第13話 森へ
ミュータスさん達に壊された正門の扉は、昨日の今日でまだ修理の手が回らないらしく、手付かずの状態だった。まあ、もともと門番を置いていないので、扉が城の守りにどれだけ貢献できているかは怪しいものだが。
「あの……森へピクニックって、どちらまで行くつもり……かな?」
「そんなのアタシは考えていないわ。あなたがエスコートしなさいな」
「えっ? ぼ、僕が?」
「そうよ。こういうときは男がエスコートするものでしょう? 人間はピクニックというものを楽しむと聞いて、一度やってみたかったの。うふふ、楽しみ!」
そう言いながら、手を広げてくるくると舞うように跳ねるアリシア。
頭の角まですっぽり収まる麦わら帽子をかぶり、長いさらさらした銀髪をなびかせてアリシアはにっこりと笑った。
か、かわいい!
いやいやいや、勘違いするな僕! あの子は魔族、しかも魔王の娘だぞ!
しかし困った……森へピクニックだなんて、アリシアの本当の狙いが何であるかがわからないから不安だらけだよ。
城の正門を抜けると、鬱蒼とした森に向かう道が続いている。地面がむき出しになった整備されていない道なのだけれど、わずかに轍があるだけでそれほど荒れてはいない。馬車などの乗り物がそれほど多くは行き交う訳ではなさそうである。魔族の人たちは乗り物をあまり使わないのだろうか?
何にしろ、一本道なので僕らは自然と鬱蒼とした森に入ることになった。
僕は朝食が入っているという植物の蔓を編んで作られたバスケットを右手に持ち、左手には暖かい飲み物が入っているという金属製の容器を持っている。対するアリシアは、さも当然という感じで手ぶらである。
ん? ずるくない? ピクニックに行きたいなんて言い出した張本人でしょう? と、だんだんと苛ついてきた僕が不満そうな視線を向けると、
「楽しいわねユーキ!」と、にっこり笑顔を返してきた。
……まあ、いいか。
森はどんどんと鬱蒼としてきて、巨大な木の枝に絡みついたつる性の植物が僕らの行く手を阻むようになってきた。下草も相当生えていて、本当にこれが道なのかも怪しくなってきたぞ。僕は両手がふさがっているから、歩くにくいことこの上ない。
「アリシアさん! せめてどちらか一方だけでも持ってくれないかな?」
僕は思いきって頼んでみた。
「いいわ、おべんきょうの方を持ってあげるわ!」
意外にも快諾してくれた。
「それを言うなら『おべんとう』だよね。じゃあよろしく――」
僕は右手に持っていた朝食が入っているバスケットをアリシアに渡そうと手を伸ばすと――ぽとり――と腕の上に何が落ちてきた。
「――――ッ!?」
赤紫色のぶよぶよした体に黄色い縞模様が入った手の平ぐらいの大きさの生き物が僕の腕の上でもそもそ蠢いている。これと同じものを父が描いてくれた『異世界動物図鑑』で見たことがある。そう、これは……『海鼠ナマコ』だ!
「ひいぃぃぃ――!」
とうとう耐えきれなくなって僕は海鼠を振り払ってしまう。同時に昼食が入ったバスケットも地面に落下。幸いにして、地面は下草と落ち葉のクッションで何とか無事の様だけれど――海鼠って森の中に棲んでいるんだっけ?
「うふふっ、なーにユーキったら、そんなに驚かなくてもナマーコには毒はないわ。食べるとそれなりに美味しい珍味なのよ?」
「えっ、これを食べるの? こんな気持ち悪い生き物を?」
「見た目で判断しては駄目よユーキ。こんなに小さな魔獣にも生まれてきたからには役割があるのよ。ほら、よく見てごらんなさいよ。美味しそうに見えてくるはずよ?」
アリシアが手のひらに乗せて僕に見ろと勧めてくるので、顔を寄せてじっくりと観察してみる。体の側面に光を感じるための器官らしき突起物があり、顔に当たる部分は酸っぱいものを食べたお婆さんのようなしわしわの口があるだけだ。見た目はかなりグロテスク。これを魔族の人たちは美味しく頂くというのか……
なんて考えているうちに、僕の頭の上に別のナマーコがポトリ。
そして肩にもポトリ……
「き、気持ち悪いけど害はないんだよね?」
念のため僕は聞き返す。
「ええ。……あっ、でも人間の血と肉が大好物だからユーキは気を付けた方がいいかもね。別に噛まれても毒はないから大丈夫なのだけど」
「へー、そうなんだぁー……じゃないでしょ! 十分に危険生物じゃん!」
僕のツッコミを待っていたかのようなタイミングで肩に乗っていたナマーコが口をあんぐりと開けて僕の顔に向かって飛びついてきた。
「うひゃあ!」
慌てて手で払おうとすると、指に嚙みつかれた。
続いて頭に乗っていたナマーコがもそっと動き出したので逆の手で払ったが、結果として飲み物が入っているという金属製の容器を地面に落としてしまう。
ナマーコへの恐怖よりも先にアリシアの報復を恐れて僕は彼女の顔色を窺う。
すると彼女はそんな僕を見て大笑いしている。
どうやら僕はアリシアのおもちゃになっているようだ……
僕はイラッときて、アリシアに文句の一つでも言ってやろうと身構えるが、もうそんなことはどうでもよいと思える事態が――
どさどさーっと大量のナマーコが雨のように降り注いできたのだ!
