44 世界がそれを望んでるんだ!
地響きを遠くに感じながら、小さくなってしまった影とまるで夢だったかのように止んでしまった淡い光にどこか切なさを覚え、湧き上がってくる思いに震える拳を固く握り締めた。
――いつだ……、いつ来るんだッ!?
しかしワタシは知ってしまっているんだ。
これは何かの前触れの筈なんだ。なんのアクシデントもなくイベントが済むなんて、例えワタシが欲してもあの神なら希望を目の前にぶら下げて叩き潰すくらいのことはする。
つまりこの今にも決壊しそうな程溜められた涙は溢れださんばかりの危機感からくるものだから、別にもらい泣きとかそういうことじゃないから勘違いは止めていただきたい。
「んふー。色んな意味でインパクトが凄かったね」
「ええ、良い式でした」
まだ見ぬ恐怖にさえ備えようとする成長著しい自分に零れ落ちそうになる涙を抑えながら、聞こえてきた満足そうな吐息に見上げると、いつの間にかワタシを挟む形で立っていたリィルとゼタさんが、少しだけしんみりしたような空気を抱えながら辺りを見渡して呟いた。
見送りを終えた皆は各々、今になって濁声を上げながら号泣している
「それに……、なんて言えばいいのかなぁ。
勝手な話だけど、彼女の事情がなんだか他人ごとに思えなくて。いるもんなんだなぁ、っていうのと。気づかないないもんなんだなぁ、っていうの。
同じ街に、似た境遇の人がいるなんて考えもしなかった」
「やはり彼女は……」
「見えないんだろうね。
普通のドワーフが当然のように見てる、……当たり前の世界っていうのが」
リィルが片方の耳を摘まんで、形を確かめるように擦る。
それはノノイさんにとっての目であって、きっと世界では当たり前のように起こっていることなんだろう。
間違いなく血が通っているその部位が、しかし彼女たちにとっては世界を凍てつかせる程に残酷な事実を突きつけてくる、我が身だったんだ。
「あ~あ。やっぱりちょっと羨ましいかも!
あそこまで全肯定されちゃったうえに、背負ってきた荷物もあんなに軽々持ち上げられちゃうとさ。……なんかもう、まいった! って感じだよね。
「ではやはり! アミッジさんとはナシってことですね!?」
両手を胸の前で握りしめ、先程のガルドさんを見つめるノノイさんにすら劣らぬ輝きで瞳を光らせるゼタさんの期待の高まりは尋常ではないし、ふんふん噴き出している鼻息の荒さにはワタシの気持ちが波打って仕方ないので落ち着いて。
「いや~。あれはあれで、別って言うかぁ。んふふ~、無理してるのが丸分かりなのに頑張ちゃって。それが私のためっていうのが、なんだかむずむずするっていうか。ちょっと可愛いんだよね~」
しかし、そんなゼタさんの甘い考えをさらなる甘さでリィルは打ち砕いてみせた。
頬に手を当てながら耳をピコピコいわしているリィルに対して、なぜだかゼタさんが不服そうに頬を膨らませているけど、勿論この場で不平不満を述べていいのは唐突に
つまり、これは行うことによって仲間へ危機を知らせるためのメッセージであって、ワタシはリィルとゼタさんを巻き込みたくてそうするとかそんなことは断じてないので、一緒に請け負ってください、引き受けてくださいお願いします。
「リィル。でもおかしいんだ」
「えっ、何が?」
「ワタシが不利益をこうむっていない!」
まさに精一杯。絞り出すような吐露に、首を傾げていたリィルは突きつけられたあまりに重大な事実に、口元を覆いながらハッと息を呑んだ。
「確かに、大変!」
「それはむしろ、イディちゃんにとって大変なことが起こらなかったのでは?」
良かったじゃないですか、なんて致命的に何も分かっちゃいないことを言うゼタさんにワタシとリィルは揃って勢いよく振り返ると、全身を使ってこの危機的状況を伝えようとしたけど、どう見たって絶望的に自滅に向かっているのは分かっていて、それでも不安っていうのは止められないんだから察してください。
