第27話 依怙贔屓

 戦闘終了後、カリンの腕の中で気を失った僕は――


 硬いベッドの上で目覚めた。


 木を箱形に組んだ上にわらと綿花を詰め込んだ敷き布団を乗せただけの庶民のベッド。部屋の壁に作られた棚には、色とりどりのぬいぐるみや編みぐるみが並べられている。小さな机に飾られた写真立て中には、ピノとその家族の笑顔があった――


「ようやく目を覚ましたげろか?」


 僕の手にぺたっと不思議生物カエルの前足が乗せられた。

 両生類独特のひんやりとした感触の手だ。

 僕はじばらくその手をじっと見つめ――

 

「き、きみはなぜ僕の能力(ちから)のことを知っていたんだ? これはまだ誰にも話していないはずなのに!」


 僕はカエルの前足を掴んで持ち上げ、問いただした。

 するとルシェは筋肉質で長い後ろ足をばたつかせて――


「あわわわ、違うのげろよぉ! 別にだましていた訳ではなくってなぁ、オレっちは悪魔ルルシェの使い魔なんだげろぉぉぉ!」


「悪魔の使い魔? ほ、本当に!?」

「本当……げろよ?」


 目を逸らされた。

 なんか怪しい。

 まあいいか……

 ルシェが僕の能力ちからを知る貴重な存在であることは確かなのだから。


「――でも、他のみんなには内緒げろよ?」


 ルシェは前足をピッとたてて、ウインクをした。

 そのときふと、アリシアがウインクをしようとしても両目をつぶっちゃうことを思い出した。カエルにもできることができないアリシアが少し気の毒に思ったけれど、それは胸の内に収めておこう。

 

「アリシアお嬢ちゃまっ! ユーキちゃまがお目覚めになられましたですっ!」

「まあ! 今回は意外に早く起きたわね! ご機嫌はいかがかしら、ユーキ?」


 フォクスと、ちょっと気の毒なアリシアが入ってきた。

 2人の後ろでピノが柱の陰から半分だけ顔を出して覗いている。 


「僕はどのくらいの間、寝ていた?」

「4時間ぐらいかしら? この家まで寝ているあなたを運ぶの大変だったのよ。こんなに早く起きられるんだったらあのまま広場で寝かせていれば良かったわ……」

 アリシアは質素な木製のイスにどかっと座り、手のひらを上に向けてそう言った。

 フォクスは温かなスープを入れてきてくれたので、僕はそれに口をつける。

 その間も相変わらずピノは柱の陰からじっと見ている。

「カルバスと、えっと……カリンは? 別の部屋にいるのかい?」

「あの2人は火事になった家の消火活動や、広場で死体の片付けをしているわ」


 死体の片付け――

 その言葉を聞いて、僕はスープが血なまぐさい臭いに変わっていくように感じた。


「えっと……2人が村人のために協力したいと……?」

「アタシたちは魔族よ? ただで人間に協力するわけないじゃない。アタシ、てっきりユーキは2、3日寝たままだと思ったのよ。ほら、前回はそうだったじゃない?」


 それはエレファンさんに【デス・スクリプト・ブレイク】の能力ちからを使ったときのことだ。あのとき、悪魔ルルシェはあの術は数日分の能力を使うと言っていたけれど……今回は4時間ぐらいで回復したという訳か――


「もしかして……僕がピノの部屋を借りる代わりにカルバス達が働いてくれている?」

「そういうこと! あっ、でもユーキは気にしないで。あの2人はアタシの命令には絶対に逆らわないし不服も言わないのよ。アタシの命令は絶対!」

 屈託のない笑顔でそう言いきるアリシアだが、結局のところ僕の為に働いてくれているには違いない訳で……謝り方を今のうちに考えておかないと後が怖そうだ。特にカリンはのぞきの誤解から僕に敵意をむき出しだったし。


