第39話 動く的
ウサーギ族の魔獣達の体に次々と矢が突き刺さり倒されていく。家族が手を取り合って逃げていく中の惨状。その元凶となる者達が逃げ惑うウサーギ達のずっと奥、建物と森の間に見えた。
真っ赤な甲冑を着た武将が馬に乗り、その周りに人間の兵士が20人ほど弓を構えている。武将の合図で一斉に矢が放たれ、緩やかな放物線を描いて矢が次々にウサーギ達に命中していく。
さらにはその後方からは次々と火が付いた矢が放たれ、ウサーギ族が大切にしている木造の家を次々に焼いていく。
「はやくはやく、にげるにげる」
チュリスの父がウサーギ族の言葉で家族に声をかけつつ、僕にも人間の言葉で声をかけてきた。チュリスのおばあさんは泣き叫び、それをチュリスの父と母が引っ張っていく。足を止めたらどうなるかは火を見るよりも明らかだ。
この村は森の先住民エルフの結界で守られていた。しかし、僕を飲み込んだ鉄砲水によりその一部が破壊されていた。そこから人間たちは進入してきたのだろう。
僕は唇を噛みしめる。
もっと早くそのことに気付いていれば……こんな事にはならなかったのか?
いや……、気付いていたとしてもエルフの結界の修復なんて不可能だ。
しかし……何かしらの対策はできたかも知れない。
悪魔ルルシェから授かった僕の魔法なら……
僕だったら……
あるいは……
慚愧の念が僕の胸を締め付ける。
村の中心部に差し掛かると、物音に気付いた家から続々と家族が出てきて同じ方向へ逃げていく。
どこへ?
そんなの決まっている。
人間のいない場所に向かってだ。
ついさっきまで子供達とボール投げをしていた場所を通過する。この遊び場も楽しい思い出も、迫り来る人間たちによって踏みにじられていくのだ。
「ゆーき、まつまつ」
何かに気付いたチュリスが僕の手を離して立ち止まる。切り株の根元で白い男の子がうずくまっていた。チュリスが声をかけると男の子は彼女を見上げ泣き出す。手にはボール。恐らくは逃げる途中で家族とはぐれ、いつも遊んでいるこの場所で1人隠れていたのだろう。チュリスは男の子を励ますように声をかけて、優しく立たせてやる。
「きゅるきゅるきゅるるるる」
逃げるウサーギ族の家族達の中で逆走してくる白いウサーギの女性がいる。母親であろうその人に気付いた男の子は、チュリスに笑顔を向けてから走って行った。
「ゆーき、にげるにげる」
チュリスが再び僕の手を握って――
――――え!?
灰色のふかふかの毛で覆われた温かなチュリスの手は――
僕の指先をかすめるように素通りして――
チュリスは地面に倒れた。
何が起きたのか理解できなかった。
いや、僕の頭がそれを認めたくないと拒絶している。
チュリスの母が駆け寄り、背中の矢を引き抜く。
チュリスの父が母娘を庇う位置に立ち雄叫びを上げる。
チュリスのおばあさんはチュリスの真っ赤に染まった背中を手で押さえて泣き叫ぶ。
僕は呆然と立ち尽くし、その光景を見ていた。
馬に乗った真っ赤な甲冑の武将と弓を構えた兵士達は、すぐそばまで迫ってきていた。彼らの背後からは燃えさかる家々の炎が立ち上る。
「ゆーきさん、にげるにげる」
「はやくはやく、にげるにげる」
チュリスの父と母に腕を引かれて我に返る。二人はチュリスを置いて逃げるように僕に指示している。そ、そんな……チュリスを置いて行くなんて……
僕がチュリスを抱えようとすると、おばあさんが僕の手を払った。
その理由は分からない。でも、おばあさんはチュリスと一緒にここで死のうとしているんだということは分かった。
「はやくはやく、ゆーきさん」
片言の人間の言葉でチュリスの母が僕の腕を引っ張る。
彼らは本当に優しい家族なんだ。
娘の死を受け入れて、なおかつ人間の僕を助けようとしてくれている。
僕は――
ここでも守られてばかりだ――
胸のペンダントを握る。
反応は無い。
何が魔族の救世主だ。
僕は魔獣の女の子1人も救うことができないのか。
馬に乗った武将の合図で弓をもった兵士達が構える。
次の矢が放たれたとき、僕らは死を受け入れなければならない。
「くそっ、闇魔法が使えれば……」
その時、ペンダントが青く光った。僕の闇魔法という言葉に反応したようだ。
一度使った魔法なら、ここでも使えるのか?
