(4)

「ハル…起きたのか」

「うん…洋平がうるさいから」


 晴彦は浩一郎の問いかけに答えながら、洋平に向かって悪びれる様子も無くあくびを繰り出した。大口を開けてふわぁぁと欠伸すると、晴彦の整った顔が変な具合に間延びして、なんとも滑稽だ。しかし晴彦はそんなことにはかまう様子もなく、次いで柔らかな髪を手ぐしでかきあげた。


「ハル、言っとくけど僕はいつでも本気なんだよ?普段から切りつけまくってるカズと一緒にしないでよ。それからね、いつも言ってるけどそれは僕のカウチ。僕が気に入って買ったんだから、そこで寝ないでよね。まったくもぅ」


 晴彦に釘を刺すのを忘れず自らを正当化する洋平の言い分は、一成の指摘した事実とさほど変わらないように思える。ほんの少し言葉を変えただけで、途端に洋平が正当化される事に一成はあきれて肩をすくめる以外ない。


「お前はただ女好きなだけだ。女なら犬でもいいんだろ?」

「そんなわけないでしょが。でもね、女の子が好きってのは否定しないよ。ニコニコしてると癒されるし抱いてると気持ちいいし、それにえっちがうまければなおいいね」


 一成の暴言を間髪いれずに否定すると、洋平はにこやかにえげつないことを言い放った。誰を思っているのか、抱きしめたクッションに数回頬ずりしてから洋平がふっと上目遣いに一成を見つめた。


「カズだって嫌いじゃないくせに。嫌なのは女の子じゃなくて、騒がれることでしょ?」

「うるせぇ」


 洋平の言葉に片眉を上げた一成に、クッションの向こうから黒目がちな大きな瞳が挑むような笑みを向けていた。


「ま、確かに、カズがにっこり笑って女の子と歩いていたら、みんな卒倒するだろうけどね…あ、でも、もしその決心がついたら僕に言ってね。天変地異が起こる前にどっか安全なところに避難するからさ」

「洋平、そのへんにしておけ。カズにはカズの言い分もある。一方的に押し付けられる気持ちの重さなら、お前も十分知ってるだろう」


 浩一郎にたしなめられると、洋平はむっと頬を膨らませて腕を組んだ。


「ちぇっ…浩はいっつもカズの味方ばっかりしてさ…僕はただ、眉間にしわ寄せてないで、たまには手紙の一つも開けてあげたらいいじゃんって言ってるだけだよ。浩だってそう言ってたじゃん」


 子供のようにクッションを抱えたまま頬を膨らませている洋平に、一成は埒があかないとばかりに小さく吐息をついた。


「そんな必要ない。毎日毎日動物園のパンダじゃあるまいし、欠伸したぐれぇでじろじろ見られたらいらいらもしてくんだ」

「カズはパンダなんてかわいいもんじゃないよ~、いいとこ虎かライオン。ぜったい肉食獣だって」


 洋平が一成をそう揶揄し少し得意げに鼻を鳴らすと、そのあとを引く継ぐように珍しく晴彦がにやりと笑った。


「カズは…黒豹」

「うんうん、ハル。そんな感じ、そんな感じ」


 洋平が晴彦に同調し悦に入って何度もうなずいていると、そんな洋平の向こうで晴彦がまた大きな欠伸を繰り出していた。


「勝手に言ってろ」


 一成は好き勝手に言い合う心無い友人の会話にすっかりふてくされ、そっぽを向いて昼寝を決め込んだ。窓の外では帰宅を急ぐ生徒の波がピークを迎え、明日からの長い休みを謳歌しようと若々しい笑い声がこだましている。一成が帰宅するにはまだ少し早いようだ、一成は麗らかな春の陽射しに瞳を閉じた。


 一成がソファに足を投げ出し空を見上げ、浩一郎は新聞へ視線を落とし、晴彦はまた陽だまりで小さな寝息を立て始めている。一成はいつもと変わらぬ放課後の光景の中で、洋平が呟くのを聞くとはなしに耳にしていた。


「あ~…そろそろ髪きりいかなきゃなぁ…」


 洋平は少しクセのある栗色の髪に人差し指を絡め、口を尖らせている。こうして誰にともない独り言を呟きながら、その実相手にして欲しがっているだろうことは一成にもわかっていた。けれど多少なりともふてくされた思いの残る一成は、ただ青い空を見つめて返事の代わりに少し長めに息を吐いた。


