第2話 HR

 学校とはサファリパークに似ている。

 囲われた広い広い檻の中、いくつかのゾーンに別れ、それなりに自由に、でも監視されながら、集団生活を営む。キヨミはそれが良いとも悪いとも思っていなかった。ただ厳然たるルールであり、良し悪しよりも、順応できるかが重要なのであって。


「でね、考えたわけよ。彼の好きなブランドって何かなって。相手は先輩なわけじゃん、あんまり図々しくすると三年生に睨まれるでしょ。だからさり気におそろにしてアピールしようかなって」

「それ名案かもー。あたしも試そうかなー」

「…………」

「でっしょ。だからさ土曜日、部活が終わったら駅ビル付き合ってくんない?」

「オッケー、ついでに五階で服も見てこーよ」

「…………」

「デート用の?」

「それはちょっと気ぃ早過ぎでしょー」

 キャハハハハ、と束の間、教室を制圧する甲高い笑い声が響き――ピタリと止んで。

「…………?」

 吉川チエこと『ヨッチ』と、三上モトコこと『ミカ』が放つ鋭い視線に、キヨミはようやく気付いた。

「話聞いてなかったっしょ?」

「キヨってば、ノリわるーい」

 あんたってなんかぼーっとしてるよね、そうだよしゃっきりしなよー、と、責めるような口調に、キヨミは己の失策エラーを悟る。


 三学期に入って数週間経過した教室は、どこか緩んだムードに包まれていた。石油ストーブが白々と燃えている、というだけの理由ではない。クラス替えから四つ目の季節を迎え、誰もが教室内でのポジションを獲得し、それなりにリラックスしていた。満足しているかどうかは別として。

 そしてキヨミもミカと共にヨッチの席を取り囲んで雑談に興じている最中だった。二人は級友であり、部活動――ソフトボール部――の仲間でもある。休み時間は大概一緒に過ごす、いわゆる『親友』だ。教室の移動も、更衣室での着替えも、トイレも一緒。ようするに、学校生活における最小単位の群のようなもの。群から離れては、囲われた檻の中とはいえ生き抜けない。

 二人の話を聞いていないわけでは無かったが、咀嚼できていなかった。キヨミは焦りつつも、落ち着けと自身に言い聞かす。おおよその見当はつく。女子中学生の最もクールな話題は決まっているのだ。

 ……ええと、モリムラ。いやそれは前の人だ、そうじゃなくて今は。リーチをかけた相手を前に、ポンジャンの牌を切る心持ちで、

「た、タカシナ先輩の話でしょ?」

 クールな話題――それはコイバナに決まっている。『タカシナ先輩』は目下、ヨッチの想い人だった。

 答えると、二人はアリバイが立証された容疑者を見る刑事のように胡乱な目付きをした。すなわち、ツッコミどころ満載、あやしさ満点、満場一致で余罪追及的な。

 キヨミが内心、狼狽しまくったその時。


「グッモーニング、エブリバディ、ハーワーユー!?」


 ガラリと戸が開き、ハイテンションな声が響く。

 三十台前半、当校では比較的若い部類に入る英語教師――担任の星野だった。まあまあハンサムで、なんとかという俳優に似ているらしく(芸能人にとんと疎いキヨミにはよくわからない)、生徒受けは良い。キヨミ自身は、この自信家で要領の良さそうな担任教師とはソリが合わないと一学期から思っていたが、今はその間抜け面も救世主のように見えた。

 キヨミとミカ含め、生徒全員が一斉に蜘蛛の子を散らしたように席に戻る。

 グッドタイミング、グッジョブ! キヨミは移動しながら心中、快哉を叫んだ。いつもなら口パクで無視するが、今ならアーイムファイーンと返してやるのだってやぶさかじゃない。

 その思考がダダ漏れしたのか、思わず笑みがこぼれた。ふいに星野と目が合う。休日はスポーツやっています的な浅黒い肌に、それとは対照的な真っ白い歯のコントラスト。慌てて頬を引き締めたが、恐らく見られてしまっただろう。恥ずかしさに、頭に血が上る。星野は一寸訝るような顔をしたが、何も言わず、出席を取り始めた。

 インフルエンザの予防接種、学年度末テストの日程、部活終了時刻の諸注意など、朝のホームルームは星野のアメリカン・ジョーク――微妙に笑えない薄味の――を交え、つつがなく進行した。

「今日は教室のワックス掛けをするから、掃除当番は放課後、着替えて集合すること。アーユーオーケー?」

 星野がそう告げると同時に、一限目の本鈴が鳴った。

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