41 オークの嫁取り④

 

 一部の隙もなく、今まさに決死の戦いを挑まんとする戦士の姿。


 彼の瞳からは並々なるぬ覚悟が噴き出ていた。


 そしてワタシに覚悟を決める時間を与えないあたり速攻で決めにきていて、彼を取り巻くバーサーカーにソウルしそうな気迫には顔を蒼くしながらドキドキが高まって止まないんだけど、ワタシ以上にドキドキが爆裂しそうで顔を真っ赤にしているノノイさんを見ると冷静になれる気がした。


「ノノイ・グライン・ベルグウィーク=オールグ!」


「……はい」


 ガルドさんの辺りを揺るがすような呼びかけに、ノノイさんは小さく金属同士を打ち合わせたような、耳にしたら思わず振り返ってしまいそうな澄みきった声で答えた。


 ――……小銭、って思ったワタシは心が安いんだろうな。


 でもお高くとまっているよりも、頭も腰も低く屈んで生きるのがワタシの信条で、背も低いのがワタシの現状だから、きっとお買い得ってだけなんだ。


 幼女に獣耳がついてナデり放題とかプライスレスが過ぎるのは明らかで、価格破壊から市場崩壊してワタシが自壊するしかなくなるから、どっちにしても犯罪臭しかしない。


 耳まで含めたならワタシより背が低いにも関わらず、毅然と直立しているノノイさんの姿は実際よりもずっと大きく見えて、それ以上に価値が大きいことも間違いないから、ストップ高でも止めきれないですよこれは。


 そんな爆上げ必至のノノイさんをまるっと貰っていくというガルドさんが、またも挑むように声を上げて一層険しく目をギラつかせた。


「汝、妻として我が元に嫁ぐことを望むならば、父に、母に、祖霊に。今この場を括目する全てに! 全霊を持って示すがいい!」


 その怒号にも似た声音はどこか固く、彼も相応に緊張しているというのがなんとなく伝わってきて、それが伝播したようにワタシまで全身を固くしながら繫がれている手をギュッと握り、固唾を呑んで二人を見つめた。


 ノノイさんがガルドさんの言葉を受けて前に踏み出す。それに付き従うように髪を抱えた二人も進み、その数歩後ろを親父オヤジがついて行く。


 その場にいる誰もが視線を縫い止められたように目を見開いていた。


 緊張に覆い隠されたのか、いつの間にか辺りからざわめきは消え去っていた。


 息をするのも慎重になっているような空気の中をノノイさんたちがゆっくりとおごそかに進んでいき、三メートル程の距離を開けて向かい合った。


 中腰になったガルドさんであってもノノイさんとの身長差は歴然で、彼女はその差を感じさせまいとしているように毅然とした態度で背筋を伸ばしているけど、それで身長が伸びることがないのは当然なのでぷるぷる震える程の背伸びは意味がないし、身の丈に合わないことをしているせいでどうしたって顔の赤さは増していた。


 それでもノノイさんはガルドさんに正面から挑み、彼の目を真っ直ぐ見据えようとしているのは見ていて分かり過ぎるぐらいだったけど、どんなに頑張っても斜め下からの上目遣いが正面にくることはないから、ワタシたちは今誰よりも通じ合っている気がする。


 ――世界の大きさを知るよね。


 でも、彼女は今からここを離れて、きっと色んなものを見聞きしながらもっと世界を大きくしていくことになるんだろう。


 そんなことを思って彼女を見ているとワタシまでこの世界に対する期待が大きく膨らんでいくけど、それは勝手が過ぎるし小さい癖に目線が上からなので、もう少しこじんまりする意識が必要だから自戒せずにはいられなかった。


 それでも、緊張も昂ぶりもこれからへのちょっとした不安も、全部ひっくるめて輝いているノノイさんの瞳の先に何があるのか想像せずにはいられなくて、ただ目を離すにはあまりにも力強い光だったから、目を細めずにもいられなかった。


 ――世界が変わっても、こういうのは変わらないんだな。


 小さな体躯に大きな意志を詰め込んで、現実と未来とに対峙するノノイさんは、ガルドさんにも引けを取らない強さを秘めていた。


 数秒の間、二人は見つめ合ったまま無言でいたが、ノノイさんが震えそうになるのを抑え込んでいるような、固い声を吐きだした。


「本当に、いいんだな?」


 何に対してそんな風に聞いたのかなんて、部外者でたまたま立ち寄っただけのワタシに分かる筈もないんだけど、その問いかけはどちらかというとノノイさん自身に向けられているように感じられた。


「ノノイ。御前が望むならば、何度でも言葉にしよう」


 それに対するガルドさんの答えは、なんとも笑ってしまうくらい簡素なものだった。


「御前こそ。我が妻に相応ふさわしい」


 でも、その短い言葉の中に全てが込められていた。


 何が込められていたかなんて察しようとする方がおこがましいし、それはどこまでいっても二人だけのものだから、ワタシたちはただ二人の間に確固たる繋がりがあることを見せつけられるだけでよかった。


