No or Nothing
絶望の一晩が明けた。
眠りから覚めた私は――実は少しばかり気が楽になっていた。
無論、状況は変わっていない。このまま行けば、どんなに行数を増やしたところで、待っているのは「検索」のボタンを押下し、「見つかりませんでした」の壁にぶち当たり続ける未来だけだ。
そして、その行為には何の意味もない。仮に7文字中、6文字が合っている(その時点で467億分の1の確率である)としても、仮に「ジェイクスピア」だったとしても、今のE〇CELの計算式はその結果を「惜しい」とは考えてくれない。「誤り」だとだけ判断する。言ってしまえば、1文字も合っていないのと同じだ。
All or Nothing の世界は、一般人にとって、あまりに残酷過ぎるし、退屈すぎる。結果が全て、過程などに意味はないとは、どこかの少年誌の敵キャラのような思想であるが、その理屈には大きな欠陥がある――結果そのものが誤りだった場合、今までの作業が全てフイになってしまうということだ。
仕事一筋に生きてきた人が、退職後に生きてきた目的を考えだしたり、勉強ばかりの学生時代を送った結果、社会人になって甘酸っぱい青春は二度と戻ってこないのだと猛烈に後悔したりというのが、その一例だ。
別にその生き方自体を否定する訳ではないが――ふと、後ろを振り返った時に、何も残っていないだとか、虚しかったなという結論に至るのは、(おそらくは)一度しかない人生の上で、あまりに悲劇的ではないかと思うのだ。
何が言いたいか。
この途方もない作業にも「得られるモノ」があれば――少しはやる気も出てくるのではないかと思ったのだ。
100行に分身を行い、『ブネイトオバア』という文字列を見つけた時の、あの希望に満ちた感覚があれば、まだ戦えるのではないか。全くの偶然でも3文字合致する文字列を見つければ、嬉しいと思えるはずだ。
同じ距離でも、先の全く見えない霧の中のマラソンよりかは、風景が変わってくれた方が、少しは「やりがい」も出てくるものだ。
それに、よく考えてみると、27兆ものパターン数は、カタカナ7文字であればどんな単語でも出せることを示している。「シェイクスピア」に限らず、「リヴァイアサン」だろうが「バカアホマヌケ」だろうが「ウ〇コチンチン」だろうが、等しい確率で生成されるのだ――無論、まだまだ先人達が作っていない、物凄くカッコいい造語が生まれる可能性も秘めている。
『無限の猿定理』の目的は「シェイクスピアのハムレット」であるが、実際に「ハムレット」が出来たところで二番煎じ止まりなのだ。この定理の夢のある点とは、どんな文章でも作りだせるところだ。古今東西を問わず、有名無名も問わない。
文字のバリエーションが多いという事は、まだまだ未発掘の表現が大量に――今までに人間が作り上げた全ての言葉は、実は全体からすれば、地球に浮かぶ一片の
無論、その大半、というよりほぼ全てが、言葉にすらならないことぐらいは分かっている。それは、『ャュゾネリポヮ』という言葉が、今後おそらく覇権を握ることがないだろうことからお察しの通りだ。
しかし、これで――少しは一喜一憂出来るようになるかもしれない。
Noではあるが、Nothingではないのだから。
結果が変わったわけではない。だが、過程は変わるはずだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます