第19話 獣耳メイド

 エレファンさんが去り、話し相手がいなくなった僕は、窓から見える景色をぼうっと眺めていた。南側に面しているこの部屋からは、石垣の隙間から城の前広場が見えるようになっている。子供の頃に絵本で見たお城の風景とはやや異なるが、元々は立派な花壇だったのだろう。それらがまるで迷路のように複雑な模様を作り出し、中央の噴水池らしきところに繋がっている。

 今ではほとんど枯れてしまっている木々も、きれいな花を咲かせるものやおいしい果実がなるものなどが各所に植えられていて、当時の魔族達の優雅な生活が容易に想像できるほどの立派な庭園になっている。

 その生活も、長い年月をかけた人類との戦争によって、衰退していったというのだろうか。なんだか寂しいような悲しいような、申し訳ないような気分になってきたな……


 僕は窓にもたれかかってため息を吐く。ちょうどそのとき、例によってノックもなくガチャリと部屋のドアが開いた。

「ユーキ殿、お着替えをお持ちしました」

 そう言いながらバラチンが黒いブーツを手に入ってきた。そのすぐ後ろをメイド服姿の女の子が2人――

 1人は長身で灰色の獣耳を生やした女性は人間でいうと18歳ぐらいで、ちょっと目付きが鋭く、先端が白いフサフサの尻尾が生えている。

 もう1人は薄茶色の大きな獣耳を生やした、妹と同じぐらいの年格好の女の子。目がぱっちりと大きくて、フサフサの尻尾の先端が焦げ茶色である。

 獣耳のメイド2人はベッドの上に黒い服とマントのようなものを丁寧に置き、バラチンは黒いブーツをベッド脇に無造作に置く。すると、ブーツはカタンと石張りの床に倒れた。


「えっと……これは……?」

 僕が戸惑っていると、

「お着替えでございます」

 バラチンはすまし顔で答えた。

「何のために着替えるの……かな?」

 僕は苦笑いを浮かべながら尋ねた。

「式典に出席していただきます故に――」

 バラチンはまたすまし顔で答えた。


 そう言えば、アリシアも式典がどうのこうのと言って出て行ったな……


 ベッドの上に置かれた服は、黒い生地に金色の刺繍やリボンを縫い込まれた、騎士団の人達の正装のような感じの厳かな雰囲気のある衣装だ。

 コートは表が黒で、内側は赤と青のチェック模様。これも重量感があって高級そうなものだ。

 これを僕に着ろというのか?

 そもそも何の式典が始まるというのだ? 

 僕がそんなことを考えながら悩んでいると――


「ユーキ殿は農民の子である故に、そのような衣装をお召しになるのは初めてであることは重々承知しております、ご心配なく。この者達がお着替えを手伝いますので――」


 僕は今、バラチンに軽くバカにされたような気がする。

 しかし悔しいけれど本当のことなんだから仕方がない。

 バラチンはふっと口の端をわずかに上げ、そのままの表情で部屋を出て行った。


 くそっ、いつか仕返ししてやる!


 僕が無人のドアを睨んでいる間に、長身の灰色獣耳の女の人が僕の背後に回って、

「私、メイドのウォルフと申します。本日よりユーキ様の身の回りの世話をさせていただくことになりました。よろしくお願いします」

 と言うなり、どういうつもりか僕の背後から腕を回してきた。そして、シャツのボタンを1つ、2つと外し始める。すると、僕の背中にウォルフの豊かな胸の膨らみが当たってきた。