「そ、そうだ、ピノの家族は? あの子の親とお姉さんは無事なのか?」


 僕はそう声に出した後で後悔した。

 何もピノ本人がいるところで訊かなくてもよかったのに……と。

 しかし、その心配は杞憂だった――


「はい、カルバスとカリン、そしてお嬢ちゃまとユーキちゃまのお陰でピノちゃんの家族ははみんな無事でちゅよ。ピノちゃんここに来るのです!」

 フォクスが柱の陰に隠れているピノを呼び寄せる。 

 ピノはもじもじしながら、ベッドから起き上がって腰をかけている僕のすぐ近くまでやってきて――

「おにいちゃん、ママとパパとおねえちゃんを助けてくれてありがとう……」

 ちょこんとお辞儀をして、フォクスの後ろに隠れてしまった。

 フォクスは『偉いでちゅねー、ちゃんと言えまちたねー』とピノの頭を撫でながら部屋を出て行った。


 嫌われているのかと思っていた幼女にお礼を言われて、1人にやにやしている僕の顔をアリシアが無表情でじっと見ていた。


「えっ? な、なに?」


 僕は思わずに声をかけた。するとアリシアは――


「ユーキはそう思えるのね……」

「えっ?」


 僕は聞き返す。


「あの子の家族が無事だから良かった。ユーキはそう思えるのね……」


 アリシアの言葉を聞いて、正体のわからない黒い霧が立ち籠めてくるような感覚にとらわれ、背筋が寒くなっていく――


「さっきの広場でたくさんの人間が死んだわ。きっと村人の半数は死んだ――でもあの子の家族は無事だった――だからユーキは嬉しいの?」


「ぼ……僕は………」


 アリシアは別に僕を責めている訳ではないのだろう。

 淡々と話す彼女は、僕のこの感情を理解しようとしてくれている。

 それが分かるから余計に――僕はなにも答えられなかった。 


「ごめんねユーキ……今のは忘れて。人間だって私達魔族と同じように仲間が死んだら悲しいよね……そんなこと分かっているのに……アタシ意地悪なこと言っちゃったかもしれないわ」


 ベッドに腰をかけてうな垂れていた僕の頭を、アリシアがそっと抱き寄せた。

 その瞬間、僕の目から涙があふれ、止まらなくなってしまった。


 僕は本当に情けない……


 僕は何という思い上がりをしていたんだろう。

 魔族と人との間には生と死の認識に違いなどなかったのだ。

 魔族は仲間の死を悲しまない――

 そんなことを魔王城の通路で口走ってしまった自分が恥ずかしくて……

 すまない気持ちで一杯になって……

 でもあの時アリシアは、笑顔で僕に手を差し伸べてきたのだ――

  

「僕の方こそごめん……僕は……本当は救世主なんて呼ばれる資格なんかない情けない男なんだ。知人と通りすがりの人ならば迷わず知人を選ぶし、家族と他人なら家族を選ぶ。アリシアが困っていたら相手が誰でも君を選ぶ。そんな依怙贔屓えこひいきの固まりみたいな人間なんだ、僕という男は……きっと、魔族を公平に守ることなんかできない情けない男なんだ――」


 涙でぐしょぐしょになった顔を服の袖で拭いて、アリシアの顔を見上げる。当然のように彼女は僕に幻滅した表情をしている――と思ったら、ほんのり頬を赤くして僕を見ていたけれど……魔族の反応は良く分からないな。


 僕はアリシアのことをまだよく知らない。


「あーあ、見ていられないでげろよぉー! まったくー!」


 なぜかルシェが呆れたような言い方で、ぴょんぴょん跳ねて部屋を出て行った。




 アリシアの勧めで外の様子を見に部屋を出た。村は日中の凄惨な出来事が何事もなかったかのような穏やかなで、村の中心部からわずかに煙りがくすぶっているぐらいであった。燃えていた家の消火活動もうまくいったみたいだ。そよ風が畑の緑を揺らし、水車が水の音を立てて一定の速度で回っている。どこにでもある農村の風景にオレンジ色の夕陽が彩りを差している。


 縁側に腰をかけ、家の前の道路でピノとフォクスがボール遊びをしている様子をのんびりと眺めていると、隣のアリシアがそっと僕の手を握ってきた。彼女はいつも自然に手を握ってくる。きっと、僕がそわそわするほどには深い意味なんて無いんだろうけど……夕陽に照らされた彼女の横顔はとても綺麗で、成り行きの偽装とはいえそんなアリシアと僕とは夫婦なんだと思ったら、何だか嬉しいような恥ずかしいような……このまま抱きしめちゃってもいいのかなとか思っていたら――罰が当たった。


「行くよ、ユーキ!!」


 アリシアは僕の手を引っ張り上げ、立たされたの足は次の瞬間には地上から離れていた。激しく引っ張られた腕の痛みを感じる間もなく、眼下にはフォクスとピノの姿、そして勢いよく突進してくる魔獣の群れが土埃を伴って見えていたのだ―― 

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