57 我ながらやばい扉を開けちゃうかな


 二人は懐かしさと喜びとを等分に混ぜた表情で手を握り合ったまま、お互いに言い尽くせないものを視線に乗せて会話をしているみたいだった。


 先程『バディ』と言っていたから、おそらく二人は一定期間コンビを組んで空師の活動をしていたのだろう。


 なんで別れてしまったのか、二人の間に何があったのかなんてワタシが推し量れるものじゃないけど、しかしそれも既に折り合いがついたものなんだろうってことは、彼女たちがまとっている穏やかな空気から推測できた。


「それで。この子が今の『揺り籠』の末っ子ですか?」


「そうッス、男の子ッスよ。ラック~、お姉ちゃんのお友達ッスよ~。ご挨拶できるかな~?」


 体を起こして抱きなおされたラック君がシュシュルカさんの言葉に応えるように、ゼタさんに向かって小さな手をいっぱいに伸ばした。


 ゼタさんがその手に沿えるように指を差し出すと、ラック君は興味津々なのにどこか不思議そうな表情で指先をジッと見つめながら形を確かめるように這わせ、徐に小さな手でキュッと握りしめた。


 その姿に全員がほっこりした気持ちになって自然と零れた笑みをそのまま垂れ流していると、どうやらお気に召したようでラック君の顔にもパッと笑みが咲いた。


「あぁああ可愛い! イディちゃんイディちゃん、見てみて下さい。すっごい可愛いですよ!」


 その笑顔を目前で晒されたゼタさんは大きく開いた口を戦慄かせて、涎でも垂れてきそうな恍惚な表情で興奮のまま手招きしてきた。


 正直その色々高まっていそうな様子にはお近づきになりたくない要素しかないんだけど、ここで拒否してワタシがラック君に対して怯えてじゃなくて警戒なんてする筈ないから、緊張しているように思われてしまっても心外なので、堂々と正面から半身に構えて摺り足で近づかせてもらった。


「ラック~、こっちの小さなお姉ちゃんはイディちゃんッスよ~」


 シュシュルカさんのコミュニケーションが取りやすいように腰を屈めるという心温まる繊細な気遣いによって、ワタシの目線より少し上ぐらいのところまで迫ってきたラック君に、頬が引きつらんばかりの会心な笑みを見せてやった。


「ど、どうも~。イディで~す……」


 何か舞台に登場したお笑い芸人みたいになってしまったことには拍手の代わりに自己嫌悪が湧いてきて仕方ないけど、初めて舞台に上がる新米芸人でももう少し真面な挨拶をするだろうから比べてることが失礼だった。


 ただ彼らならこの心情を十二分に理解してくれるって信じてるから、ワタシへの笑いをくれるって期待したい。


 だからワタシの内心を勝手気ままに見せつけてくれている尻尾と耳は落ち着け。


 その心意気には感動が過ぎて涙なしにはいられないけど、どうにもならないからそんなピコピコゆらゆらしても仕方がないから。


「ううぅ? あうあ」


 しかしどうやらラック君はこの落ち着きのなくピッコンピッコン動いている耳が気になるようで、上半身までいっぱいに使って腕を伸ばし、耳が揺れるのに合わせて手をさ迷わせた。


「なんスかね~、コレは? ラックにはないッスね~。でもガルにも似たのがあるから、覚えてるかな~?」


 シュシュルカさんは興味津々なラック君に好きにさせる気でいるようだけど、好きにされるのはワタシなので許可を取っていただきたいなんて傲慢なことを言える筈もなく、徐々に迫ってくる赤子の手という断頭台に頭を差しだした。


 いいんだ、ワタシの耳ぐらいで世界が平和になるなら喜んで身を差しだそう。


 ――でも、(赤ん坊に触らせるのは)初めてだから……優しくしてね?


「あっ、うぅ。……あふぅ」


 小さな手がワタシの耳を這い回っている。


 さわさわクニクニ、紅葉みたいに小っちゃな手から繰り出される手練手管には遠慮がなくて、雑なのに力加減が絶妙なのは赤ん坊故になせる技。


 耳の軟骨と毛皮を擦り合わせるようにしてコリコリしてくる手さばきは、この子が将来とんだ犬猫鳴かせになることを容易に想像させる。


(君もまた、天然のナデリストだったんだな)


「ああっ、そこ。そんな、しゅ、しゅごいぃ。あっ、そんな求められたら。ワタシぃ……」


 赤ん坊に遠慮なんてある筈もなくて、ぐいぐい責め立ててくるのと同時にワタシを逃がすまいと耳を引っ張られる。


 しかし、そんな耳のつけ根から頭ごと持っていかれるような乱暴な扱いにすら安心感というか、心地良さを感じる。


 これはあれだ。強者に屈服して、その庇護下に囲われる快感、腹を見せて見下ろされる至福。ワタシは今、赤ん坊より下の立場であることに喜びを感じてしまっているんだ!


