第8話 妹

「やめろ! 妹には手を出すな!」


 僕はゆらりと立ち上がりマリーに群がる男たちに叫ぶ。


「あんちゃんは大人しく寝ころんでいた方がいいよ? ああなっちまったら大人たちは止まらない。妹は諦めて自分が生き残ることだけを考えた方が利口だよ?」


 僕ら兄妹のお金を盗んだ少年キッカがまるで他人事のような言い方で僕に声をかけてきた。

 当然の如く僕は聞く耳をもたず、マリーに群がる男の一人を捕まえて殴る。


「てめぇは大人しく地べたで寝ていやがれ!」


 僕は男に反撃され殴られた。胸元を掴まれ、顔を、腹を、そしてまた顔を殴られる。

 最後に手を放し、思い切り顔を殴られ僕の体は後方に飛ばされた。


「お兄ちゃぁぁぁん――――!」


 マリーは何人もの男たちに覆いかぶさられながらも僕の身を案じてくれている。


 それなのに、僕は……


 一人の男ですら引きはがすことができないんだ。


「いやぁぁぁ――――!!」


 とうとうマリーの上着が引きちぎられた。

 男たちの視線が一斉にマリーへと集中する。


「やめろぉぉぉ――-!」


 僕は一人の男を弾き飛ばし、もう一人も外へ押しのけ、マリーの上着を掴んでいる男の顔を蹴り上げ――ようとしたとき、別の男に後ろから羽交い絞めにされて僕の足は男の頭上を空振りした。


 殴る蹴るの暴行をうけ、僕の意識は遠のいていく――


 もうマリーの悲鳴は聞こえない。

 僕は、大切な妹一人すら救えないのか。

 僕に力がないばかりに……

 妹の人生を台無しに……

 僕に力があれば救えたのに……





 ――そんなに力が欲しいのか?――




 空耳?

 それとも僕の妄想なのだろうか……

 透き通るような女性の声が聞こえる。





 ――力を手にしたらどうする?――





 それは妹でもなく、母の声でもない、初めて聞く声。

 例えるなら女神のような、天使のような、美しい声。

 それが僕の意識下に直接届いていた。





 僕は――




「妹を救いたい!」




 藁にも縋る思いで僕は言う。





 ――妹を助けたその後は?――





「悪魔に魂を売ってもいい! 妹が助かるのなら――」


 僕の口がそう伝えた。

 なぜ悪魔という言葉が紡ぎだされたのかは分からない。

 しかし、それは僕の決意の表れ。

 嘘偽りのない本心――





 ――契約は成立した――





 僕の朦朧としていた意識は現実に引き戻される。

 途端に体中の痛みが舞い戻り、僕は地面の上で転がり悶える。

 その間に事態が急変した。


「ぐわっ!」

「ひいぃぃー!」

「なな、なんだお前は?」

「ぐえっ!」


 男たちの様子が変だ。

 僕は顔を上げて様子を見る。


 すると――


 そこにいたマリーは僕の知っているマリーではなかった。

 彼女は男たちにパンチとキックを食らわせ、縦横無尽に動き回っている。


「この女、力を隠していやがったのか!」

「殺やっちまえ!」


 男がナイフを取り出し、マリーに切り込んでいく。

 マリーはニヤリと笑い、寸前のところで身を躱し、男からナイフを奪い取る。

 前のめりに態勢を崩した男の首元にナイフを付け――


「――あがっ!」


 男の声は空気とともに引き裂かれたのどから漏れ、鮮血が飛び散る。


「う、うわぁぁぁ――!」


 男たちが一斉に逃げ始める。

 それをマリーは追い詰め、背中から切りつけ、髪の毛をつかみのどを切り裂き、転んだ男のの背中にナイフを突き刺した。


 暗い路地裏の路面と建物の壁が、男たちから吹き出た血糊で彩られ、まるで別世界の様相を醸し出していた。


「もういい、その男はもう死んでいる。もういいんだマリー……」


 男にまたがり、なおもナイフを突き立てるマリーの手を抱え込み、僕は必死になって止めた。

 返り血を顔一杯に浴びたマリーは僕の顔を見るなり半開きの口の端を上げ――


「妹は助かったよね?」


 と言った。それは確かにマリーの声……しかしマリーじゃない。

 マリーは……僕の妹はナイフで人を刺したりはしない――!


「うん……助かった。だからもう……終わりにしていいんだ……」


 僕は泣きながら答えた。


「そうか。なら良かった――」


 マリーの身体から力が抜け、手からナイフを離した。

 ナイフが地面に音を立てて転がる。

 マリーは血塗られた両手で僕の頬を包み込む。

 ぬるっとした感触とともに、マリーの手のぬくもりを感じる。

 マリーのワインレッド色に輝く瞳が僕の目の前に接近して、マリーは目をゆっくりと閉じる。

 額に伝わるマリーの温もり。


 やがて僕の意識は暗闇へと沈んでいった――





 ――ふと目を開けると、マリーの顔が目の前にあった。


「マリー! もう会えないかと思ったよぉぉぉー!」


 僕はベッドの上でマリーを力一杯に抱き寄せた。 

 いつものようにあごでマリーの頭をすりすりしようとして、違和感を感じた。

 2本の小さな角が付いている――


「ななな、何するのよ、この変態ぃぃぃ――!」


 マリーもといアリシアに顔面を叩かれる。

 そして往復ビンタが炸裂。


「アタシに手を出すなんて100万年早いのよぉぉぉ――!」


 最後はベッドに立ち上がったアリシアに渾身の蹴りを食らい、僕はベッドの下に転げ落ちた。

 アリシアは胸をかばうように手を組み、ベッドの上にぺたんと女の子座りをした。


「に、人間の男って、四六時中盛りがついているっていう話は本当だったのね!」


 まん丸のお目々で床に倒れた僕を凝視している。

 僕はアリシアにすごい誤解をされてしまったようだ。


 それにしても……


 交易都市マリームで僕と妹のマリーは買い物をしていた。

 その途中で何か事件に巻き込まれた。

 それはどんな事件だ?

 どうして僕だけが魔王城に飛ばされた?

 夢の中の記憶を辿ってみようとするも、思い出せるのはそこまでだった。 


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