「ウォ、ウォルフさん――! こ、これは何を――!?」

「服を脱がせておりますが、なにか?」

「じじ、自分でやりますので――んぷっ!」


 振り向いたときに僕の頬がウォルフの豊かな胸に当たり、ポユンと揺れた。


「んふっ! どうされましたかユーキ様。耳まで真っ赤になられて――」

「べべ、べつに何でもないっすッ!」


 もう覚悟を決めて成されるがままで身をゆだねようと思った。

 しかしその覚悟はすぐに崩れることになる――


「ユーキちゃま、あたちメイドのフォクスでちゅ。おじゅぼんをぬいでいただくのでちゅ」


 と言いながら、茶色い獣耳のフォクスが小さなお手々で僕のズボンを脱がそうとしてくる。


「ちょ、ちょっと待ってぇぇぇ――!」


 僕は堪らずフォクスの小さなお手々を掴んで制止する。


「あんっ、ユーキ様ったらぁぁぁ!」


 僕が前屈みになったことで、ウォルフが僕の背中に乗っかかるような体勢となってしまい、二つの胸が僕の背中に密着した。

 胸の大きな獣耳女性に後ろから抱きつかれながら、獣耳幼女のお手々をぎゅっと握っている男――それが僕、ユーキの現状だ。ここにアリシアがいなくて本当に良かった。


 それにしてフォクスという子は見た目以上に幼い女の子だった。年格好からすると人間の12歳前後に見えるものの、言葉遣いからすると3歳児相当というところか。


 僕は着替えをしながらウォルフに訊いてみたところ、魔族は基本的にヒト属性と獣属性の2系統に分かれており、獣属性は『気付いたらそこに存在する』のらしい。フォクスは数週間前にこの世界に『生まれ』、今後1ヶ月程度で急速に心も体も成長する。それ以降は人間の寿命を遙かに超えるほどゆっくりと老いていくそうだ。


「じゃあ、君たち獣族には家族というものはいないのかい? お父さんとかお母さんとか、いも――」


 妹とか――と言おうとして、僕は言葉を飲み込んだ。

 大切なマリーのことを僕はしばらく振りに思い出したのだ。

 しばらく振りに……


「だいじょうぶでちゅかユーキちゃま……」

「まだ本調子ではないのかもしれませんね。お休みになられますか?」


 額に手を当てて首を振る僕をみて心配したようで、2人が声をかけてくれた。


「大丈夫です。ちょっと気になることを思い出しただけですよ」

「そうですか……私どもはユーキ様の心のケアを担当させていただくようにアリシアお嬢様から指示を受けておりますので、何なりとお申し付けください」


 そう言い終わると、ウォルフはロングスカートを手で広げ深々と頭を下げる。それに少し遅れてフォクスも頭をちょこんと下げた。慣れない僕はどう返答すれば良いのか分からずあたふたしていたのだが――


 不躾ぶしつけにドアが開いてバラチンが戻ってきた。

 バラチンは僕の正装を見るなり、ぷっと吹き出して笑いをかみ殺した。

「おっと、これは失礼――」

 本当に失礼だよ。

「『森の魔獣にも衣装』とはこのことですな、お似合いでございますユーキ殿――」

 バラチンは紳士のように一礼したけれど、絶対それも悪口だよね。

「式典の準備が整いましたので、さあこちらへ」


 ウォルフがドアをすっと開けて、バラチンが廊下へ出る。その後を僕が付いていこうとしたら、慣れないブーツで足がもつれてしまった。

 バランスを崩した僕は、おっとっと、とよろけた先にフォクスのふさふさの尻尾があって――ぎゅっと踏んづけてしまった!

 僕がフォクスに謝る間もなく、フォクスの顔が真っ赤に膨れあがり――


『うにゃぁぁぁ――――!』

「うぎゃぁぁぁ――――!」


 彼女の大きく開かれた口から炎が吹き出し僕の全身を覆った。




「ご、ごめんなちゃい……ユーキちゃま……」

 涙目になって何度もぺこぺこと頭を下げるフォクス。

「ユーキ様が少しお焦げになっただけで済んだから良かったものの、本焼きになっていたらアリシアお嬢様になんとお詫びすれば良いのやら……まあ恐ろしい」

 ウォルフが両腕を抱えて震える仕草をした。

「いいよいいよ、僕がフォクスちゃんの尻尾を踏んじゃったのが悪いんだから」

 僕はフォクスの頭をなでなでして許した。

「ふむ……ユーキ殿が着用されておられるコートは耐炎属性魔法の生地が織り込まれているゆえに、コートは全く無傷のようですな。良かった良かったー、ですな」

 バラチンは棒読みのような感じで言ってきたけれど、それは無視だ。


「行ってらっしゃいユーキちゃま!」

「ああ、行ってくるよフォクスちゃん!」

「お床の準備を尽くしてお待ちしております。行ってらっしゃいませ――」

「はい、行ってきますウォルフさん……あれ?」 


 お床の準備って……なに?


 こうして僕はバラチンに連れられて謎の式典に向かうのだった。

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