桜の木の根元には

安佐ゆう

第1話 

 俺が弁護士のセンセーから連絡をもらったのは、爺様が死んでから2か月くらい経った頃だ。後から思えば短気なことだが、ちょうど、半年勤めた会社を辞めて自棄になっていた時だったから、さっさと一人暮らしのショボいアパートを引き払って、爺様の家に行った。


 爺様は、俺の祖父の弟で、ずっと家にいては本を読んだりパソコンの前で唸ったりして、変わった人だった。本家の屋敷に独り住む爺様を心配して、親戚一同が盆正月に集まるから、俺も3年くらい前までは毎年遊びに行っていた。

 変わった人ではあったが、にこやかで優しい人でもあり、小さい時には親達のおしゃべりに飽きた俺をよく庭へ連れて出て、遊ばせてくれた。まあ、何もない庭だったが。爺様は庭に出ると、その隅にあった大きな桜の木を眺めてしばらく佇むのが常だった。


 就職活動やら、その後の仕事のごたごたで、最近はすっかり足が遠のいていたので、爺様が死んだという知らせが届いたときは、少なからずショックを受けた。

 葬式にはいつも本家に集まる親戚の面々がいて、じいさまが、あまり寝込みもせずに大往生だったこともあり、一様に懐かし気な顔をして、昔話に興じている。

 俺は孫達の中では一番かわいがってもらった方だったから、なんとなく気持ちがささくれて落ち着かない。棺桶に近付いて爺様の顔をじっと眺める。

 爺様の顔はいつものように穏やかで、小さな体が花の中に埋もれていた。


 弁護士のセンセーの話は、爺様の遺産についてだ。

 爺様は本家の広い屋敷の庭に、小さな平屋の家を建てて、そこに住んでいた。屋敷と土地の大部分は分割して親戚で分けたのだが、爺様が住んでいた小さな家と、その家の中にある数個の古びた家具、そして桜の木が生えている裏庭を俺に残すという遺言状があったのだ。

 親戚はみんなそこそこ仲が良かったし、俺に残された土地家屋はさほど価値が高くなかったので、特に問題はなかった。俺はその遺産をもらい、今まで住んでいた都会からさっさと逃げ出したのだ。


 田舎だが、贅沢を言わなければ食べていける程度の仕事を見つけた。1Kのアパートから家具を運び込めば、これからは家賃を払わなくても住む事が出来る、そんなちいさな幸せで、少し荒れかけていた俺の生活も落ち着いてきた。


 キッチンはリフォームしてまだ2年ほどなので綺麗で、4人用のテーブルが置かれていた。俺が持ってきた小さな冷蔵庫には不似合いで、誰かに言い訳するようにそっと苦笑した。

 部屋は二つだが、ひとつはリビング兼寝室に、もう一つの和室はアパートから持ってきた段ボール箱で物置と化していた。その和室には古びたタンスが一つ置かれている。爺様の遺言にあった家具のひとつだ。年代物らしきそのタンスは、掠れた風合いが良い味を出しているのだが、引き出しに貼られたいくつものシールがそれを台無しにしていた。そのシールのいくつかは、俺が小さい時に貼ったやつだ。


 リビングの掃き出し窓の向こうには、60センチほどの幅の縁側があり、その縁側からは葉を秋色に変えた桜の木が見える。

 日が良く当たる縁側は、こんな季節でも汗ばむほどに暖かい。俺はサンダルを足に引っ掛けてぶらぶら揺らしながらその縁側に座っている。桜の木の根元付近には、狂い咲きの花が一枝、風に揺れていた。


 俺の手の中には手紙が一通。

 爺様が遺言状と共に俺に残してくれた手紙だ。もう何度それを読んだだろう。

 今日もまた、俺は手紙を開く。



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