42 オークの嫁取り⑤
鋭い
髪を梳いていた女性が切り離した根元と毛先を揃えるようにして持ち、もう一人の
親父は先程の小刀を鞘に戻して抜けないように紐で結んで固定すると、受け取った髪の輪っかに取りつけ、跪いたままでいるノノイさんの首にかけた。
その姿はそれまで以上に晴れやかで、首の周りを覆う髪の輪は花嫁のベールのような、どこか侵し難い神聖さを纏っていたけれど、第一印象的に大きなドーナッツにしか見えなくなってしまったワタシは、本当にいい加減にした方がいいように思う。
髪の見てくれからはツイストドーナッツ以外あり得なかったが、首に掛けられた途端にポンでリングな装いに変化したのは間違いないくて、でも色合い的にはゴールデンなチョコ―レートに思いを馳せない訳にはいかず、なんにしても涙腺の前に唾液腺に直撃しそうだなと思ってしまったワタシはどうしようもなく卑しい犬だった。
――でも、あれは食えねぇな。
夫婦喧嘩程度ですら
しかし、ワタシが爆発寸前でいることなんて重要である筈がないから、ノノイさんが気に留める訳もなく、首に髪輪を引っ下げて立ち上がると、もう一度掌を見せたままお辞儀をした。
その姿に、髪を梳いた女性が、感極まって涙を流しながらノノイさんに抱きついた。
「ノノ゛ォ~! 良がっだ、よがったねぇー! ちゃんと。ちゃんとノノことを見てくれる人が見つかってぇ! 本当に、よ゛がっだよ゛ぉ!!」
「ちょっと、母さん! まだ式の途中よ」
ノノイさんの言葉に深い納得を得るのと同時に、ガチであんなロリが母親ということは、ノノイさんもきっとあのままということで、割と真面目にガルドさんの世間体が死に体になるのは避けらそうもないことは分かった。
でも、元の世界のロリコンからしたら多少腕から手にかけてが二度見せずにはいられないくらい大きいだけのミニマムだから、地球の紳士諸君は正座で全裸待機の
そんな凶報はさて置き、娘のそこまであるようには見えない胸に顔を擦りつけながら、どちらが嫁ぐのか分からないぐらいに狼狽して涙も鼻水も垂れ流しながら泣き叫ぶ母親を、ノノイさんは苦笑しながら宥めすかした。
「だって、だってぇ!」
「はいはい、私は大丈夫だから。これじゃあ、どっちが送りだす立場か分からないじゃない」
「でも、ノノは目つきも悪いし、いっつも本ばっかり読んでいて根暗だし、どんな言い辛いことでもそのままズケズケ言っちゃうくらい遠慮がないし!」
「ちょっと、母親。これから嫁ぐ娘に何言ってるの?」
「それにっ! 私が、……そんな『目』に産んじゃったから。
そのせいで、こっちに引っ越してきてからだって近所とのおつき合いを殆どしてくれなくて、心配で、心配でぇ。私のせいでノノが会話も碌にしてくれない引き籠りになって、お勉強ばっかりの頭でっかちで、皮肉っぽくて可愛げもなくて……。
最後に私に向かって素直に笑いかけてくれたのがいつだったのかも思い出せなくて悲しい……」
「後半、自分の愚痴になってるわよ」
まったく、と大袈裟に溜め息をついて見せたノノイさんは、その仕草にビクッと身体を震わせて可哀想なぐらい小さくなってしまった母親をギュッと抱き返しながら、自分にも言い聞かせるように語りかけた。
「確かに、この『目』には色々苦労をかけられたし、嫌な思いも、惨めなことも沢山あった。なんで私が、って思ったのも、一度や二度じゃない。
でもね、アイツが思わせてくれたの。全部が全部、無駄じゃなかったんだって。……そう、感じさせてくれたの」
そうなんだと、言葉になりきらない感情を噛みしめて、思い出される色々と共にゆっくりと味わうように目を瞑る。
