第二章 兎の足は幸運のお守り
僕――鳥羽美兎という人間が選ばれたのはそれこそ偶然だったらしい。いつきさんにはひょっこりわいた幸運とか言われた。自殺を幸運と称する人はそういない、というか表沙汰にしたら反感を買うだろう。
主治医と語ったいつきさんは色々資格を持っていて、メインが精神や脳科学、つまり心の在り処。鳥羽美兎という人間の記憶を人工知能へ移行するのが主な仕事だった。
この体は一つの大きなプロジェクトによって形となったもので、義手や義足、人工筋肉、クローン製造と様々な研究や技術が関わっているそうだ。採算を度外視して造られたプロトタイプだよ、といつきさんは言う。
テスターというか、被検体というか、試験段階で表向きには実用までこぎつけていないものが殆どだとか。
「ぶっちゃけると君に選択権はない。言った通り表沙汰に出来ないことばかりだから嫌だと言ったら即刻〝君〟は機能停止せざるをえないわけだが、そうなると大変な金額が無駄になる。鳥羽美兎という人間は亡くなっているから支払えるわけもなく、負債は……鳥羽美兎の両親にでも請求するしかないかもしれない。一生を掛けても払い切れない金額だろうが」
「勝手に被検体として選んだのにも関わらず?」
「うん。犯罪だとか人道だとか君の遺体を頂戴した時から些事だぞう? 脅迫の一つや二つ、今更さ」
いっそ清々しいなと思った。怒りもわいてこない。それとも僕が人工知能だから感情がないのだろうか。
素直にそれをいつきさんに伝えてみれば、彼女――正式に女性だと聞いた――は、ふむふむと鼻を鳴らす。
「育ててくれた親に対する不義理を嫌悪するのが記憶によるものか、感情によるものか、植えつけられた常識によるものか……そもそも記憶を自分のものとしているのか、まだ起きたばかりじゃなんとも言えないからね」
「はあ」
「うーん、じゃあこういうのはどうだろう。君に使われている技術が〝安定したもの〟だと実証されたら世界貢献が出来る」
一気に規模が大きくなった。いや世界中の研究者達がこのプロジェクトに関わっているらしいから妥当なのだろうか。
「君はいまのところ問題無く手足を動かせているね? これは義肢を必要としている人達にとってビッグニュースだ。なにせ〝自分の手足〟が手に入る可能性が飛躍的に高まる」
「ああ……成る程」
産まれつき四肢が欠損していたり、事故や戦争で手足を失う人は多い。その人達にとって言葉通り〝自分の意思で動かせる〟手足が手に入るとなれば嬉しいだろう。
犯罪から一転、世界的慈善事業だ。いつきさんは暗い所などないとからから笑った。本気で言っているようである。天才の思考は凡人には理解が及ばない。
「君個人にとっての利益は……青空がもう一度見られるよ、とかどう?」
ぴくりと指先が動いた。鳥羽美兎の記憶を移したというならその最期に焦がれたものもこの人は垣間見たのかもしれない。
不愉快、とまではいかないものの死因が「空に見惚れて」なんて間抜けにもほどがあるだろう。むず痒い。恥ずかしい、のだろうか。感情の一端があるかどうかのテストなのかもしれないが、どちらにせよ上手く利用されるようですっきりはしない。
けれども既に言われた通り僕に拒否権などない。溜め息を吐いて、なるべく前向きに思考を切り替えることにした。
「この体って、エネルギーとかどうなってるんです。まさか人間みたいに食事を摂って消化して、とかではないんでしょう」
「お、いい質問だ。永久機関って言葉に興味はある?」
またとんでもない言葉が飛び出てきた。
外部からのエネルギー供給を必要とせず、機能を果たし続ける仕組みや装置。でもそれこそ熱心な研究の末「不可能である」と言われたものの筈だ。それほど賢くない僕でもそれくらいは雑学として知っている。
「実現したんですか」
「残念ながら。ただ、それに近しい装置が組み込まれているよ」
実質半永久的なエネルギー。普通の人間なら誰だって一度くらいは見たことがあるもの。そう言っていつきさんは天井を指差した。
より正確に言えば、天井を突き抜けた先、僕が焦がれた空の更に先にあるもの。
「……太陽?」