「何言ってるの、ゼタ。色んなことに巻き込まれてこそのイディちゃんでしょ!」
「そうですよ。こんな穏やかでいいなんてゼタさんだって思ってないでしょ!?」
「イディちゃんはもう少し自分に優しくなっても良いんだよ?」
――そんな優しい眼差しで肩に手を置かないでください、泣けてくるじゃあないか。
澄みきったその瞳に何もかも預けてしまいたくなって、ふらふらと手を差し出しかけたところで空いている方の肩にも背後から暖かな感触が乗ったので振り返ってみると、リィルが似て非なる清らかな瞳で微笑みながら語りかけてきた。
「大丈夫だよ、イディちゃん。そのうち、向こうの方からやってくるから」
「それもそうですね。ハハ、……なんか安心したら涙がでてきたや」
「自分さえ誤魔化しきれない嘘は誰も幸せにしませんよ?」
リィルの言葉に我を取り戻したワタシは正気だから大丈夫だった。
しかし涙っていうのはどんな状況でも流れてくるから厄介ですね、ちょっとゼタさんが何を言っているのかわからなくて、胸の奥に響いてくるので本当に止めてもらっていいですか。
――本当のことだって誰かを幸せにするとは限らないんですよ?
ゼタさんの呆れ返った表情を背中に、肩に置かれたリィルの手に自分の手を重ねて、夕暮れに黄昏る教師と教え子の色に染まった瞳で遠く未来を見つめている。
進むべき道は日が落ちれば暗くなるばかりなんだけどな……。
先が見えないことを怖がってばかりじゃ駄目なんだ、受け入れて立ち上がって歩くことが大切なんだって、この世界がワタシに教え込んでくれたから。
だからワタシはシリアスもハプニングも抱き留めてあげる気概を持ち合わせることを目標にしているから、世界もそろそろ福音を鳴らす頃合いを見計らっている筈なんだ。
――ほら、今にも聞こえてきそうだろ?
トトトッ、トトトッ、と軽やかでいながらしっかりとしたリズムを保ち、それでも待ち望んでいたものを前にして気が急いているのを押し殺せていないのが地面を力強く蹴る音に滲み出ていて、最近の福音は天から下りてくるじゃなくて地面を走ってくることにワタシも畏怖の念を押し殺せそうにないです。
――思ったより早かったね……、お帰り。
明らかに自分に向かってきているその音に、微笑みを浮かべるしかなくなった時、ワタシの身体は宙を舞っていた。
腹を突き抜けていく衝撃に安心感さえ覚え始めているワタシは、久しぶりに帰った故郷で漂ってくる夕飯の匂いとか玄関から零れている橙色の灯りに、涙なくてはいられず玄関で立ち尽くす都会から帰ってきた子供を迎える母のような心境を抱かずにはいられないから、調教は順調だった。
首輪もリードもいらないなんて、自分の優秀さに込み上げてくるのは誇らしさだけだったから、ハプニングさんもそんな勤勉にワタシを雁字搦めにしようなんて思わなくてもいいんじゃないでしょうか。
「ふふ、逃げられないって知ってる癖に……。って、なんで実態が、わっぷ!?」
なんだかいつもと違ってふわふわしているくせに確かな重さでワタシを押さえつけられている現状に、流石にリアルで圧し潰そうとしてくるのは看過できなくて、それは社会の重圧だけで事足りているのを分からせてやろうと顔を上げたら、温かくて湿った何かに頬にヌロッと撫でていった。
いつの間に舌なんて得とくしたのか、喋れたって良いことなんかないからワタシの精神安定のために黙っていただくよう懇願しようとしたところで、ハッハッとどこかで聞いたことのある切れ切れの吐息に、それがハプニングではないことにようやく気が付き、自分でも確認するみたいに困惑がそのまま声に出ていた。
「い、いぬぅ?」
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