 ああ駄目だ。駄目って分かっているのに、抵抗しようとする意思すら浮かばなくて、ラックくんの手元に吸い寄せられていく。


 ――なんて積極的で力強い攻めなんだ。こんな、こんなの、初めてぇ!


「ダメッ! そんな激しくされたら、こわ、壊れちゃ、ひゃあぁああっ!?」


 駆け抜ける衝撃!


 耳の先から襲いかかってくる今までにない感覚、刺激に蕩けていた思考がより強い刺激に強制的に覚醒された。


 ぐにゅぐにゅと柔らかく湿った何かで包み込むようなまろやかさの中に固くて鋭いのに柔らかくてソフトタッチという矛盾を超越した感触がアクセントになって千年に一度の味わい。


 ――こ、こいつッ! ナデリストじゃない! こいつは、


「あらら。ダメッスよ~、ラック。イディちゃんの耳はご飯じゃないッスよ~。もぐもぐしても食べられないッス。ほら、ぺっして、ぺっ」


 ――ペロリストだ!


 なんてこった。友軍に見せかけた敵軍だったなんて、油断した。


 こんなとこにいられるか、ワタシは逃げるぞ!


「はな、放し」


「うあぅ!」


「はなぁあああ!?」


 自由を求めたら攻めが苛烈になった。やっぱり犬は繋がれているのがお似合いってことですね分かります。


 ……分かっていた、筈なんだけどな。ここに味方なんていないって。


 でも信じたかったんだ、生まれたての命ならワタシに寄り添ってくれるって。でも生まれたてだからこそ、生きることに必死なんだよね。ならこの激しさにも納得せざるを得ないわ。


 ――でもさ。せめて最期くらいは、笑っていたかったんだ……。


「ほら、ラック。お姉ちゃんが離して欲しいって言ってるッスよ。バイバイッスよ、バイバイ」


 いつまでも口を離さないラック君を見かねたシュシュルカさんが、苦笑しながら身体を起こすことでワタシとの距離をとった。


 生粋のペロリストであるのラック君でも流石に首は伸ばせないようで、必死手を伸ばすのも空しく、彼の口から耳が抜けて、同時にワタシの腰も抜けた。


「ふぅー、ふぅー。……ううぅ」


「大丈夫ですか? イディちゃん」


 覗き込んでくるゼタさんに力なく頷き返しながら息を整えるが、息は整っても精神が整いそうにない。


 彼女の手を借りて立ち上がるが、膝も腰もビクビク震えて頼りなくて、そのくせ尻尾は忙しく左右に振られて、自分の身体ですら味方ではないとか絶望しかないね。


「あー、……大丈夫ッスか? 申し訳ないッス。この年の子ってなんでも口に入れちゃうんスよね、油断してたッス」


「まぁ、仕方ないでしょう。その頃の赤ん坊は口の神経が一番発達しているせいで、口に入れることで色々覚えたり確認したりするそうですから。

 ……でもまぁ、獣人族と森人族エルフは耳が敏感な人が多いですからね。大丈夫ですよイディちゃん。耳を弄られてそうなっちゃうのはイディちゃんだけという訳じゃありませんから」


 その優しい言葉に今度は心が震えて涙が出そう。


 なんかゼタさんが大人の余裕みたいなものを醸しだしながら、彼女の腰辺りにしがみついて身体の方の震えを止めようとしているワタシを見守っていると、シュシュルカさんは意地悪そうな笑みを浮かべながら並べるように顔を寄せ、挑発するみたいに長い舌をゼタさんの顔の横で揺らした。


「おやおや~? 人ごとみたいに言ってるッスけど、ゼタだって敏感なの、アタシは知ってるんスよ? 昔、アタシがふざけて耳に噛みついたらゼタってばおも」


「何さらっと言おうとしてるの!? 二人だけの内緒って約束したでしょ? お墓まで持ってくって言ったじゃない! 

 それにあれは色々と気を張り詰めて大変で大変な時だったのに、シュシュが後ろから急に驚かしたからで」


「ええ~、そうッシたっけ?」


「そうだよ!」


 そうか森人族と獣人族は耳が弱点なんだな、覚えておこう。あくまでも自衛のために。

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