43 オークの嫁取り〆


 半分夢の中に沈んだままでいるような、骨がどっかにいってしまったみたいにぐらぐらと傾ぎそうになる身体をガルドさんに預け、ノノイさんはぽぅっとした様子で潤んだ瞳と一緒に意識を宙へ彷徨わせているようだった。


 そんな、もう色々とふにゃふにゃになっている彼女を片手で抱きあげ、肩と上腕に座らせるようにして掲げて衆目に晒しあげるとか、もう勝負は決まってるから止めて差し上げて。


 きっと誰もがそう思ったし、ワタシが一番そう思った。


 でもガルドさんは衆目など気に留める様子もなく、まるで死闘の末に勝ち取った首級を誇るように、歓喜がそのまま声になったよう叫びをあげた。


「嘆くがいい!! グライン族のオオキよ! 

 ここにいるのは御前の娘、ノノイ・グライン・ベルグウィーク=オールグではない。今、俺の腕に抱かれているのは、我が妻! ノノイ・フォータスク! 我が生涯の伴侶である!」


 それはもう誰が見てもそうでしょうとしか言いようがないんだけど、既に瀕死の状態のノノイさんに容赦なく追撃を加えていく姿勢に、畏敬の念を抱きながら心の中で喝采を送らずにはいられなかったのは、ワタシだけじゃなくてこの場にいる男性諸君も同じだったことと思う。


 もう(……お前には負けたよ)みたいにしみじみしながら、緩く首を横に振りつつ「Bravo(ブラーヴォ)……」って呟くしかない、諦観と称賛を混ぜた拍手を送るしかない。


 これは俗に言う、『もうお前の嫁でいいよ』状態だった。


 この場にいる全員が二人のアツアツぶりに黒焦げにされたが、しかしガルドさんの本気はここからだったようで、ワタシたちまで瀕死に追い込まれる未来しか用意されていなかった。


 これは俗に言うか分からないけど、『お前の夫だろ、早くなんとかしろよ』状態だった。


「コイツの瞳は精霊や魔力に対してくらくとも、人の機微と学問に明るく、その叡智はこの世のあまねく万象にまで根を張っている。

 魔法に対する造詣の深さは、我がフォータスクの祭司シャーマンにすら引けを取らぬ! コイツの描く魔方陣の美しさは、もはや芸術の域にあることは疑いようもなく、その金色こんじきに輝く燐光は稀人ゴドーすら魅了する。

 薄明りの部屋の中、本をめくり先人の苦慮と知識に向き合うコイツの姿は、地母神の現身であると錯覚する程。

 つまり、良き母になることは約束されたようなものだ! 

 さらに、緑人族オークである俺を前にして、いささかも揺るがぬその生意気な口ぶり。これすら、しおらしくなった時との落差を彩る天井の華のごとグゥッ!?」


「長いわ!」


「……グッ、ハッハッハ! そして、緑人族オークである俺をよろめかせる程の拳も持っている! この女をモノにできるのは、俺を措いて他にない!!」


 ガルドさんの後頭部をノノイさんの拳が打ち抜いた瞬間、ここにいる全員が「よくやった!」と心のサムズをアップして、彼女の言葉効いた瞬間、全員の第三者的自己ゴーストが「全くもって」と首を縦に振り、それすら嫁自慢に繋げていったガルドさんの手腕には、全員が「もう好きにしてくれ……」と澄みきった心の目でどこまでも青い空を仰いだ。


 ――ワタシたちは今、確かに一つだった……。


「だからこそ、これの役目は既にない」


 だというのに、それまでの喜色に満ちて跳ね回っているよう声から、沈んだ声音へ前触れもなく変わったものだから、誰もが意図しないうちに身構えるようにして黙った。


 ガルドさんがノノイさんを抱えているのとは反対の手で眼鏡を取り上げて器用に折りたたむと、親父オヤジに見せつけるように掌に乗せた。


 取り上げられた眼鏡を思わず追ってしまいそうになり、ノノイさんは自分をいさめるように中途半端に宙をかいた手を胸の前で握りしめた。


 その姿がなんだか、いつも一緒に寝ている人形を取り上げられてしまった少女のようで、眉根に寄せられた皺ときつく結ばれた口元に、我が儘を言って困らせないようにと無理矢理笑おうとする子供の影が見えた気がして、気が気じゃなくて、全身を硬く強張らせたのは誰もがそうだったけど、誰よりもノノイさんが覚悟を固めようとしていた。


「これからコイツを護っていくのは御前の優しさではない。俺の強さだ!」


 ガルドさんの筋肉が隆起するように肥大して、眼鏡を置いた手に力が込められていく。

 ノノイさんは決して目を逸らすまいと頑なな視線を向けていたけど、目を逸らしたくてたまらないと震えている瞳に映る頑固さは痛々しい程で、ガルドさんの服を掴んでいる手は固く握り締めすぎて震えていた。


「……だが、」


 その場にいる全員が、きっとまさに今、ガルドさんの手の中でひしゃげて潰される。それが何であったかなんて分かりようもないぐらいに形を変えられてしまうんだと、覚悟のようなものを抱いて彼の手の内を注視していた。


 だからこそ、誰かだったのか、誰もだったのか、生まれたての雛を包むように柔らかく丸まった手に、小さく吐き出したのは安堵以外の何ものでもなかった。


 ガルドさんは自分の掌にあるものを確かめるように、緩やかに握られた拳にジッと視線を落としながら、自分に向かってか、親父オヤジに向かってか、あるいはノノイさん、この場にいる全員への宣言でもあるように語りかけた。