「うん。ソーラー電池じゃないよ。核融合炉に近いとかなんとか?」
またさらっとそれはそれでとんでもない言葉が出てきた。不可能ではないとされ、いつかは為せると言われてはいるが実現していない技術である。……表向きは。
だからこそか、と納得してきている自分、順応能力の高さはこの体の性能故なのか、鳥羽美兎の性格由来なのかいまいち自信がない。
「でもあれは、仕組みとして巨大にならざるをえない代物じゃありませんでしたっけ」
「私は直接関与してないし、研究者なんて大体が秘密主義だよ。名称が≪
なんという。ぞっとする機構が盛り沢山ということしかわかってこない。
「食事は疑似的に可能だよ。後で取り出さなきゃだけど。味覚も再現されてるからね、そこは私もちょこちょこ関わったから是非協力して欲しいな」
「ええまあ、飲まず食わずでいたら疑われますし……そういえば、自殺から一週間って言ってましたけど、親とかへの説明は?」
「帰宅途中轢き逃げに遭って、意識不明の重体。面会謝絶状態で入院中――ということになってるけど勿論嘘だ! 安心して。病院には鳥羽美兎が入院している部屋があるし、警察にも根回しは済んでるから!」
綺麗な笑顔で親指を立てるいつきさんだけど、どこをどう安心すればいいんだろう。というか、警察もグルなんですね。そうですよね、死体持っていってるんだからそこら辺も根回しがあって当然だ。
何を信じればいいのかわからなくなりそうだと思ったけど不意に思考が回る。いつきさんが本当に僕を人工知能として役割を果たすように作っただけなら、疑問を持ったり不信感を抱かないようにする筈だ。
この人はこの人で、精一杯真摯に僕を鳥羽美兎という人間にしてくれようとしている。
「なあに? 疑問は次から次へと出てくるだろうから幾らでも付き合うよ」
にこにことしているが、よく見れば目の下にはクマがある。一週間というのはかなりハイペースだったのではないだろうか。
脳というものがどれほど保存できて、その記憶の入れ物を移しかえるという作業がどれほど困難なものか僕には想像もつかないけど。
でも、この人は、どれだけ打算があろうともいま〝僕〟がいられる理由なんだ。
「この先何をすればいいんですか」
「特にこれといって。ほら、さっきも言ったけど義肢とか普段の生活で不都合が出ないかとか、他にも説明してない機能があるからその都度ね。何かあったら連絡が欲しいし、何もなかったらそのままでいい」
「僕は――鳥羽美兎でいいんですか」
「繰り返すけど、証明していくしかない。大丈夫さ、君が化物だと呼ばれたら私もただの犯罪者だ。一緒に首を吊ろう。……あ、いや、君頑丈に造られてるからちょっとやそっとじゃ死なないや。次の自殺方法でも考えておくよ」
「あはは」
薄情なんだか、情に厚い人なのか、本当によくわからない。わからないことだらけだ。
だけど、彼女なりのブラックジョークなんだと笑えるくらいには、いつきさんのことを信じられている。いまはそれでいい。
「いつきさん。僕の……鳥羽美兎じゃなくて、この体の名前ってないんですか」
「ボディ名称? プロジェクト名はブレイクだから便宜上はブレイク・フォウと呼んでたね。四体目とか」
「ブレイク?」
他に最低でも三体あるのかとか気になったけれど、何故ブレイクなのかと首を傾げればいつきさんはシンプルな理由だと笑った。
「いままでの常識を打ち破るとか、打ち砕くとか、そんな意味を込めて。けど君のことは私が請け負ったんだ。名付けるなら……やはり、ダットだろう」
「……それって、もしかして逃げ出すって意味の……」
「美兎という名前から引き継ぎつつ現実から逃げ出した〝彼〟である〝君〟にぴったりでしょ。うん、君はダット・ブレイクだ!」
この人の前で下手なことは言い出さない方がいいかもしれない。
皮肉でもなんでもなく、嬉々として名付け親になってくれたいつきさんに、鳥羽美兎という皮を被ることになったダットという〝僕〟は深々と溜め息を吐いた。
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