65 大人だからな……


 迷いなく宣言された事実に、誰ともなく息をのむ。


 雲一つない空の下、青く茂った草原を駆けていく夏の風みたいに、爽やかな声音が吹き抜けていく。


 これには全ワタシが惚れなおしましたよ、ええ。


 ついさっきまでブルッていた人と同一人物とは思えない、いやむしろ一旦下がっていたからこその上がりっぷり。


 これは間違いなくこの世界のイケメン四天王を名乗ることが許される。


 でもきっと、リィル以上のイケメンがこの世界でワタシを待っている筈で、むしろリィルが一番初めに登場してしまった以上、倒されるのも一番初めなのは世界意思おやくそく


 ――奴は四天王の中でも最若さいじゃく! 四天王の育ち盛りよッ!!!


 ……伸びしろの塊かよ。


 これはもう止められませんね、残りの三天王も見つけださざるを得ない!


 ということなんで、そんな物騒なやりとりなんて止めて、ワタシのイケメンを探す旅についてのプレゼンを聞くべき、ちなみにここで言っているイケメンは顔じゃなくて魂だから、魂のイケメンのことだから、そこんとこ間違えないように!


 ――……分かってる、分かってるさ。


 ワタシが気まま勝手に心の中で妄想に縋ったところで、リアルもシリアスさんも応えてくれることなんてないって。


 でもさ、そろそろ限界なんだ。


 股座どころかそのまま胃まで持ち上げそうな勢いで丸まった尻尾の上で、全身と言わず内臓までビクビク痙攣してるんで、心も身体も正直という名の美徳でフルオーダーしてあるワタシは今にも失神しそうなんです。


 目の前で鉄球を大砲でぶち込んだみたいな打撃音を垂れ流すとか、ホント勘弁してください。


(マジでゲロ吐きそう!)


 ワタシのこみ上げてきそうなものを察知してか、はたまたリィルのイケメンぶりに恐れ戦いてか 、もしくは未だに痛みが抜けないだけかもしれないけど、とにかくワタシと同じくらいに青ざめたバルッグさんが、苦悶に塗れたままの顔を呆れたように笑みの形に歪めた。


「おいおいおい、たとえ分かってもやるかね普通。自分で鼓膜をぶち破るなんてよ。ひとつ間違えりゃ、そのまま失聴してもおかしくねぇぞ?」


 いやホント、ごもっともな意見だわ。


 まぁ、おそらくだけど、頬を張った時だ。


 あの時、リィルはこの場にいる誰にも気づかれないように、気合いを入れる振りをして鼓膜をはたき割っていたんだろう。


 絶対に怖かった筈だ。


 だというのに、当の本人は小学生の男の子みたいに、根拠なんてないのに、絶対の自信に溢れているような強気の笑みを浮かべている。


 平気だなんて、ある筈がない。


 それなのに、リィルはこれ以上なく清々しさに溢れていて。なんだか自分を縛っていた鎖を一つ、振り解いたみたいに晴れやかで、どこか誇らしげですらあった。


 ああ、格好良いな。


 格好良すぎて、うらやましくって、嫉妬しそうなくらいですよ。


 けどさ、格好のつけ方よ。もう少しどうにかならなかった?


 お茶の間の良い子たちには絶対に真似させられない格好のつけ方はクレームがくるので、もう少しマイルドな方向で調整していただけると保護者とワタシの胃が落ち着きを取り戻すと思うので、ご一考願いたいんですけどそんな余裕ないですよね、すみません。


 リィルは周りで見ている人の胃をビクンッビクンッ感じさせちゃっていることなんてお構いなしに、まるで恐怖とか意地とかをき木にしているみたいに目を爛々と光らせる。


「言葉はある程度なら唇を読めば分かるよ。空師なら言葉に替わるコミュニケーションの方法は二つ三つ用意しておくもんだしね。まぁ、全部が全部、事細かに、とはいかないけど」


