第12話 2人の魔人

 朝日が差し込むベッドルーム。アリシアが去ってからもしばらく考え事をしていたのだけれど、いつの間にか寝ていたようだ。ふと人の気配がして僕は目を覚ました。


 執事が着るような黒いモーニング姿、長身の痩せた男の背中が見える。彼は小さなテーブルの上にカチャカチャ音をさせて何かを並べている。食事の用意をしてくれているのだろうか?


「おやおや、お目覚めのようでございますねユーキ殿」

 僕の視線に気付いたのか、男は振り向きざまに声をかけてきた。

「わたくし、ユーキ殿の世話役を仰せつかりましたバラチンでございます。城にいる間は何なりとご用をお申し付け下さい」

 男は丁重に挨拶をしてきた。

「あっ、ど、どうも……」

 僕はすぐさま上体を起こし、頭をぺこりと下げた。


 バラチンさんは身体も細いがあごも細く、そしてしゃくれていた。本人はにこりと笑っているつもりだろうが、僕にはニヤリと笑われているようにしか見えない。おでこに掛かる前髪がくるっと巻いていて、紳士ぶってはいるが一見して意地悪なタイプの人に見える。まあ、外見で人を判断してはいけないのだけれど……


 バラチンさんが運んできた移動式のミニテーブルを見ると、上に並べられているのは食事ではないようだ。

「あの……それは一体……」

 僕は指を指して尋ねた。

「こちらは我が魔王よりユーキ殿への心ばかりの品でございます。力の無いユーキ殿でもこれらを使いこなせれば安全に森を抜けられるはずでございます」


 うん、わかった。このバラチンという男は魔王の側近中の側近。魔王の意のままに動く立場の人で、アリシア側ではないわけか。しかし昨夜のことでアリシアが僕に愛想を尽かして城を追い出そうとしている可能性も否定はできない。


 バラチンの言う心ばかりの品を見ると、短剣やナイフ、その他何に使うかも分からない金属製の球やチェーンまである。

 これらの武器を持って早く城を出て行けと言う訳か……


「ところで朝食はお部屋で召し上がりますか? それともアリシアお嬢様とご一緒しますか? それとも今すぐ城を出て行かれますか?」


「――うっ!」


 突然胸の下の方がずきんと痛んだ。


「どうされましたユーキ様?」

「あの……胸の下の方が痛くて……あっ、でももう大丈夫ですから……」

「いやいや、そういう訳には参りません。体調が悪いまま城を追い出したとなると後でお嬢様がお怒りになります! すぐに医療スタッフを手配しましょう!」


 バラチンさん、とうとう僕を追い出すつもりだと言い切ってしまったよ。

 しかし朝から大事になってしまった。彼には大丈夫とは言ったものの、胸の下が痛いというこの感覚は生まれて初めて味わう感覚だ。困った――


 バラチンさんが部屋を去ってから数分後――扉が勢いよく開いた。


「ユーキ! 病気になっちゃったって!? どれ、見せてなさいよぉぉぉ――ッ!」


 アリシアが血相を変えて部屋に飛び込んで来たと思えば、僕の上にまたがりパジャマを脱がそうとしてくる。


「あわあわあわ、や、やめてぇぇぇぇぇー!」


 僕は必死で抵抗する。しかし相手は見た目は少女だが中身は魔王の娘。所詮はただの人間の僕は力では敵わないのだ。情けないことだが……


 僕とアリシアがベッドの上で攻防を繰り広げているうちに、バラチンが――


「お待たせしま――」


 部屋のドアを開けたまま硬直している。

 ベッドの上に仰向けになっている僕の上にまたがるアリシア。

 僕は上半身裸――


「……これは失礼!」


 紳士らしく一礼して扉をしめた。


「違うんですぅぅぅ――ッ、バラチンさぁぁぁん!」


 誤解されたまま魔王に告げ口でもされたら僕の命はその場で尽きるだろう。

 必死の思いでベッドから這い出て、バラチンを呼び止めた。


 *****


「ふむふむ、次はうつぶせになってほしいのですぞう」


 腕と同じぐらいの長さの鼻をもつ、身長1メートルぐらいのずんぐりむっくりした白衣を着た魔人。垂れた大きな耳をゆらりゆらりと揺らしながら、彼は僕の体中を鼻先でなめ回すように診察してくれていた。