僕はペンダントを左手に握り、『闇魔法』『暗闇』を念じる。
目の前に白い文字。
「我が名はユーキ、いま、悪魔ルルシェと魔王の血族アリシアの加護の下、我が身を暗闇の悪魔に捧げる――【ダーク・リージョン】」
右手を兵士に向けて魔法を放つ。
すると、兵士達の視界を遮るように暗闇の壁が出現する。
アリシアの濃艶な姿によって魔法がレベルアップしているため、同時に4カ所の壁が形成されていた。もちろんそれでは20人全ての兵士の視界を遮ることはできていない。しかし、彼らを混乱させるには充分な威力であったようだ。
「今のうちに逃げましょう、おばあさんも一緒に!」
僕はチュリスの身体を抱える。ぐったりして動かない彼女の背中から真っ赤な液体が滴り落ちる。フサフサな短毛に覆われた彼女は意外なほど華奢で軽い。
僕は全力で走り出す。その後ろをチュリスの父と母がおばあさんの手を引いて付いてくる。このまま走って行けば、兵士達が混乱している隙に逃げられるはずだ。
僕らは道を外れて、彼らからは死角となる林の中に逃げ込むことにした。
うまくすればやり過ごせるかも知れないと判断したのだ。
チュリスを抱えて木の間を縫うようにして走っていると、足元が見えないために根っこに躓いて転びそうになる。慌ててチュリスの両親が僕を支えてくれて事なきを得たけれど……僕は気付いてしまった。チュリスが既に息を引き取っていることに……
木の根元にそっとチュリスを寝かす。
偶然にも、そこは僕がチュリスに発見された場所だった。ふと、チュリスが一生懸命に発見当時のことを身振り手振りで説明していた姿を思い出す。ついさっきまで、あんなに元気だったチュリスがなぜ……動かないのか。
おばあさんがチュリスの両手を握り、ウサーギ族の言葉で何かを話している。
チュリスの両親はその言葉を聞いて頷き、
「ゆーきさん、にげるにげる」
「ゆーきさん、こっちこっち」
僕の手を二人して引っ張ってきた。この魔獣達はまだ僕を逃がそうとしてくれているのだ。なぜそうまでして僕を……
「いやだ、僕は逃げない! 僕なら――」
チュリスを生き返らせることができる。
【デス・スクリプト・ブレイク】の魔法で。
しかし、その選択は合っているのか?
この村のウサーギ族は既に何人も殺され、そして今も殺されている。チュリスは何百分の一の存在。それに今生き返らせたとして、その後逃げ延びられるかどうかも分からない。魔力の底をつくその魔法は使ったら最後、僕の意識もなくなってしまう。そうすればまた殺される。僕を含めて全員がだ。
「ゆーきさん、いそぐいそぐ」
「こっちこっち」
チュリスの両親が僕を急かす。
「待ってくれよ! 僕ならチュリスを救えるんだ! 考える時間をくれ!」
僕は思わず大きな声を上げてしまう。
「うむ!? 人の声がしたぞ。さては先程の魔法使いが潜んでいるな。皆の者、捜索を開始せよ!」
道路から少し離れた川のそばにいる僕らからもはっきりと見える位置に武将と弓を持った兵士がいた。
僕らは咄嗟に木の幹に身を隠そうとしたが、木の根元に絡んだ枝葉を踏んでしまい音が鳴る。
「隊長、あちらの森に何者かが潜んでいるようです!」
「むむっ!」
一斉に視線が集まる。
その次の瞬間――
「きゅっきゅるるるきゅっきゅるるる」
チュリスの父が叫び声を上げながら兵士達に向かって走り出した。まるで弓の標的になるような、両手を広げた姿勢のままで――
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