「だとしても、だ。そりゃあ、いくらなんでもやりすぎだろう。そうも無理に格好つけてちゃ身体が保たねぇぞ?」


 バルッグさんの言葉を尊大に吹き飛ばすみたいに、リィルは意思を燃え上がらせる勢いのまま、フンッと大きく一つ鼻息をつくと、そのままで十分に大きいそれを強調するように胸を張って、この世に二つとないお宝をお披露目するみたいな笑みで言い放った。


「格好つけるよ、大人だもん。

 大切な人たちが背後うしろにいるのに、格好つけるくらいのこともできないんならさ――大人やってる価値なんて、これぽっちもないでしょ?」


 リィルの言葉があまりにも予想外だったのか、バルッグさんはポカンと口を開いて目を丸くしたまま固まっていたかと思うと、急に吹き出すように笑いだした。


 溢れてくる笑いがお腹に響くのか、バルッグさんはお腹を抱えながら丸くなって堪えようとしていたが、次々に湧き上がってくる笑いに為す術なく、目の端に涙を浮かべながら「いてぇ、いてぇ」と身体を震わせながら苦しげに笑っていた。


「ククッ、腹ぁ殴られたってのに、耳がいてぇや」


「まぁ、格好悪い姿はもう見られちゃってるからね。ここら辺でちょっと評価を上げとかないと、面白いお姉さんと格好いいお姉さんとの間でバランスが取れなくなっちゃうでしょ?」


 バルッグさんは零れてくる笑いをそのままに、何かに納得するみたいに何度も頷きながら、覚束ない足で立ち上がった。


「なるほど、なるほど。こりゃあ、おれも信条がどうのこうの言ってられねぇみてぇだ」


 未だにダメージが抜けきっていないのが丸分かりなのに、なんでかさっきよりも気迫に満ちているのか、そこが分からない。


 こちらを見据える目から放たれる眼光からは、出会った時の気の良さそうなおじさんの影も形も感じられない。なんなの、異世界人の間じゃエレベストとマリアナ海溝ぐらいギャップに高低差をつける流行りなの?


 そういうのは事前に通達してくれないと、こっちにも準備ってものがあるんだからさ。急に振られて、何も用意できてねぇじゃねーかとか言われても困ってしまうんですよ。


(五分、いや五日くれません? ばっちり土下座の準備をしてくるんで!)


 まぁ、ワタシの土下座程度でこの事態が収束するなんて、これっぽっちも思えないんですけどね。はは、詰んどるやないか!


 ワタシも膝を折るなら自分の意思で折りたいんだけど、世の中そう上手くいかないことをしっかり突きつけられる。


 下を向いていたいのに、律儀に現実を見せつけようとしてくるシリアスさんの手が肩に置かれ、前を向くように促しくる。


 その重量に、膝だけじゃなくて心まで折れそうです。まぁ心の方はお菓子の小枝なみに折れきって久しいんですけどね。


 しかし、そんな有様のワタシの心でも満足できないようで、睨み合っているお二人はワタシの心をハッピーターンの粉レベルにまで磨り潰すために、ジリジリと相手を探るように距離を測り合っている。


「殴った感触が普通じゃなかったし、立ってくるだろうなとは思ってたけど、私の拳をまともに受けてその程度のダメージかぁ。

 やっぱり、空帝騎士団ルグ・アーセムリエの団長っていうのは伊達じゃないみたいだね。できればそのままアーセリア様を連れて帰って欲しいんだけどなぁ」


「おれもできりゃあ、すぐにでも魔術院に駆け込んで、治療受けて、アホみたいな馬鹿力でブン殴られたって綺麗なお姉ちゃんに泣きつきながら一杯引っかけたいとこなんだがなぁ。そういう訳にもいかねーんだわ、これが。

 まぁ、おめぇの言葉を借りるなら……」


 ニッとバルッグさんの口角が鋭く上がる。




「大人だからな。――仕事はきっちりこなさねぇとな?」




 獰猛どうもうとしか表現のしようがない壮絶な笑みを浮かべ、バルッグさんがこの闘いで初めて、鋭い踏み込みでもって前に出た。


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