「うひゃぁぁぁ――――!」
僕は悲鳴を上げて身に降りかかるナマーコを振り払う。すると四方八方に弾かれたアリシアの顔面にぺとりとナマーコが引っ付いた。
「やったわね、ユーキぃぃぃ――!」
アリシアは足下にがれきの山のように大量に落ちているナマーコを手ですくって僕に振りかけてきた。それがとても楽しそうな表情でやってくるので、僕もつられて何だか楽しくなってきて――
「アリシアさんこそやったなぁぁぁ――!」
僕も笑いながら足下に落ちたナマーコをすくってアリシアに降らせる。
そんなバカな遊びをしているうちに、
「うぎゃぁぁぁ――――!」
僕の身体はナマーコによる噛み傷により血だらけになっていた。
さすがのアリシアも心配になったのか、
「ここはユーキにとっては危険な場所なんだね。脱出しましょう!」
と僕の手を引いてナマーコの森を脱出させてくれた。
*****
「あー、楽しかったわねユーキ!」
笑顔一杯のアリシアに対して、満身創痍の僕は魔王軍の医療班の人に手当を受けているところだ。アリシアの口笛ひとつでこの人たちが駆けつけてきたことから、僕らの行動は彼らに監視されていたということがわかった。まあ、魔王軍のトップである魔王の娘なのだから監視や警護が付くのは当たり前か……
「アリシア様、朝食をお持ちしました」
「はい、ありがとう!」
「アリシア様、お飲み物をお持ちしました」
「はい、ご苦労様!」
ナマーコの森で落としてきた朝食と飲み物も無事に警護の人により届けられた。アリシアはさも当然のごとくそれらを受け取り、僕に渡してくる。
医療班の人による治療は手際がよく、つーんと鼻につく不思議な臭いのする塗り薬の上から茶色いテープがどんどん貼られていく。不思議なことにナマーコに噛まれた傷口はもう痛みは感じられなかった。
「ではアリシア様、我々はこれにて失礼します!」
「はい、ご苦労様!」
真っ黒い服を着た6人チームは森の中に消えていった。しかし彼らは絶対に僕らの近くに潜んでいるはずだが……
ナマーコの森を抜けた僕らは、大きな湖のほとりにいる。不思議なことに、湖の周辺にいくつもの切り株があり、僕らはそこに腰をかけて休憩中だ。
「ずいぶん大きな湖だね。向こう側が見えないや」
「本当ね。お城の近くにこんなに眺めがいい場所があるなんて。ユーキにエスコートさせて良かったわー!」
アリシアが棒読みのように言ってくるけど、彼女の脳内ではそういう設定になっているらしい。
それにしても本当にいい眺めだ。青々した水面に浮かぶ小さな浮島に、茶色い毛に覆われた水棲型生物が朝日を浴びながら寝転がっている。彼らは長い胴体に短い手足、つぶらな瞳で長いひげが可愛らしい。前歯が大きくて丸太などをかじかじすると切り倒せるぐらいに立派だ。
うん、間違いない。あれは父が描いてくれた『異世界動物図鑑』に載っているビーバーだ!
「ねえアリシアさん。あの茶色い生物は危険はない……かな?」
「ビバビバのこと? ええ、特に危険は無い魔獣よ。一応食べられるのだけれど、それよりも毛皮が装飾品として高値で取引される希少種なの。だからこうして魔王城の近くに集めて保護しているのよ。あっ、彼らの好物は人間の肉と骨だからユーキは近づかない方が良いわね」
魔王城周辺は僕にとってはどこへ行っても危険地帯らしい。
「お腹空いたわね。ここでおべんとうをいただきましょう!」
「そ、そうだね。じゃあ……」
僕はビバビバの視線を気にしながら、朝食が入ったバスケットを開ける。
中には緑の葉っぱで包まれたパンが入っていた。
パンの間には肉や野菜が挟んである。
アリシアはそれを一切れ手で掴み、
「ピクニックではこうやって手掴みで食べるんでしょう? えっと、えっと……ほら、3度いっちゃう?」
「サンドイッチだね」
「あ、そうそう、サンドイッチだね!」
アリシアの情報は少しずつずれているけれど大体は合っている。どこから人間についての情報を得ているのだろうか?
僕もサンドイッチをつまんで、中身を確かめてみる。
初めて体験する魔族の食事。
一体どんな味なのだろうか。
人間の僕の口に合うのだろうか。
果たして真相は――
僕が口を開けたちょうどそのとき、湖から一斉に水しぶきが飛んだ。見ると、先程まで浮島でゴロゴロと寝そべっていたビバビバの姿が一切見えない。
「アリシア様――――!」
森の中から鎧を着た魔族の兵士が走ってきた。
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