「既に誓ったように、俺はノノイの全てをもらっていく。

 ……しかるにオオキよ。

 御前が注ぎ続けた優しさもまた、俺が抱えていくものに他ならない」


 ノノイさんの目が大きく開かれていく。


 まるで、今まで固く縛り上げていた糸が緩み、ほどかれていくみたいに強張っていた目元から力抜けて、支えきれなくなった感情にくしゃりと歪んだ。


「これをこの場で握りつぶすのは、子兎を狩るよりも容易い。

 だが、全ての試練を薙ぎ倒し前進するのが強さであるように、全ての業を背負い立ちあがることもまた、強さである」


 開かれた手に乗る眼鏡にはひずみ一つなく、ノノイさんの顔にかけられていた時と同じように綺麗なままそこにあった。


「だがな、オオキよ。これだけは覚えておくがいい。俺の嫁は、強い!」


 しかし、それがノノイさんの顔にかけられることは二度とないのだろう。


 ガルドさんは眼鏡を彼女に返さず、自分の胸元、吊るされている小刀と並べるようにして髪輪に引っかけた。


 一層強く抱き寄せらるまま、ノノイさんはガルドさんの首筋に顔を埋め、声を上げて泣いた。

 その声を掻き消すのではなく、寄り添うように力強い声が続いた。


「自分と他人は違うのだと、認める強さがある。

 できないことを認め、できることに邁進し補うおうと、努力する強さがある。

 自分と向き合って生きるため、自らの足で立ちあがる強さがある。

 弱さを抱えたまま歩ける、強さがある!」


 きっとそれは、ノノイさんが何よりも認めてもらいたかったものなんだろう。


「だからこそ、俺が。コイツの、ノノイの強さを守るのだ」


 きっとそれは、ガルドさんが何よりも突き通したい誇りなんだろう。


「しかるにオオキよ、再度言おう。嘆くがいい!! 

 御前はこの世に二つとはあり得ない至宝を手放すのだ! 

 ……そして、それ以上に誇るがいい。

 御前は確かに、その至宝を磨き上げる一助を担ったのだ」


 紡がれた言葉は、長い務めを果たし終えた老兵に贈るような、敬意と友情に満ちたものだった。


「さらばだ、オオキ・グライン・ベルグウィーク=オールグ。

 この女はいただいていくッ!!!」


 それを最後に、人一人抱えているとは思えない程素早い身のこなしで、ガルドさんは亀っぽい巨大獣の背を音もなく駆け上がった。


「ガルド・フォータスク!」


 ガルドさんが鞍っぽいところに足をつけるのと同時に、その背中に向けて怒声ともとれる気合と共に、空気を引き千切る速度で振るわれた腕から銀色の物体が放たれた。

 もし直撃すればただでは済まないのは火を見るより明らかなそれを、ガルドさんは事も無げに片腕で受け止めてみせた。


 派手な装飾はなく剛健な作りをしているそれは陽の光に鈍く光る、柄が長くかしらが大きな槌。

 おそらく戦槌ウォーハンマーと思われるそれが、ガルドさんの手に収まっていた。


「もしノノイがここに帰ってみろ!? 

 そいつをオマエから奪い返してドタマを叩き割ってやる! ワシがやる前に土の下で寝こけているようなら、テメェの墓をそいつで粉々に砕いて、叩き起こしてやるからなッ!」


 娘との泣き別れだからといって、その旦那の身体と魂が泣き別れさせようとするのはどうなんだろうか、アメリケンな人々でも脅すだけでぶっ放すことはしないというのに。

 しかし、そんな親父の蛮行にも、ガルドさんは口を開けて大きな笑い声を響かせながら答えた。


「好きにするがいいッ!」


 その返答が合図となり、亀の巨獣が足を動かし始める。

 巨大な獣が地響きは鳴らしながら進みだした途端、集まっていた皆が待っていましたとばかりに、それを追いかけて走りだした。


 皆が皆、何がしかを叫びながら荷台に向かって手に持っていた品を投げ入れていく。大半が二人の結婚を祝福する言葉だったが、中には恨み嫉み妬みを混ぜに混ぜて煮詰めたような涙声も混じっていた。


「私たちも行くよ、イディちゃん! 二人に祝福の言葉を贈りながら、荷台にプレゼントを投げ入れるの!」


「分かった!」


 リィルの声に手を引かれるように、一緒になって駆けだした。


 ワタシの速度ならほんの一瞬で追いつく、その僅かな時間の中で、足を動かしながら必死になって考えたけど、どうしたった祝いといったこんな言葉しか思い浮かんでこなかった。


「――何も思い残すことなく、友人に親戚、家族、孫に囲まれて老衰で死ねッ!」


 自分ことながらそれはどうなんだとは思うけど、それ以外が思考に浮かんで来るのを拒否したから仕方なかった。


 はたして、ワタシの言葉が届いたのか。


 ガルドさんの笑い声が一層大きくなったように感じた瞬間、上空に金色の光が瞬いた。


 オールグの空を覆うように広がった、複雑怪奇でありながらどこか規則性を感じさせる魔方陣。

 魔法を知らないワタシからすれば、ただただ美しいばかりのそれが、昼を塗り替えるような強い光と共に弾けると、空から淡雪のような燐光がゆっくりと振ってくる。


 その幻想的な光景に、足を止めて見惚れずにはいられなかった。


 その時確かに、オールグの街に幸福が降り注いでいたから。



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