76 これがワタシの対応ってヤツさ……

「たいへ~ん! たいへ~ん!」


 いや、大変なのは今この瞬間をもって粉々に砕かれたこの部屋の空気だから。


 突如として開け放たれたドアと共に怒涛の勢いで吹き込んできた声に、先程までの慈愛に満ちた雰囲気は、石を投げられた教会のステンドグラスよろしく、無残にも塵へと還っていった。


 本当にハプニングさんはパワー系なんだから、もうちょっと加減を覚えてもらわないと。見てくださいよ、この惨状を。割れたステンドグラスの破片の中に聖母の微笑みがあるとか、痛ましさしか浮かんでこないから、戦争ってこういうことから始まるんですよ?


 しかしそんなことを気にしている余裕なんてないようで、走り込んできたウーちゃんはドアに手を着きながら肩で息をして、どうにか切れ切れになる吐息の間に喘ぐような言葉をねじ込みながら吐き出した。


「あのね~、起きたら、ね~。オロアちゃんが~、お洋服だけ、残して、どこにもいないの~!」


「なッ! そ、それは本当ですか!? ウーちゃん!」


「うん~」


 間延びした声の中に真剣な色をにじませたウーちゃんが、膝をついて視線を合わせたゼタさんをまっすぐ見返しながら頷いて返した。


「まさか……、あり得ない。オロアがドレスを脱ぐだなんて!」


 むしろ驚いているゼタさんに驚きを隠せないわ。


 普通ドレスは脱ぐだろう。脱がなきゃ可笑しいだろう。むしろオロアちゃんの場合は着ていることに違和感がないことが可笑しいから。


 なんでそんな、敗れる筈のないいにしえの封印が目の前で破られたみたいなリアクション取ってるんですか。どっちかっていうとアクションを取らなくちゃならないのは、着ている服を脱いだ状態で家の中にいないっていう事実に対してだろう。


(あの子がストリートでキングとして上り詰めて昇天してしまってもいいんですかッ!?)


「それでね~、ガルのお洋服が~、一組なくなってるの~!」


 ウーちゃんの言葉に、ゼタさんは今度こそ言葉をなくし、腰が抜けてしまったみたいに尻もちをついて呆けてしまった。


 しかし、それも仕方ないことだろう。


 なにせ、自分の妹のような弟であるかもしれない妹分が、自らアイデンティティを投げ捨てたと、そう知らせを受けたのだから。


 ショック度でいうと、タイに戦争に行った幼馴染の恋人を、故郷に独り残って一日千秋の思いで指折り待っていたところに、帰還した恋人の親友から「すまない……。あいつを、連れて帰ってきて、やれなかったッ!」と涙ながらに言われて、たった一つ、差し出された写真には、クッソ美女になった恋人の姿を見た時に匹敵するに違いない。


(お前はッ! ……お前は、本当にそれで良かったのか……?)


「……ねぇ、ゼタ。私、なんかすっごい嫌な予感がするんだけど」


 良くないのは火を見るより明らか、そしてワタシの内心がこの空気に不釣り合いなのも明らか。


 これは早くも奴の復活が噂になっちゃてるってやつじゃあないですかね?


「……姉さんもですか。私も、私もすごく嫌な想像が、頭を離れないんです」


(ワタシも嫌な予感がバリバリに湧き上がってきてますよ。いや、コレは予感じゃない……、確信だねッ!)


 アーセリアさんたちと共に去ったとばかり思っていたけど、早々にハプニングさんとタッグを組んで帰ってきて来ていたらしい。――そうッ! 奴が帰ってきた!


「この部屋は先程まで、アーセリア様のおつきの方と団長によって、防音と侵入阻害の術がかけられ、半隔離に近い状態だった。確実に、それは作動していました。

 でも、もしも何かの手違いで。あり得ない、あり得ない筈ですが、オロアが私たちの話を聞いてしまっていたとしたら……」


「オロアちゃんなら、根が優しくて、面倒見のいいあの子なら……。なんとかしようとする、動かずにはいられないと思う」


 それまで、泣き崩れたまま座り込んでいたシュシュルカさんも、沈黙の中でようやくとてつもなく大きな事態が動いていることに思い至り、項垂れていた顔を勢いよく上げた。


「そんな、まさか……。オロアちゃんがアーセムに向かったことッスか!?」


 ――シリアス・イズ・バック!!!


 間違いなく前作の興行収入を上回る期待の続編ですよチクショウ!


 もう本当、もう本当にさぁあ! シリアスさんさ、君、最近ちょっと出番が多いからって調子に乗ってんじゃあないですかぁ!? 


 なんでハプニングと一緒になって暴れてくれちゃってるんですか、地獄から帰ってきたデスマッチですか、期待させてくれるじゃねぇか! 