「それにしても、わてが人間を診察する日が来ようとは思いませんでしたぞう」

「すみませんエレファンさん」

「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、礼には及びませんぞう。ユーキ殿は我々魔族の救世主でうからな。医術班のわてはこんなことぐらいしか礼はできませぬ故、気にする必要はないのですぞう」


 つぶらな瞳を細くして笑ったエレファンさん。とてもいい人なのだった。


「はい、元に戻っていいですぞう」

「どうなのエレファン、ユーキは病気になっちゃったのぉぉぉー!?」

 アリシアが離れた場所から叫んだ。

 彼女は気が動転しているのか、騒ぎ立てるのでバラチンにより部屋の隅っこに拘束されている。

「それがお嬢様……わてには異常な所は見あたりませんでしたぞう。おかしいのですぞう」

「え――!? 医術班随一の悪魔の鼻をもつ男エレファンでも見つけられない異常がユーキにはあるというの?」


 エレファンさん……なんだか気の毒な通り名がついているようで……

 あ、でも魔族にとって『悪魔』はほめ言葉なのか。


「もう一度、どこら辺が痛いのか教えてほしいのですぞう」

「この胸の下の方がずんと重い感じがして、時々ちくちくするんです」

 僕は腹のあたりを指さして説明した。

「そこは胃ですぞう。ユーキ殿は胃もたれとか胃痛の経験は?」

「ありません」

「ほほう、お若いですな。胃は食生活が乱れたり精神的な心労によって痛くなることもあるのですぞう。なにか心当たりは?」

「ありすぎて困ります……」

「ほほう、それはどのような?」

「まず、僕は昨日ここに来てから何も食べていません」

「あっ……ユーキに夕食を運ばせるの忘れていたわ、アタシ……」

 アリシアが何かぼそぼそ呟いているけど、聞こえなかったことにしておこう。そもそも昨夜の僕の精神状態でご飯を目の前に出されても喉を通らなかっただろう。

「そんな状態でさっきバラチンさんに朝食とアリシアさんの話を聞いたものだから胃が悲鳴を上げた……ということでしょうか?」

 僕は胃が痛くなったときの状態を思い出しながらそう答えた。

「ちょっと待ちなさいよ! それではまるでアタシがユーキの心の重しになっているみたいな言い方じゃないの!」

 アリシアが抗議の声を上げながら立ち上がろうとして、バラチンさんに抱え込まれた。かなりご立腹のようだけれどこれは事実だから仕方がない。


「ふむふむ、原因が分かれば安心ですぞう。ユーキ殿は気持ちを楽にして消化の良い朝食を召し上がるといいですぞう」

 そういいながら、エレファンさんは鼻先を手洗水の入ったボウルの中に付けてじゃばじゃばと洗っている。

 鼻先を洗い終わった彼は、最後に鼻を天井に向けて『ブシュゥゥゥゥー……』と水を吹き出した。

 部屋の中に水しぶきが飛んで、僕の顔にも降り注いだ。

「ななな、なんですかこれは?」

 僕が驚いていると、

「部屋の中を消毒しましたのですぞう。アフターサービスですぞう」

 彼はにんまりと笑って、部屋を去っていった。


 *****


「原因が分かって安心しましたなユーキ殿。では早速消化の良い朝食を――」

「その必要は無いわ!」


 バラチンさんの言葉を遮るようにアリシアが声を上げた。


「アリシアお嬢様は何か良い考えがお有りで?」

「ええあるわ! ――ところでバラチンはいつまでアタシを拘束しているつもりなのかしら?」

「おっと、これは失礼しましたアリシア様――」


 バラチンさんはアリシアから手を離す。それと同時にアリシアはその場でジャンプして長身のバラチンさんのアゴに頭突きを食らわした。

 あわわわとアゴを押さえてうずくまるバラチンさんをさらに足蹴にして、アリシアが吠える。


「さあ、ユーキ、早く着替えなさいな。朝ご飯を持って森へピクニックに行くわよ!」

「はあっ!?」


 突然そんなことを言われて僕のあごも外れそうになった。

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