ってきた仕立てのいいドレスに目を落とす。
下を向くまでもなく気持ちは下がりきっているっていうのに、これ以上俯いていたら地面と恋しそうですよ。
(まぁ、これまでの人生で見つめ合い続けてきたワタシと
繰り返される土下座によって近づいた距離感は、貴方の顔を見つめてドキドキする機会を奪っていってしまったけど、その代わりに、そこにいるのが当たり前でホッとする時間をくれました。
いつだって貴方がそこにいて支えてくれるから、ワタシは何度現実に膝を屈してうずくまっても、または立ち上がることができたんだ。
――でも……、ごめんね。今度ばかりは駄目かもしれない。
女性の衣服の匂いを嗅げって、それ案件だから。ワタシを殺しにかかってますよね?
フリルとレースで飾られたドレスですよ? それに鼻を埋めて思いっ切り匂いを吸い込むのは犯罪だって授業で習ったでしょ。
ワタシは習った覚えはないけど、きっと最近の学校なら教えてる信じてる。
しかも女性ものってだけでもアウトなのに、それを着用してのが年端もいかない男の
しかし、ここで匂いを嗅ぐことを拒否すれば、子供が危機的な状況に陥っているかもしれないのに何もせずに見捨てるようなクズってことで、人間的にも殺しにかかってるからスリーアウトチェンジなんでそろそろ誰か代わってくれてもいいのよ?
「匂いをたどれば早く正確にオロアちゃんのことを追い駆けられるから、しっかり深く吟味するみたいに注意深く嗅いで! ほらほらイディちゃん、急いで!」
(なんでそんな人を追い込むのに躊躇がないんですかッ!?)
震える両手でドレスを握りしめたまま固まっているワタシを、リィルが背後から追い立てるように急かしてくる。
きっとリィルはオロアちゃんのことが心配で仕方ないんだよね。だから、少しでも早く行動を移して、一秒でも早くオロアちゃんも無事を確認したいんだよね。
ワタシのことを追い詰めて楽しんでいるように聞こえるのは、ただの被害妄想だよね信じてるからな!
(よし、いくぞ! 頑張れワタシ! ワタシならできる、できるできる、諦めなければ希望はなくならないんだ。
それにワタシは犬! 犬だからこの所業にはなんら意味はないんだ。ただ匂いを確認するだけだから。やましいことなんて一つもない。飼い犬が鼻先を飼い主にグリグリ押しつけてるそういうことだから! さあ! 今だッ! そこだッ! うぉおおお!! ……ふーっ)
――ちょっと落ち着いて考え直しません?
人間ってさ、それぞれ歩く速度が違うんだよね。ワタシにはワタシのペースってのがあるっていうかさ、そんな急かされてもできないっていうか。
親に「宿題やったの?」ってきかれると、今やろうとしてたのにってやる気が削がれるじゃないですか、人間ってそういうとこあるから。
「ごめんイディちゃん! 急いでるから!」
「ふがッ!?」
――そういうのは人間になってから語れよ、ってそいうことですね。
いつの間にか背後に迫っていたリィルによってドレスの中に顔を突っ込まされていた。
「はい。吸ってぇ~、吐いてぇ~。吸ってぇ~……、吐いてぇ~……」
「ふす~、ふは~。ふす~~っ! ふは~~っ!」
「どうイディちゃん?」
(――フルーティーッ!)
いや、そういうことを訊いてるんじゃないってのは分かってるんですけど、マジでフルーティーだわ。これが男と男の娘の違いなのか。
もしくは何かしらの香水でも使っているのか、それとも使ってる石鹸か、もしかしたらファンタジーの特有の体臭がそのままグッドスメルかもしれない。
いや、アーセムの果物を沢山食べているオールグの住人なら、一概に間違いとは言えない可能性があるからどうなんだろう。
なんにしても、オロアちゃん……結構なお点前でした。
「イディちゃん。オロアちゃんの匂い、覚えられた? 匂いをたどっていけそう?」
「ハッ! あ、えっと、おそらく? いや、だって他人の匂いをしっかり覚えられるぐらいに嗅ぐなんて今までしたことないし。ましてや、それを元に匂いをたどっていくなんてやろうとしたこともないから。
どうやればできるのかもちょっと分からない……」
「可能性があるだけでも十分だよ。とりあえず寝室の前からたどってみようか」
「分かった」
リィルと頷き合いながら、二階にある子供たち共同の寝室の前まで移動する。
さっきまでそこで寝ていた子供たちは、ウーちゃんに口止めをしたうえで、お菓子でつって食堂にまとめてもらい、勝手な行動を取られないようにシュシュルカさんに監視してもらっている。
不測の事態はなるべく起こらないように事前に不安要素を潰しておこうって話だけど、すでに現状が不測の事態だから今更感が否めない。
それはそれとして、起こったことはしょうがないから、これからですよ。とりあえず、オロアちゃんが無茶なことをしてくれていないように祈っておこう。
木造の床を軋ませながら階段を上り、可愛らしい装飾のされたドアの前で立ち止まった。
固い表情のまま目配せをしてくるリィルから、ワタシにも緊張が伝播してきて、知らず知らずのうちに息を飲んでいた。
元の世界でまことしやかにその存在が語られていた、ペロリストと並ぶクンカーならば、この状況でも喜々としてクンカクンカするんだろうけど、ワタシはそんな特殊免許も危険物取り扱い資格も持っていないので、ただただ気が重くなるばかりだ。
とりあえず、一旦落ち着こう。
こういう時は深呼吸だって、偉い人が言ってましたもん。
「ふぅ~……。すぅ~、はぁ~。うん、……うん」
――分っかんねっ!
いやいや、諦めるが早いぞワタシ。
とはいっても、マジで分かんねぇぞコレ。どうすればいいんだ。
人の匂いに、木っぽいのとか油らしきものとか土のとか、もう色んな匂いが混ざっていてどれがどれだか分からない。
確かにオロアちゃんらしき匂いもするのだが、そこに他の子供たちの匂いも混ざってしまって、一つの塊みたいな匂いにしかなってない。
もしかしたら一緒に寝ていたっていうことと、オロアちゃんがガル君の洋服を着ていったていうのも、匂いが混ざってるように感じる原因かもしれない。
「……無理かな。イディちゃん」
「オロアちゃんの匂いが他の子たちの匂いと混ざってしまって、なんか人族の匂いって感じにしか分からない。
う~ん。もっと、こう。なんというのか……。
これは他じゃ嗅いだことないなっていうくらい特徴的で、かつワタシが嗅いだことのある強い匂いが分かれば……、うん? コレって……」
目をつぶりながら鼻をスンスン鳴らしてみていると、人の匂いとは明らかに違う匂いが鼻をかすめた。
力強くありながら、どこまでも安心できる、なんだか嗅いでいるだけで眠ってしまいそうな、そんな匂い。
知っている、ワタシはコレを知っている。
そこは誰もが息をつき、力を抜いて、ぬくい湯船で揺れるように、
そうだ。
これは――
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