第30話 野営準備

 ここは最果ての村から小一時間ほど歩いたところ。馬車のわだちでむき出しの地面がデコボコしている一本道が、森沿いにずっと続いている。


「このまま道なりにずっと進めば、確かに次の目的地までは行けるのですが……」


 道案内役のカリンが、道の脇の草むらに大きな地図を広げ、僕らが進む予定のルートを説明している。この先はいくつかの大きな町を経由し、乗合馬車を乗り継いで交易都市マリームへ向かうことになるという。そのためにも、最初の目的地の町まで早く着きたいところなのだが――


「道はこの森を迂回するコースしかありません。それでは3日ほどかかることになります。それに対して、森を真っ直ぐ突き抜けるコースを進むと……」


 カリンは細くて女の子らしい指で、力強く地図上をなぞる。確かに地図では大きな森を迂回して道が作られている。そこを直線で抜けていければ相当早く最初の目的地の町まで到着できそうだ。


「一応確認するのだけれど……今から入ろうとする森は魔獣とかは……」

 僕は一応リーダーとして常に皆の安全を第一に考えるのだ。

「もちろん、魔獣はこれでもかーというぐらいに棲んでいますよ?」

 ですよねえ――

「なので人間共には危険がいっぱいの森だけど、カリンたち魔族には造作もないことですよ?」

 カリンはにこやかに答えた。

 うん、これは例の事件の仕返しだね。

 彼女はまだ着替えをのぞいたことを怒っているんだろう。


 僕らが魔族側であることがバレて村人の態度が急変したときに僕の前でひざまづいてきたけれど、それはそれ、これはこれということなんだろう。カリンと僕はこれからも反目し合う運命なのだろうか……


「大丈夫でちゅよユーキちゃま! 魔獣が襲ってきてもフォクスが守ってあげゆのです。それがメイドのつとめなのでちゅです!」


 フォクスが僕に抱きついてきた。なんだか魔獣サイエーナから九死に一生を得たとき以来、妙にくっついてくるんだよな……この子はすっかり僕になついてくれている。少々言葉が過ぎるかもしれないけれど、フォクスはいわゆる『チョロい』女の子なんだろう。


 すると、今度はアリシアの目がギロリと光り――


「ユーキは守らなくても大丈夫よ! 『魔王の娘の加護』が有効な間は魔獣に襲われる心配はないから!」

「は、はひ――ッ!?」


 アリシアに肩をポンっと叩かれたフォクスは、全身の毛が逆立ち獣耳と尻尾が瞬間的に生えてきたが、すぐに人の姿に戻った。ここは人の住む領域。人間との無用なトラブルを避けるために、僕らはただの旅人のふりを通そうと決めていた。


「では出発するでござるよ。森の中では危険な生物や植物がたくさんいるゆえ、拙者とカリンが先導するのでしっかり付いてくるのでござるよ!」 

「さあ、冒険を始めましょう! 今度のステージは原生林よ!」


 アリシアが手を上げて皆を鼓舞すると、他のメンバーは『おーっ!』とか言ってそれに付いていくけれど、僕はまだ不安を抱えたままだ。

 そのとき、足元から声がかかる――

 

「『魔王の娘の加護』は2、3日は有効でげろよ。そのお陰でオマエは低レベルの魔獣にとっては近づくことすら許されない存在になっているげろ。そんなことより、森の中は枯れ葉が手や腹にくっついて困るげろよ。抱っこして欲しいげろなぁー」


 悪魔の使い魔ルシェが僕の足にすがり付いてきた。まあ、彼にもこれから色々とお世話になりそうな予感がするので、今回だけは拾い上げてやることにした。片手では余る大きさのカエールの体は、ヌルッとしていて少し気持ち悪いけど本人には絶対に言わないようにしよう。


「ところでルシェ、アリシアの加護って本当に魔獣に効いているのかな? ほら、魔獣サイエーナに僕とフォクスは殺されかけたじゃないか!」

「あやつらは血の匂いに我を失っていたげろからな。そうでなければそもそも魔王の娘に近づくことすらしないでげろよ」

「そ、そうなの? アリシアには魔獣は近づきもしないって……そんなにすごいことなのか……魔王の娘という立場は……」


 僕はアリシア親子を思い浮かべたが、到底あの2人の会話からはそんな威厳などは感じることはできなかった。それに心に引っ掛かるものがあるのだけど……それがなんであるかは、とうとう思い出すことはできなかった。