 でも、そんなパフォーマンスを入れなくても、あなたの取れ高は十分だから落ち着いてよぉ!


 しかし、どれだけ心の中で騒ぎ立てても、リィルとゼタさんの根拠なんてない予想にすらなってない妄想が、リアルな映像をワタシの網膜に浮き上がらせる。


 それはまるで、本当にあったことみたいに迫ってくるものがあった。


 初めて聞くゼタさんの怒鳴り声に眉根を寄せてビクッと肩を跳ね上げさせる様子とか、この揺り籠の真実を知って悲鳴を飲み込んだ時のかすれた音とか、見ても聞いてもいないオロアちゃんの姿が、確かな現実感をもってそこにあった。


「それは分からない。でも……、ゼタ!」


「はい!」


「とりあえず万が一を考えて、このことを団長さんとアーセリア様に報告を。まだ出て行ってから時間が経ってないし、すぐに追いつける。

 私たちはすぐにもアーセムに向かってみるから。もし仮に、オロアちゃんがアーセムに登っていたとしたら、糸がある分、私の方がショートカットして早く追いつける。とにかく、二人を無理矢理にでもアーセムまで引っ張ってきて!」


「分かりました!」


 リィルの言葉に鋭く頷くと、ゼタさんは開けられたままになっていたドアから、放たれた矢のような勢いで飛び出していった。


「ね~。オロアちゃん、どこいっちゃったの~? それに~、なんだかみんな、怖い顔~。シュシュお姉ちゃん、泣いてるし。どうしたの~?」


 ウーちゃんの言葉にハッとして、慌てて目元をゴシゴシと乱暴に擦り上げたシュシュルカさんだったが、手が離れた時には、外にいた時に見せていた快活でサッパリとした笑みを張りつけていた。


「ふふ、なんでもないッスよぉ~、ウー。大丈夫、大丈夫ッス。ウー。大丈夫だから、絶対に、大丈夫だから」


「うぅ~」


 子供だって馬鹿じゃない。いやむしろ、こういった空気を感じ取る能力だったら子供の方が敏感な場合だってある。ただそれを、時とか場合とか場所に合わせて、言葉にするだけの経験がないだけで。


 ウーちゃんも、今のシュシュルカさんの「大丈夫」が「大丈夫じゃない」なんてことは分かってるんだろう。でも、それを押し隠そうとするシュシュルカさんになんて言葉をかければいいのか、分からなくて。


 悲痛に歪んでしまいそうになる顔を見られまいと、ギュッと力強く抱きしめてくるシュシュルカさんの肩口に顔を埋めながら、思いが言葉にならないまま心の中でつっかえてしまっているような息苦しさに涙をにじませ、抱きしめ返すことしかできないんだ。


 しかしそれはそれとして、早くもシリアスさんが存在を主張してくるのに、ワタシとしては今すぐにでも空気を破壊しなくてはならないっていう使命感に駆られて仕方ない。


 ――何か、何か武器はないのか……!?


 考えるんだ。考えるんだよ、ワタシ。自分に犬としての矜持プライドがあるなら、今すぐこの場の空気を和ませる愛嬌溢れるバカになるんだ!


(……犬! これだッ!)


「あ、あの犬! いやその、ペスさんは? ペスさんはどこに行ったんですかね、ウーちゃん」


「あのね~。ペスもね~、一緒にいなくなってたの~」


 詰んだわ。人としても駄目なのに犬としても何もできないだなんて! そんな、これじゃあワタシにできることなんて……、諦めるくらいしか残されていないじゃないか!


(お昼寝しようぜ! ワタシ枕な!)


 いや、真面目な話、止めときません? だってペスさんもいないって、確実にお供してお外へ行ってるじゃないですか。


 これはもう、みんなでアーセムまで探しに行く流れじゃないですか。そして、ワタシはアーセムの上で恐ろしい目に合って、可笑しなことになるまでがテンプレなんだって知ってる。


 神様が腹抱えているのが見えるんだって、間違いない!


 子どもたちが大変な目に合ってるのに、こんなことを考えて自分が助かる方法ばかり探すなんて人としても下の下で、むしろ穴掘って土の下まで下がっているべきなのは分かってるけど、恥を捨ててでも生きることを選ぶぞぉワタシはぁ!


「……ペス、魔獣、犬! それだよ! イディちゃん!」


(いや、どれだよ……)


 何やら発言から光明を得たようで、突然大声を上げたリィルが瞳まで輝かせて詰め寄ってくるのに、ワタシは抱き着かれるがままにされて、何が何やら分からなかった。


(ただ、これだけは分かるよ……)


 ワタシが掘ったのは墓穴だ、って。


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