第四章 兎、巣に帰る
約一ヶ月振りに地下施設から出て見上げた空は――黒かった。夜空である。
死ぬ前に僕の焦がれた青空は今頃地球の反対側。明日目覚める楽しみができてよかったね、なんて言ったいつきさんが笑いを堪えていたのは気のせいではない。
僕の家は大学のある彩崎市と同じ市内にあるけれど、市という括りもそれなりに大きい。彩崎大学は市街地の真ん中にあるけど、僕の家は山が風景に増える田舎寄りな住宅街の中にある。
経費で落ちるからといつきさんと共にタクシーへ乗り込み、家の住所を告げると運転手は滑らかな発進で目的地へ向かい始める。車窓から流れる風景はあまり見慣れないものだ。
大学のある都市寄りな町にはよっぽどの用事がなければこない。もっと幼い頃に何かしらの社会見学できたかな、というおぼろげな記憶程度だ。元々そんな活動的な性格ではなく、田舎といっても微妙に発展しているから日常に必要な物資を買い揃える程度なら不都合を感じたことはなく、わざわざ地元を離れて都市側へ買い物に来る理由がなかった。少なくとも僕には。
「緊張してる?」
後部座席、隣り合って座っているいつきさんからの問い掛けに、僕は少し間を置いて、それから首を左右に振る。
「特に。帰るだけなので緊張もなにもないと思いますけど」
「ははっ。うん、そうだね。帰るだけだ」
運転手は何も知らない一般人だ。ここで研究云々の話はできない。だからって強がりでもなんでもない。本当に何も感じていないだけなのだ。
それはそれでよくないのか、感動の再会シーンになるんだから。ぼんやりしている性質だと両親は知っている筈だけれど。
設定上、僕は彩崎大学附属病院の最新医療を受けてなんとか一命を取り留めてからリハビリ漬けの毎日を送ってきたことになっている。近しいことはしていた。あながち嘘でもない。
瀕死の僕を救うため、様々な治療が施された。その仔細までは伝えられないが、安全は保障するもののその費用は多額となる。それを僕は被検者として体で払っていくということを同意の下で行っている――そんな流れだそうだ。
患者を説得するのも医者の仕事だから口先の保証はしよう、といつきさんは詐欺師みたいな笑顔で言っていたけど、いいのかな、そんな風に言って。
「医師免許は持っているけど主に研究者としての面が強いからね、私は。藪医者とまで言われるほどではないと自負しているよ?」
「そりゃまあ、患者がいまここにいるんですから」
「うんうん。私の医者人生のためにも健やかに過ごして貰わないとね」
冗談なのか本気なのかわからない。どっちも含んでいる気がする。まだ短い付き合いしかないけれど、この人は常日頃から冗談と本気が同居しているような存在なので何事も程々に受け取っておいた方がいいようだ。
研究に対しては真摯だから、そういう意味では信頼している。いまのところ僕は鳥羽美兎と名乗ることに違和感を抱いていない。それが擦り込みだろうがなんだろうがそうしてくれたんだから、僕は僕でいつきさんに恩義は感じている。
それ以降は会話も少なく、運転手もお喋りな方ではないようで静かに窓から見える風景が田舎に変わっていくのを見守った。
見覚えのある景色に目を細める。夜で暗いけれど、数は少ないがぽつぽつと街灯が立っている。それに、僕の住む地域は年がら年中何かしら祭りをしていて、過疎化も進む田舎だけれど不思議と活気は失われない町でもあった。
住宅街に入ってからは僕が細かい道を指示して、遂に自宅横の駐車場へタクシーが停まる。それほど長居するつもりはないからといつきさんは降りる時にタクシーへ待機をお願いしていた。
「はい、これ君の荷物」
「どうも」
タクシーの荷台から降ろされたのは僕の通学に使っていたショルダーバッグ。彩崎高校は通学に使う鞄を指定していなかったから、僕は体操着を突っ込んだりしやすいように大きなものを使っていた。
制服は自殺した時にはちゃめちゃなことになったから新品となったけれど、バッグの中を確かめたら確かに僕が使っていた筆記用具やらなんやら、あと携帯端末も入っていた。ちかちかと明滅しているから迷惑メールでも溜まっているかもしれない。無難な表面上の付き合いはあったけど、わざわざ安否を心配するような友人はいなかったと思う。
バッグを肩に掛けた僕とスーツ姿のいつきさんは自宅の玄関前に立った。
「さあ、本番だ。覚悟が決まったらインターホンを押して」
ぴんぽーん。聞き覚えのある呼び鈴が鳴る。
「くれたまえって言おうとしたのに。せめて最後まで言わせない?」
「覚悟なんてものが無いので……」
「うーん、自然体! いいことだ」
ポジティブだなあ。
いつかのように親指を立てるいつきさんを横目で見ていたら、ばたばたと忙しなく足音が響いてきて、玄関のドアが開いた。
そこに立っていたのは鳥羽美兎の母親と、その少し後ろに父親がいて、僕は取り敢えず片手をあげる。
「ただいま?」
何でそんなに慌ててるんだと言わんばかりの様子に母さんと父さんは眉をハの字にして、擦れた息を吐いた。
こいつはこんな奴だった、といった風に。
「おかえり、美兎」
「うん」
「そちらが、天之先生ね?」
「説明してくれるってついてきてくれた」
「夜分遅くにすみません。主治医である天之いつきと申します」
にこり。営業医者スマイルを浮かべたいつきさんに、両親は頭を下げて家の中に上がって貰い、リビングへ案内した。