 原生林の森はつる性の植物が木の枝から垂れ下がり、しばしば僕らの行く手を拒む。その度にカルバスとカリンが軽快な動きでルートを確保してくれる。だから、大きな荷物を背負い、ルシェを抱っこして両手が塞がっている僕でも何とか皆について行くことができるのだ。それでも下草に隠れた木の根っこでつまずいて転びそうになる度にルシェが『ゲコー!?』と叫ぶのでとても騒がしい。そしてその度にアリシアとフォクスが心配そうな表情で振り向いてくれるのだが……そんなにルシェのことが心配なら僕の代わりに抱っこしてやって欲しいものだ。


 そうこうしているうちに、日が陰り始めてきた。鬱蒼とした原生林の中は暗くなるのも早い。早々に僕らは比較的開けている場所を野営地に決め、寝床の準備を始める。


 野宿に慣れているカルバスの指示で、僕は寝床とする場所に木の枝を組み合わせハンモックのような簡易ベッドをつくる。それを僕、アリシア、フォクスの3人分を夢中で作り上げた。カルバス兄妹は木の上で監視を兼ねて交代で寝るそうだ。


 おいしそうな香りに振り向くと、フォクスが鉄製のナベにスープのようなものを作っていた。

「今夜はスープかい?」

 僕が声をかけると、フォクスはにこりと笑って振り向き、

「はいっ、魔獣サイエーナの肉入りシチューでちゅよ。もう少しでできあがるのでちゅです!」

「あっ、僕らが村で退治した魔獣の肉を採ってきていたのか……さすがメイドさんだねえ、感心したよ!」

「はいっ、カエールの肉がフォクスのナベからいなくなっちゃったので、その代わりに入れてきたのでちゅです!」

「えっ!? ……そ、そうなのか……偉いな-、フォクスは気が利いて……」


 僕は苦笑いを浮かべてそう答えるが、僕の足元でルシェが脂汗を流して震えている。フォクスは本当にルシェを食材としてナベに入れて運んでいたようだ。


「ところで他のメンバーはどこに行ったの?」

 周りを見てもアリシアとカルバス兄妹が見当たらない。寝床作りで夢中になっていたせいで、皆の動向がつかめていないのだ。

「拙者ならここでござるよ。木の上から周囲を警戒しているので安心されよ!」

 木の枝がガサリと動いてカルバスの声がした。

 目を凝らしてもどこにいるかの気配すら分からない。

 さすがアリシアの護衛隊のナンバーワンというところか。

「アリシアとカリンは?」

 僕は木の上に向けて声をかける。

 しかし――

「……お嬢様とカリンは……その……すぐに戻ってくるでござるよ……」

 歯切れの悪い答えが返ってきた。

「ふーん……」

 ナベのフタを持ち上げ調味料を足して味を整えるフォクスの様子を見ながら、僕はしばらく待ってみた。しかしカルバスの言う『すぐ』はなかなか訪れなかった。


 あの2人のことだから心配はないのだろうけれど……やはり気になる。

 僕は用を足しに行くとフォクスに言って、周囲を探ってみることにした。一応カルバスには用を足している姿を覗かないように釘を刺しておいたら――


「拙者、男をのぞく趣味はござらんよ! どうぞごゆっくり!」


 と少し怒っていたけど、魔人の怒りのポイントは本当によく分からないないな……


 太陽が完全に沈み森の中は刻々と暗闇が支配し始めてきたが、うまい具合に今夜は満月。月明かりが僅かに漏れ、人間の僕でもそれなりに視界は確保できている。

 少し歩くと前方にぼんやりと青く光るエリアがあった。わずかに水の流れる音がするから、この先に川かあることが分かった。


 僕は下草をかき分け、ゆっくり近づいていく。すると、川の手前側に人の背よりも高さのある大きな岩があった。あいにく岩を迂回するには周りが密林のなっているので、仕方なく足をかけて登ってみることにした。ここまで来たのだからどんな川なのか様子を見たいと思うぐらいの好奇心は僕にもあるのだ。


 岩の上によじ登ってみると、その岩はつぶれたお団子のような形をしており、人が10人余裕で寝そべることができるぐらいの大きさがある。だからまだ川の様子が見えていないのだ。好奇心はますます強くなり、僕は這って進んでいく。なぜこのような格好をしているかは自分でも不思議なのだが、万一向こう側に魔獣がいたりしたらという危機察知能力が僕には身について来たのかもしれない。


 ずり、ずり、ずりと、僕は腹ばいになって前進する。


 チャプンと水音がしたので、僕はさっと頭を下げ動きを止める。


 しばらくして、再び前進。

  

 そうっと顔を上げると――


 20歩ぐらいの川幅の浅瀬の真ん中に大きな切り立った岩があり、そのすぐそばで2体の白い水棲生物のようなものがぷかぷかと浮かんでいた。

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