必死になって目を見開いて、血眼にならずとも、これまでに優しく寄り添ってやれば、脳裏にも目蓋の裏にも確かにあるのは、こういうのでも良かったんだと頷ける光景。
ノノイさんは母親の肩に手を置いて少し離れながら目蓋を開き、淡く滲んできたそれらを母の姿と重ねて、目を細めて微笑んだ。
「だからね、きっと大丈夫なのよ。
辛いことも、苦しいことも、少し時間が経った後に、また泣いて、悩んで、……それから笑って。心が死ななければ、生きていくには上々よ」
その笑顔はどこまでも朗らかで、心の底から溢れてきたことになんら疑いようもなかった。
「それにね。こんな目でも、案外見えるものは多いのよ?」
そうつけ加えて、イタズラっぽく色を変えた笑みに、もう大丈夫なんだと分かってしまったのだろう。
鼻をズッとすすり上げ、これ以上の涙は見せまいと気丈に微笑んで返して、ノノイさんの手を握りながら一つ口づけを落とすと、母親の方から手を離して親父の脇に下がっていった。
それを見送ってから、ノノイさんは二人に背を向けて一歩踏み出した。
「……それじゃあ、行ってきます」
少し離れた位置に並んで立つ両親に向かって肩越しに振り返り、ノノイさんは咲き誇るような笑みで別れを告げた。
「今までありがとう」
決意も新た歩き出したノノイさんは、頑なに姿勢を崩さいまま待ち続けているガルドさんの目の前に歩み出ると、髪の輪を取り外し彼の首にかけようと目一杯背伸びをしたが、どう足掻いても足りない身長に、ガルドさんはまた喉を鳴らして身体を折りたたむように屈めた。
その時、ノノイさんの瞳が怪しげに弧を描いたように見えたのは、見間違いではないだろう。
ガルドさんの首に髪輪がかかるその瞬間、ノノイさんが跳び上がり、二人の影が重なった。
――オオォ!
辺りから興奮と冷やかしがない交ぜになった歓声が上がる。
その声に、ノノイさんは唇を離しながらしてやったりと、突然のことに抱き留めたまま固まっているガルドさんに向けて、食ってやったとばかりに得意気に口の端を吊り上げた。
「どうよ。実はアンタがガチガチに緊張してるのぐらい、お見通しなんだから」
クスクスと喉を鳴らしながらガルドさんの首に縋り、下から煽るような視線で覗いているノノイさんは既に勝った気になっているようで、人差し指を手に向けてピンと立て、教師のように高慢な声で諭すように言った。
「これに懲りたら、年上の私を敬って奉り、からかうのも程々にんぐぅ!?」
しかし、そんなノノイさんの油断をガルドさんが見逃す筈もなかった。
最早、勝敗は決し、栄冠は私の上に輝いていると、今にも高飛車に高笑いしそうな彼女を猛然と抱き寄せ、先程とは比べ物にならない、まさに食らい尽くすように濃厚なキスを繰りだした。
もがくように空中をバタバタと煽いでいたノノイさんの手が、負けを認めるように背中をバンバンと叩いてもガルドさんの猛攻は止まず、次第に弱々しくなっていった手は縋るようにガルドさんの服をキュゥッと握り締めビクビクと震え、最後には力なく垂れ下がった。
――oh……。
辺りから戦慄とこそばゆさがない交ぜになった感歎が漏れた。
――これ、絶対入ってるよね。
それも舌だけじゃなくて、ノノイさんが夢見心地にどっぷり浸りきってトリップしてるのも間違いない。
でも
その場にいる全員が固かったり生だったりする唾を飲み込みながら見守る中、ノノイさんが動かなくなってからたっぷり十秒はそのままでいたガルドさんが、ようやく身体を起こした。
ゆっくりと晒されたその顔は、成し遂げた漢のものだった。そして、色々と飛んじゃった女の顔だった。
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