(3)

 あれからもう3年になるんだな、一成はふと思い浮かんだ光景を懐かしく思いながら、同時に少し思い出したくない過去の記憶に触れていた。成長期に入り急速に身長が伸び、痩せ型で筋肉の少なかった体がサーフィンで鍛え上げられていくと、一成の人気は絶対的なものとなっていった。

 しかし、光があれば影があるように、一成の人気も知名度も上がれば上がるほど、一成の体には喧嘩の痕跡が徐々に増えていくようになった。病院に世話になることは日常茶飯事、警察沙汰になりかけたことも一度や二度ではない。


(―あの頃はほんとに、やばかったな、俺…)


 一成はその頃のことを思い返すと少し肌が粟立つ思いがする。ちょうど勇次にサーフィンだけでなく、LIvRA《リブラ》というクラブで遊ぶことを教えてもらっていた時期でもあったし、思春期のストレスを発散する方法も伝授されていた。同じクラスの女子で一番の美人は誰か、そんなことに盛り上がっている同年代の男共の子供っぽさについていけなくて当然だった。


(―そういえば洋平と初めて口をきいたのは、学校じゃなくてLIvRAだったな…)


 同じ学校同じ学年、向こうは一成を知っていたようだ。勇次に引き合わされた菱谷洋平は、好奇心旺盛なとび色の瞳と小柄な体に、狡猾さを称えた口元を人の良さそうな微笑みで隠したいけ好かない男だった。


「君は僕とははじめましてだろうけど、僕はね君の事知ってるよ。超・有・名・人だもんね」


 洋平の何かを含んだ物言いに、一成がかっと頭に血が昇りそうになったのを勇次が慌てて止めたのをいまでも覚えている。やなやつだなと思ったのが、洋平の最初の印象だった。


(―ま、あいつはいまもあんまかわんねぇか)


 身長も中身もあまり変化のない洋平を思い出しながらふっと笑みがこぼれたそのとき、一成が入ってきたのと同じ扉が勢いよく開かれた。



「カズ~、いるんでしょ?ずるいよ~僕たちおいてさっさとさぼって~」


 開口一番不満を撒き散らすのは洋平以外にありえない。一成は眠れないながらも穏やかに過ごしていた時間を邪魔された気分でおもしろくなかったけれど、洋平を迎え入れるようにソファに体を起した。


「俺がいると式がスムーズに進まないからな、自主的に辞退してきたんだ。そういう洋平こそさぼりだろうが」

「失礼だね~、僕はちゃんと最後までいたよ~。終わったから来たんじゃん」

「え…そうか…?もう、終わったのか?」


 一成は瞬きながら不満にぷっと頬を膨らませた洋平の顔と、その向こうの壁掛け時計を交互に見比べた。時計の針は一成が思った以上に動いていて、案外と長く物思いにふけっていた事にようやくその時気がついた。


「よお、カズ。よく寝れたか?」


 洋平のふくれ面の後ろから浩一郎が苦笑を浮かべつつ、一成の視界にとまる様に手にした色とりどりの封筒をちらつかせた。


「学期末だからだな、いつもの倍はある。たまには読んでやったらどうだ?」


 浩一郎は無駄な進言と分かっていながら、ざっと数えても30通以上はありそうな手紙の束を一成に差し出し肩をすくめて見せた。いつも机やロッカー、部室の扉に挟まれることの多い一成への手紙、一通一通拾い集めるのがわずらわしいからと部室の入り口にポスト代わりの簡易の箱を用意したのは浩一郎だった。一成は朝一度回収したにもかかわらず、凝りもせずに集められたその手紙の束を睨みつけ、浩一郎の手から奪うようにそれらを受け取った。


「ち…めんどくせぇな」


 一成は浩一郎ではなく手紙の束に舌打ちしながら、いまいましい存在を早々にゴミ箱に投げ捨てた。この瞬間、あまたの乙女が趣向を凝らし想いのたけをこめただろう手紙は紙くずとなる。浩一郎はそんな切ない想いの結末に少し眉根を下げながら、朝に読みきれなかった新聞を手に取った。


「まあお前宛の手紙だ、受け取ったお前がどうしようと自由だ」


 一成の毎日の苦労と葛藤を知っていながら、一方で一成を想うあまたの生徒の気持ちも察してしまえる。浩一郎は新聞に視線を落としながら、ほんの少し一成を攻めるような口調になったことに自ら顔をしかめた。


「どういう意味だ」


 浩一郎が言い放った言葉の棘に、一成がぴくりと眉をしかめていた。


「まあまあ、これももてる男の宿命ってやつだよ、ねぇ?」


 二人の重い空気を一蹴して、洋平が自分あての手紙の束で顔を仰ぎながら嬉しそうにふふっと微笑んだ。


「カズも僕を見習った方がいいんじゃない?別に全員抱けって言ってるわけじゃないんだからさ、手紙くらいにっこり笑って受け取ればいいんだよ。そんでさ、たまに味見してみたら、いつもと違う新鮮さがあって案外いいかもよ?」

「新鮮さ…?」


 洋平の言葉の意味を図りかね一成が眉根をしかめると、洋平は口角を引き上げ秘め事を囁くように一成の耳元へ手をあてがった。


「そ、やりなれたお姉さん達じゃ味わえない乙女の味だよ」

「何言ってんだ、そんなの面倒なだけだろ」


 遊びと割り切れない女を相手にするなど考えただけで恐ろしい。洋平にそそのかされるまま味見などしようものならいったいどんなことになるか、一成がゴシップ好きな洋平のそそのかしを一蹴すると、洋平は一成にだけ聞こえるようにまた声音を落とした。


「食わず嫌いはよくないよ。鼻つまんで食べてみたら女子高生もおいしいかもよ?ほら、この子とかさ…結構かわいいでしょ?」


 わざとらしく鼻をつまんでひそやかに囁かれたはずの洋平の言葉は、今度は浩一郎の耳にもしっかりと届いていた。洋平が差し出した名刺サイズの紙には、あらゆる場所を加工可能なプリントシールが貼られていた。食わず嫌いといわれても別に怒るようなことはない、ただ差し出された女の顔は全く一成の好みのものではなかった。分かっていてやっているのだと洋平にあきれながら、差し出した本人ですらタイプでないだろうその女の写真をつき返す。


「お前だって似たようなもんだろ」

「お、偏食は認めるんですね」


 洋平はまるで芸能レポーターのように一成の口元にマイクに模した握り拳を向ける。そんな洋平の変に芝居がかったそぶりを一成は面倒くさそうに振り払った。


「うるせぇなっ」

「またぁ、すぐカズはそうやって怒るんだよねぇ。僕はカズみたいに偏食じゃないよ。味見してって来たら拒まない」


 自らが正しいとばかりに胸を張る潔いとさえ言える洋平のそぶりに、一成は軽く頭を抱えソファにどかりと背をもたれさせた。


「ああ、そうかよ。お前みたいにへらへら笑って、とっかえひっかえいろんな女と付き合うなんて真似、俺はめんどくさくてごめんだね」

「うわ、なにそれ…それじゃまるで僕が遊び人みたいじゃん」

「…ちがうの?」


 唐突に3人の背後からそんな声がもそりと届いた。振り返ればいつの間に目を覚ましたのか、陽だまりの中で晴彦がカウチの上に起き上がっていた。


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