53 ゆらりゆられて
木造の建物が目立つオールグにあって珍しく、『学校』は石材をメインに使用したように思える外観だった。
白を基調にした壁面と機能美を追求したようなシンプルなデザインが清潔感をまとって鎮座しており、その全貌は幼女の身からでは窺い知ることなどできる筈もなくて、協会の建物などから考えてもオールグの中でも上から数えた方が早いと知れる、とてつもなく大きな建物だった。
その巨大な建築物に見合っただけの大きな敷地を有し、様々な用途で使われているであろう校庭も広々としたものだった。
――まぁ幼女の身には全てが巨大に見えて当然なんだけどね。
何もかもが大きな物の寄せ集めに思えたこの場所、その敷地の隅。アーセムのせいで小さく見えるけど、立派な木々に囲まれた一画に、
『学校』と同じ白の壁面は、ここであった様々が傷や汚れといった歴史になって積み重なり、ノスタルジックな風合いを醸しだしていて、もの悲しくもあり、でも偉大でもあるような気もしたりして、包み隠さずに言えば若干廃墟ぽかった。
しかし、それこそがこの場所をさらに魅力的にしているのは疑いようもない。
きっと、この『揺り籠』を飛び立っていった人々が何年か後に再び訪れた時、このいろんなものが染みついた建物を前にして、瞳から雫となって溢れてきた郷愁の念と共に幼少の頃の自分を幻視するんだろう。
――胸の内で小さく、「ただいま」って呟きながら……。
「卑怯ですわ! ゴール直前に糸で妨害してくるなんて、大人として恥ずかしいと思わないんですの!?」
「んふふ~。大人だから自分にできることをきちんと把握して、最善を尽くすためのプランを立てて実行できるんだよ。
それに妨害のこと言ったらオロアちゃんだって人のこと言えないでしょ、イディちゃんを使ってくるなんて……マジでブチ切れそうだった」
「あら、イディが貴女に『お願い』しただけじゃありませんか。それを貴女が勝手に妨害と解釈しているだけで、こちらにそんな意図はありませんわ」
「イディちゃんに涙目で『リィルぅ、お願い止まってぇ』なんて言われたら誰だって聞き入れたくなっちゃうのは当然だから、胸がキュンキュンし過ぎて足じゃなくて心臓が止まるかと思ったくらいだよ。間違いなくあれは妨害だったね」
――これは柔らかな笑みで、「おかえり」って背後を指差される奴だわ。
本当に色々とぶち壊しだった。
突如として始まったレースは、地面とワタシの心を削りながら三者共に譲らぬ激戦だった。
オロアちゃんが巧みにペスさんを駆り、ゼタさんが華麗にコーナーを攻めて、リィルが剛脚にもの言わせて突き進んでいき、ワタシが全身全霊の叫びを上げた。
今思い返してみても、縦横無尽で自由闊達に揺れる視界ととてつもないスピードで後ろに絶え間なく流れていく風景がよみがるばかりで、ただただ叫び声を上げていたらいつの間にか到着していたっていう感じだった。
きっと余りの恐怖体験に詳細な記憶は振り返ることを拒否しているに違いない。
――だって、思い出そうとしても出てくるのは、涙ばかりだから……。
元の世界にいる全人類は今すぐ勇んで安全バーのない時速一〇〇キロに到達する暴走ジェットコースターに乗ってもらえれば、ワタシたちが無二の親友になれることを世界が保証してくれているようなものなので、優しさってそいうことだと思うんだ。
でもきっとワタシは強いから、ペスさんの背中に乗っていなかった頃とは比べようもなく、強くなっているはずだから、……だからっ!
――これは明日という希望の種を育てるための雫なんだ。
とりあえずオロアちゃんの中で先程のレースに納得がいっていないのは確かなようで、敷地に入ってからもずっとぶつぶつ文句を垂れながら、隙あらばリィルに突っかかっていく。
それに対して、リィルもわざと煽るような物言いをして、盛大にオロアちゃんを悔しがらせていた。
「ほら二人とも、もう『揺り籠』の前なんですから。そんな風にいがみ合っていては子どもたちに示しがつきませんよ?」
「うぅ~。……分かりました、お姉様」
「大丈夫だよ。子どもたちが来たら、こんなことやってる暇なんてないからさ」
対照的な二人の様子に苦笑しながら、ゼタさんが深い緑色をした扉についている花のつぼみを指でつついた。
チリリ、と僅かな音色を零してから少しの間があって、それに応えるようにつついたつぼみが淡い緑色の光を灯した。
それが何を意味するかはすぐに知れた。
光が灯ってからすぐに、ドタドタと忙しそうな足音と何をしゃべっているかは定かじゃないけど複数の子どもの声が扉の内側を騒がしく叩いてきた。
一秒毎に音量を上げて迫ってくるそれに、未知の生物の大群が向かってくる姿を想像して恐怖を感じずにはいられなくて、無意識のうちにリィルが盾になるように位置取りしていた自分の危機感知には賞賛を送りたくなるけど、それはここに来る前に働いて欲しかったのは言うまでもなかった。
しかし、ここまで来ては腹を決めるしかない。
そう、奴らはそこまで近づいている。五メートル、四メートル、三メートル。もう、扉のすぐ向こうだ!
――……ダダダガッ、ガシャーン!
今まさに扉を突き破ってくると思われた音源たちが、直前になって凄まじい破砕音を響かせてから沈黙したのに、ワタシたちも身構えたまま数秒の黙考を共有するしかなかった。
――これはつまり、
「転けた?」
「あれは転けたね」
「ええ、転けましたわね」
「間違いなく。転びましたね」
全員が深い納得と共に頷いて、扉の向こうの惨状を想像してみたけど、もうどうにもならないしそんなことを気にかけるようなキッズは存在しないだろう。
ワタシたちが呆けているうちに再び騒がしくなった向こう側で何やらうごめいている気配が扉に取りついたと分かった次の瞬間、
『いらっしゃ~いっ!』
扉が弾けるような勢いで開いた向こう側、キラキラと無邪気に光る瞳と幼さを多分に残した声音が重なって、ワタシたちを出迎えた。
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