ブレイヴ・ブレイク
小鷹狩蛍
第一章 兎は空見て跳ねた
最期に見た空が、焦がれてしまうほど綺麗だったのは覚えている。
物心ついた時から僕は逃げ出すことが癖になっていた。
同世代の人間にからかわれれば走って逃げて、嫌なことがあれば意識の殻を作って外界から逃げて。
立ち向かったりする気力なんて僕にはなくて、その性格を変える大きな転機もなくて。
ぼんやり何もかもから逃げていたらいつの間にか人間関係で孤立していた。それは自業自得というもので誰を責めるものでもなく、強いて言うなら自分自身しかないだろう。
だって向き合うのって、面倒臭いし。ある程度大多数の意見に合わせて流されていればいい。そう思っていた。
気が付いたら自分が在籍する高校の、原則立ち入り禁止である屋上に忍び込んでいた。逃げ出すために校則というものへ立ち向かう。最後に変な矛盾を抱えた僕は落下防止のフェンスをどっこいしょと乗り越える。
人の視線を避けるために伸ばしっ放しにしていた前髪が遮るもののない高所の風で揺れ、開けた視界に空が映る。その日はよく晴れていて、青天だった。久し振りに見た気がする青空というものは、思わず手を伸ばして求めてしまうくらい綺麗で。
結果、身を乗り出した僕は極々自然に重力へ従って、地面に落ちていったのだ。
僕は死んだ。その筈だ。人間は頑丈かつ脆い生き物なので文字通り〝当たり所〟によって生死が分かれるけれど、ちょっとした想定外もありつつ死のうと思って落ちたんだから、死んだのだ。ぐしゃっといった記憶というか、感触というか、思い出すだけで色々危ういものもぼんやりと覚えている。
じゃあ、この覚えている僕は、何なんだろう。
周囲を確認する。病院の一室のようで、学校の理科室にも似た雰囲気の部屋だ。足して割って、手術室……というと語弊がありそうだけど。病室ほど清潔感に満ちてはいなくて、理科室ほど怪しげな雰囲気はない。
僕が寝ていた――体を横たえていたのは普通のベッドで、これは一般的に病院で使われているような質素な物だ。リクライニング機能とかはついていない。どちらかというと、死体安置用の……やはり僕は死んだのだろうか。
でも試しに腕を肘から曲げてみたら自然とそのように動いたし、指先まで思いのまま。損傷も見当たらない。
「無事に目覚めたようだね。結構結構」
膝も曲がる、爪先も、と確認を続けていれば部屋のドアを横へスライドさせながら入室者がやってきた。
医者というより研究者としての白衣という印象を受ける。警戒させないためかにこやかな笑みを浮かべ、逆にそれが胡散臭いな、とも感じられた。
女性のように見えるが男性と言われればそうなのかと納得も出来る。聴覚へ届いた声も中途半端でどちらかと問われれば首をひねるしかない。
いわゆる中性的なその人は、僕の傍までやってくると右手を差し出してきた。握手のためだと一拍遅れて理解して、それを受ける。
「私は君の主治医とでもいうべき人間で、
短い一文の中にも言い回しが気になるところが多くあったが、取り敢えず返答はしておく。
「……
美しいウサギと書いてミト。男なのに女みたいな名前、兎野郎、とからかわれてきた。
何でこんな名前なのかと親に訊ねたことは当然ある。そうすれば両親ともにウサギが好きで、男女どちらが産まれてもあまり問題がなさそうな名前だと思ったからと言われた。実際は散々からかわれたが、親に文句を言ったことはない。名前は切っ掛けではあったかもしれないけど、僕自身がからかいやすい性質を持っていたのだろう。
少々苦い思い出を振り返りつつ名を口にした僕に、いつきと名乗ったその人物は満足そうに頷いた。
「うん、間違いではない。では色々訊きたいことがあるだろうが恐らく君が一番気になっていることを最初に答えておこうと思う」
「はあ」
「鳥羽美兎という人間はもう死んでいる。よって、君は厳密に言うと鳥羽美兎ではない」
いつきさんの言葉に衝撃を受ける――かと思えば、そうでもない。ぼんやりそうなのかと把握する。嘘だと否定する材料もないし、僕の記憶は死んだ筈だと訴えていたのだから。
けれどならば、ここに在る、思考している僕は誰なんだろう。
再び浮かんできた疑問に、いつきさんはそれもわかっているとばかりに頷いて、僕の体が満足に動くことを確認して、部屋の外へ案内を始めた。
白い壁、落ち着く色合いの廊下。病院だろうかとも思うけど僕ら以外に人の気配は感じられない。研究所と表現した方が近いかもしれない。
「一週間程前、鳥羽美兎は在籍する彩崎高等学校の屋上から飛び降りて自殺した。肉体は大きく損傷、急所の首はぼっきりと折れ、ほぼ即死だったと言っていい」
僕の先を歩くいつきさんは淡々と説明をしてくれている。それは僕の記憶と違いなかった。
「ここから君の知らないところだが、高校に企業説明会の打ち合わせで来ていた私は偶然、鳥羽美兎がひしゃげて死んだところへ出くわした」
企業説明会。主に高校から進学ではなく就職を進路とする生徒達へ向けて、自分達の会社はどうですかとアピールする機会だ。そういえばそんな予定があったなと僕も思い返す。
「その遺体を私は頂戴した」
「頂戴した……」
オウム返しした僕に、いつきさんは首だけ振り返って悪戯っぽく笑いながら人差し指を唇の前に立てる。内緒だよ、という仕種だ。
思い切り犯罪行為だが、それを揉み消すだけの権力や繋がりがこの人にはあるということだろう。
「私は〝心〟というものを主に扱う研究者でね」
「こころ、ですか」
「感情でもいい。君は自分の思考が何処に在るか考えたことはあるかい?」
なんとなくいつきさんの言いたいことに察しがついてきたけれど、いまは素直に質問へ答えることにする。
「記憶から形成される性格でしょうか」
「うん、無難だ。じゃあもし、記憶だけをコピーした何かがあればそれは〝君〟と言えるかな?」
答えが咄嗟に出てこなかった僕の前で、いつきさんはプロテクトの溝にカードキーを滑らせた上で暗証番号を入力し、一つのドアを開く。薄暗いその部屋へ躊躇なく踏み込んでいくので、僕も続いた。
少し奥へ足を進めると、薬剤が混ざっているのか色のついた水溶液で満たされた容器の中に「鳥羽美兎」の遺体が浮かんでいた。確かに損傷が大きく、首にも折れた痕が見える。死んでいる。間違いなくこれは死んでいる。
容器の前で振り返ったいつきさんは、優しく微笑みながら口を開いた。
「改めて説明しよう。君は最新技術をこれでもかと使われた新世代の人間だよ」
「人間……なんですか?」
「それをこれから実証していく。人間を真似た機械になるか、人道に反した化物になるかは君次第というわけだ」
いつきさんはそう言って朗らかに笑った。
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