「ね、カズ…どっかいいとこ知んない?」

「あ?」


 一成は青空に浮かぶ霞むような雲を眺めていた目を室内に戻すと、一瞬目がくらんだようにその瞳を瞬いた。洋平はその一成のしぐさをどうとったのか、前髪に絡めていた指先でその髪を軽く引きながら身を乗り出した。


「だからさ、どっか綺麗なおねぇさんのいる美容院知らないってきいてんの」

「俺が知ってるわけねぇだろ」


 特に注文のない一成の髪を切るのは近所の理髪店の無口なオーナーだ。一成のそっけない返答に頬を膨らませた洋平は、ちぇっとわざとらしいほどの舌打ちをしてソファにぼすっと体を沈めた。


「そだよねぇ…カズの頭ならどこで切っても一緒だよねぇ。でも僕はさ、できれば綺麗なおねえさん美容師さんに切って欲しいんだよねぇ」

「うるせぇな。だったら今まで行ってたとこ行けばいいだろ」

「ユリちゃん綺麗なんだけどさ、最近ちょっと面倒なんだもん」

「…ユリ…?ユリって…だれだ?」

「前にLIvRAであった子だよ。美容師さんでさ、上手だし…あ、髪もエッチもどっちもね」


 洋平はご丁寧に一成に囁くように声を潜めながら、聞いてもいない情報を合間に挟み込みそ知らぬ顔で体を離していく。一成はそれにはいけすかない表情を浮かべて肩をすくめ、洋平のいやらしい口元を睨みつけた。


「カズも会ったけどね、どうせ覚えてないんじゃん?」

「うるせぇな…」


 一成の頭は興味のないことを覚えるのを自然と拒否するのか、自分の関心のない異性の名前や人の名を覚えることができない。そのほうが自分には都合がよいし、いちいちわずらわしい思いをすることもないけれど、一成は洋平に分かった様に言われたことには舌打をもらした。


「女が面倒なら別れて他に行けばいいだろ」

「別れるってか…もともとつきあってないからねぇ。なんかちょこちょこ彼女面されちゃうのがさ面倒なんだよね」


 わかるでしょ?そんな風に洋平の瞳が一成を見つめていた。一見純真無垢なその唇から飛び出した言葉の質を思うと、一成は洋平に少し非難めいた感情を抱きそうになる。けれど、それを口に出来るほど自分も聖人君子ではない事に行き当たると、一成は小さく吐息をついて手近な雑誌を手にとった。


「じゃあまた新しく髪切ってくれる女を探せばいいんじゃねぇか?」

「だよね」


 雑誌にも洋平にも興味のない一成の返事にも関わらず、洋平は一成の言葉に嬉々として体を乗り出してきた。その洋平の瞳には一成の歓迎しない輝きが宿っていて、一成は洋平の次の言葉が出るのと同時にすでに自分が何を言うか決めることができた。


「じゃあさ、カズ。今日付き合ってよ」

「やだね、めんどくせぇ。お前の女漁りに付き合ってらんねぇよ」

「やだじゃないよ、自分が言ったんじゃん?新しい恋を見つけろってさ。カズもそろそろ遊びたい時期でしょ?」


 一成は洋平の指摘に手にした雑誌をぱらぱらとめくりながら小さく舌打するだけだった。それを肯定と受け取った洋平は一成へ満足げな表情を浮かべて、浩一郎と晴彦を振り向いた。


「浩もハルもだよ」


 洋平の当然のような口ぶりに晴彦は寝たふりを決め込み、浩一郎は眉をしかめ新聞から目を上げて洋平の誘いを断るべく即座に口を開いた。


「いや、俺は…」

「分かってるって、奈緒ちゃんには内緒にしとくから。たまには彼女ちゃん以外の乙女もいいんじゃない?」

「だからそういうわけじゃなくてだな…」

「明日から春休みじゃん。浩とカズは2年から理数系にいくんでしょ?クラスも別れることだしさ、一年お疲れ会だよ」


 クラスが云々というくだりはただの言い訳だと分かりきっている、洋平は浩一郎の小言を皆まで言わせるつもりはない様だ。浩一郎が有無を言わせぬ洋平の勢いに、肩をすくめて首を振っているのを尻目に、一成は不毛な浩一郎の努力を悼みながら小さな吐息混じりにそっと瞳を閉じた。


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