66 ……お子様だからな


 それに、リィルやゼタさんのような、圧し潰されそうな迫力はなかった。ただ静かに、まるでただ歩きだしたみたいな自然な動作で、いつの間にかリィルとの距離を詰めていた。


 両手にはゼタさんが使っていたピッケルと同じような形の武器を携えながらも、脱力した両腕は無気力に垂らされているように見えた。しかし次の瞬間、一息で爆発的に加速したバルッグさんの両腕が鞭のようなしなやかさで振るわれた。


 人の、『俺』の身体では、腕が振るわれたことすら認識することができないまま終わることは想像するまでもない一撃を、リィルは歯を食いしばりながらも怯むことなく、指に挟んだ針で弾き返していた。


 二人の獲物が衝突する度に、火花が散っては消え、ワタシの心も散り散りになって、削れた分が儚く消滅していってますよ。


 何か? ファンタジーの住人である以上、戦闘能力は必須項目とでも言うのか?


 そういうのは転生の特典に『ぼくのかんがえたさいきょうののりょく』を要求するようなバトルジャンキー任せるべきで、ワタシは現場から一キロ以上離れた場所で優雅に美味しいお菓子を味わっているべきなのに、たとえ異世界でも世の中までは甘くできていないんですね。


「ハァッ!」


「ぉおお!」


 砂糖漬けになりたい世界代表のワタシが甘っちょろいことを妄想している間にも、凶器をぶつけ合う二人の間は焦げ臭い事態が進行している。


 短く気合いを吐きだすリィルが、ぶん殴るついでに串刺しにしてやるよ! みたいな豪速の拳撃と刺突のハイブリッドを繰りだしたかと思うと、唸るような呼気と共にバルッグさんは匠にそれをくぐる。

 同時にさらに一歩を踏み込んで、社交ダンスでも始めるのかと勘違いされても仕方ないような距離にいながら、縦横無尽に連撃を叩き込んでいくのを、リィルは無造作に振ったようにしか見えない豪腕をもって全てを叩き落とす。


 もうね、二人の意思とか闘志とか、おそらくはそんな感じのものが燃え上がっているようで、ぶつかり合う度に黒いモヤというか衝撃波みたいになって広がっていっているようにしか思えなくて、この辺りは異界と成り果てている。


 転移した異世界の中でさらに異 (世)界に放り込んでくれるとか、最近の神様はサービス精神の塊かよ。


 お客様じゃなくて、お前様が神様だから。


 もう少し自覚を持っていただいて、ついでに自信も持っていただいて、この事態の収集に収拾に乗り出してくれてもいいんですよ?


 まぁ、どこの世界でもそんな殊勝な心がけで動いてくれる神様なんて存在しないことは、いくらワタシでも承知しているから期待なんてしないんですけどね。


 ……チラッ。


「チィッ!」


「ラァッ!」


 ほらほら、聞きましたぁ!? 今の声こそ世界の望みですよ! 


 全世界が貴方の慈悲をこいねがっているのですだよ神様。だから、ワタシの心が削られきって跡形もなく消え失せる前に、この争いを治めてくださいお願いします。


 誠心誠意、心を込めて祈ろうかと思ったけど、その祈るための心が今にも消えそうになっているところだったから、手を合わせる前にはらはらと零れ落ちていく心の欠片がどこかに行かないように、ヒリヒリ痛む胸を押さえるのに忙しくて、それどころじゃなかった。


 祈らなかったのだから当然望みは通じず、二人の攻防は激しさを増していき、ワタシの心の残量を減らしていった。


「くっ! この、いい加減、当たれッ! スルスル、スルスルッ。空師の、くせにぃ! なん、でぇ! 地面の、上で、そんなに、動けるのさッ!?」


「こっちの、台詞、だッ! おまえは、ハーフ森人エルフだろうが! おまえの皮膚は、岩か? 岩なのか!? くそがぁ! 皮膚は、皮膚で、作っとけ! 刃が欠けるとか、どうなってんだこらぁ!?」