 静かに染み入ってくる言葉に、これ以上赤くなったら燃え上がってしまうんじゃないかってくらいに顔どころか耳から首筋まで染めたノノイさんは、何か言葉を返そうと口を戦慄かせていたが、とても言い尽くせない感情が渦巻いていたんだろう。


 結局、何かを言葉にすることはできなまま、唇を尖らせてフイッとそっぽを向いてしまった。


 その様子にガルドさんが喉をグッグツと鳴らして笑ったのに、ノノイさんは元々鋭い目尻をさらに鋭角にしてキッと睨みつけた。


 もしもこちらに向けられていたとしたら、どんな高名な武道家よりも流麗な体捌きで腹を見せつけているくらいの圧だったから、ワタシは一命を取り留めた。


 しかし、そんな当てられたところに穴を撃ち抜かれそうな視線も、ガルドさんにとっては心地良いものらしく、もっと寄こせと言わんばかりに体勢を維持したまま首だけをぐっと伸ばしてノノイさんの瞳を覗き込んだ。


 ――勝ったな。


 勝敗は見ずとも分かりきっていた。


 五秒と見つめ合っていられなかったノノイさんが、ぐぬぬと悔しげに口を歪めながら逃げるように背を向けた。


 如何にも自分は怒っているんだと見せつけるように肩を怒らせて、少しばかり離れていく背中を見ながら、ガルドさんは先程よりも大きく、愉快そうに喉を鳴らした。


 その笑声を努めて無視しながらも若干頬を膨らませたノノイさんは、小さな歩幅を目一杯大きくして親父オヤジの前まで歩を進めた。


 親父は両腕を組んでむっつりと黙り込んだまま目の前の娘に硬い視線を送り、ノノイさんも先程までのラブっていてコメっていた波動は感じさせない面持ちで、その視線を受け止めた。


 二人の間にもやはり会話はなくて、ちょっとした空白が流れていった後、耐えかねたように親父が腕組みを解いて、腰に手を当てながら空を仰ぎ、大きく息を吐きだした。


「……アイツなら、大丈夫なのか?」


「正直、分からない。……でも」


 視線を戻した先にあった銀色の瞳に浮かんでいたのが、どんなモノだったのか。どう足掻いても外側のワタシには伺いようもないけど、きっと、何もかも認めざるを得ないような、そんな美しさがあったのは間違いないんだと、そう確信できた。


「アイツだったら、ううん、ガルドいいなって。そう思うの」


 今までずっと背負ってきた大きく重い荷物を、ようやく肩から下ろした時のように、親父は身体を折り曲げて地面に視線を落としながら、もう一度大きく息を吐きだして。持ち上がった顔には力の抜けきった笑みが浮かんでいた。


「分かった。今まで通り、好きにすればいい。バカ娘」


「ええ、好きにさせてもらうよ。頑固オヤジ」


 二人はそっくりな笑みを湛えあって、お互いを分り切った様子で別れを告げた。


 ほんの一時で静かに笑みをおさめたノノイさんが、両の掌を天に向かって見せつけるように持ち上げた。手は親父から見て大きく円を描き、水を受け止める時のように胸の前で手椀を作る。ノノイさんはまずその中を自ら覗き込み、それから静かに膝をつき、親父に向かって掌を差し出すように晒しながら頭を垂れた。


 その儀礼的な所作が終わるのと同時に、後ろに控えて髪を持ち上げていた岩人族ドワーフの女性がもう片方に髪を預け、屈んだノノイさんの背後に近づく。

 女性は子供にそうするように、布に覆われていない部分の髪を櫛で梳かしながら、何事かノノイさんに語りかけているようだったが、それに彼女が答えることはなく、子守唄でも聞いているように目蓋を閉じたまま動かなかった。


 髪を整え終えると、女性は銀糸でできた組紐のような物を取りだし、うなじの後で一まとめに括った。


 それが終わるのを待ち構えていたように、親父が懐から鞘と柄に精美な細工が施された小刀を取りだした。

 鞘に要はないとばかりに躊躇なく引き抜かれ、晒された刀身は、陽光を受けて燃えるように輝く赤い宝石だった。


 とても刃物としては上等とは言えそうもない見た目なのに、不思議と、あれなら切れる、そう思わせられる、ある種の神聖さすらあった。


 親父がノノイさんの金糸のような髪に刃を当て、一息に滑らせた。


 ――シャン


 静謐な神社の奥地、巫女が神楽殿の上を舞いながら、束ねた鈴を振り鳴らしたような、どこか寂しげな音色と共に、ノノイさんの髪が断ち切られた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る