一ヶ月振りの自宅は大した変化もなく、記憶違いでなければ染みついた匂いも変わっていない。年単位で離れていたわけでもなければこんなものか。
ぼけっとしている僕の隣で淀みなくいつきさんが表向きの事情と解説をしている。僕は同意を求められたら頷いて、両親はただただスケールの大きな話についていくのがやっとのようだった。
これも詐欺みたいな手口だけれど、頭を置いてけぼりにするのだという。追々疑問が出てくる頃には辻褄合わせは済んでいるから、と。そもそも僕が〝退院〟できる時点で余程のことがなければ妙な点はないようになっているそうだが。
なにより僕が目の前でぼけぼけしていることで両親に「美兎が生きているからいいか」と思わせるのだという。僕のこれは意図的なものじゃないんだけど、それを利用する辺りやはり詐欺っぽい。
「それでは、何かありましたら此方へご連絡下さい」
机に名刺を滑らせて差し出し、話は済んだといつきさんが席を立った。何もお構いできませんで、いえいえ、なんてお約束のやり取りをしていつきさんは玄関で靴を履くと僕へ振り返る。
「じゃあ、美兎君。次の定期健診まで元気でね」
「はい」
最後に笑顔を残し、いつきさんは家を出ていった。見送りもいらないと言っていただけあってすぐにタクシーのエンジン音がして、遠退いていく。
暫し玄関で立ち尽くしていたけれど、両親と顔を見合わせてぞろぞろとリビングへ戻ってみた。
「天之先生が言っていたことは本当なの」
「うん」
定位置の席に着いた僕へ母さんがまだ夢でも見ているかのように問い掛ける。僕はなんてことがないように頷いた。
全部が全部嘘ではないし、真実でもない。虚実織り交ぜるのが上手な嘘の吐き方だよ。いつきさんの明るく胡散臭い笑顔が脳裏に浮かぶ。
「轢き逃げ犯の足取りもわからないっていうのも」
「実質お手上げ状態だって」
だっていないからね、そんな人。でも僕が轢かれたとされる場所で実際に証拠探しが行われたそうだ。辻褄合わせのためとはいえ、警察の皆さんには罪悪感がある。
僕が自殺しなければよかったのかもしれないけど、それを言うわけにはいかない。僕はこうして生きているし、生きねばならない。
「美兎は、轢いた奴が憎くないか」
「憎い……」
父さんの重いトーンで紡がれた言葉に首を傾げそうになる。
難しい感情だ。まだ人工知能としては成長が追いついてない部分で、単純な怒りとも違うし、複雑ではあるんだけれど僕はいずれ「憎い」と言えるようにならなければならない。
ただ事故が実際になかったことに加えて、僕は目覚めて日が浅い。どうやっても憎いという感情がわき出てこなくて、憎い、憎しみ、と繰り返している内にダットが悲鳴をあげた。
「にく、おにく……親子丼?」
すっ飛んだ言葉に両親は無表情に固まった後、肩を落とした。生前、親子丼は僕の好物だった。
ふざけるなと怒られるかと思ったら両親は次第に笑い出す。
「先生はもう何でも食えるって言ってたな」
「うん。食べ過ぎはだめだけど」
胃の代わりをしている機器の容量オーバーはしないように、とは言われている。そうでなければ後で圧縮されて固形物になったものを取り出せば何でも食べていいそうだ。添加物とか分解して固形肥料になるそうだよ!
僕の体内で何してくれんだと思わなくもないけど堆肥とかもあるし太陽心臓とかに比べれば大した機能じゃない、と説明された。ぐうの音もでない。
今日の夕食は済んでいるし、明日材料を買って夕飯にしてくれるという母さんにお礼を言って、少ない荷物を持って自室へ向かう。
掃除機を掛けていたという僕の部屋は、気温とは別にひんやりしていた。住人がいなかったからか、生活感がここだけ薄くなっているのかもしれない。
ベッドへ腰掛けてバッグの中から携帯端末を取り出す。受信箱を開いてみたら予想通りタイトルからしてあからさまな迷惑メールが何通か届いていた。指をスライドさせて削除操作をしていると、一つだけちゃんとした相手からのメールがあった。日付を確認をすれば僕が自殺した、その数日後に送られてきている。
タイトルは白紙。本文も「大丈夫?」という短い一文だけ。他に言葉が思い浮かばなかったんだろう。入院するぐらいの事故に遭ったことになっているんだから。
彩崎高校は健全な精神を育てるためとかいう理由で部活動への所属がほぼ強制されている。体力はそれほどなく、協調性もない僕は廃部寸前のそこへ転がり込んでいた。
合唱部。二年生で男子部員は僕だけ。みんながほぼ幽霊部員という有り様。伝統という歴史だけで首が繋がっているような部だ。部費なんて毎年雀の涙だという。
兎に角、そこで消去法といえるが副部長となっている女子生徒から短いメールが届いていた。義理堅いというか真面目なので僕が事故に遭ったと聞いて一応の連絡をくれたのだろう。
しかし日付がかなり前だし、今更返信するのも変かなと僕はそのメールを閉じた。どちらにせよ、今日は土曜日で明日の日曜日を挟んだら月曜日から早速登校が再開される。その時にお礼を言えばいいだろう。
「学校という場はよくもわるくも感情が渦巻く場所だぞう? そんな試験場放っておくわけには勿体無い。というわけでさっさと復帰するように。できるだけ青い春過ごしてきてね!」
灰色の春送っていたから自殺した人間にいつきさんも無茶を言うものである。微かに笑って、僕はベッドに背中から倒れ込んだ。
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