「あーっ!? 女の子の肌を、そんな風に、言うかなぁ!? そんなん、だから! おじさんは、デリカシーがない、ってぇ、言われるんだよ!」


「オッサン、上等ぉ! おれの、四十肩をぉ、労れぇ!!」


 ……なんか、仲良くなってません? 貴方たち。


 あー、はいはい。読めましたわ。


 これは、お互いに全力を出し合って、最終的に「おめぇ、やるなぁ」って言って、「貴方もね」って返して、熱い握手からの肩組んでハッピーエンドって流れですね、ワタシいい子ですから分かっちゃうんだなぁ。


「おらぁ!」


「くぅっ!?」


「はぁっ、はぁっ。大分、弾いて、やったぞ? そろ、そろッ。残数が、心、もとないんじゃ、ないか!?」


「まだ、まだぁ! 針が、なくても。腕が、あるんだから!」


 でも、あれでしょ? 成り行きとはいえバチバチにやり始めちゃったし、なんかここで引くのもヘンじゃね? っていう感じで、お互い引くに引けなくなっちゃってるんですよね。


 まったく仕方ないですね。いい大人が、そんな素直になりきれない子どもみたいに意地の張り合いなんかしちゃあ、揺りここの子どもたちにも示しがつかないじゃないですか。


 ここは一つ。ワタシに免じて、手打ちしてもいいんですよ?


「あぁああ!」


「おぉおお!」


 まぁ、ワタシの手は差し出す前に打ち払われてしまうのは知っていたんですけどね。絞り出すような熱気を孕んだ気合いの前には、子ども騙しの善意なんて紙くず程の価値もなくて、一瞬のうちに燃やし尽くされてしまうんだ。


 いや、そもそも手を出していないかった訳だけど。そもそも、こんな与人を寄せつけない二人だけの空間に下手に手を突っ込んだら火傷じゃすみませんよ。


 それこそ手も足も出ずに黒焦げになるならまだましで、二人は手も足も衝撃波が出る勢いでぶつけ合えるくらいお上手なようですからね、馬に蹴られるまでもなくミンチですよ。


 ――これが、大人の恋愛、ってやつか……。


 そりゃあ、こんなお子様ボディじゃ入れない訳だ。


 でもさ、そろそろお互いに自重しないとさ、R18に分類されることになっちゃうと思うんですよ。


 そうなったらアレですよ、レンタル屋でカーテンの向こうに収納されることになっちゃうんですよ? 


 分かる、分かるよ。大人の恋愛である以上、そういうことから逃げていたんじゃリアルさんも納得しないって。


 だけどさ、子供から大人まで、幅広くたくさんの人が楽しめるっていうのも、素敵なことだと思うんです。


 なんていうのかな、朝靄あさもやに青く染まる空気の中で、遠く視界の端に朝日で白く染まっていく山波を眺めながら、少しだけ冷たい草と土の埃っぽい匂いを胸いっぱいに吸い込むような、誰にでも味わえるような、そんな幸福ってやつがさ。


「はぁあッ!」


「ぐぅっ!? しまぁっ!?」


 年齢による体力の差は如何ともし難かったのか、息が乱れ、ほんの一瞬だけバルッグさんの動きが精細を欠いた瞬間、それまでの大振りから一転、小さくまとまったリィルの鋭い一撃が、彼の手からピッケルを弾き飛ばした。


「そこだぁあ!!!」


(よっし、そのまま打っ飛ばせぇ! そのオッサンを沈めてハッピーエンドだ! 

 誰もが幸福になんて甘っちょろいこと今後一切吐けないように、お茶の間のお子様が見れないような方法で徹底的に教え込んでやれリィルぅ! 

 おまえがナンバーワンだッ、他の四天王が束になったって足下にも及ばないね。ワタシが文字通りに後見人だよ、やっちゃって!)


 リィルの指から弾きだされ、弾丸の勢いで迫ってくる針を、すんでの所でけたバルッグさんだったが、無理な体勢のままの回避行動だったためにぐらりとよろめいた。


 好機と見たリィルがすかさず踏み込み、裂帛の気合いと共に焦りと驚愕から目を見開いているバルッグさんの顔面を打ち抜くため、拳を振り上げる。


 誰がどう見てもクライマックスだった。


「――――――ッ!!!」

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