第5話 「箱の中身」
あの金曜日の出来事を境に拓海は部活に出なくなった。
と言ってもあの日からまだ2日しか経っていないし、休んだ理由は熱が出たからなのだが、
金曜日に部活をサボったのは事実だ。
その事実が熱よりも拓海の頭を重く沈ませていた。
土曜日の朝に顧問のニッシーに風邪を引いたから
日曜日と合わせて2日部活を休むと連絡を入れておいた。
ニッシーはしばらく黙った後に分かったと
淡白に返し、体しっかり休めとけよと言い残し
電話を切った。
それから拓海はずっと自分の部屋にこもっていた。
熱は39度出ており、いつも37度は熱じゃないと
言い聞かせ、無理やり学校に行かせる母も
久し振りに自分を病人扱いしてくれた。
拓海が小学生の頃はリビングのソファーを調整し
ベッドのように形を変え、そこで寝転んで
看病してもらっており、
母は、今までのようにリビングで寝る?
と訪ねたが俺は断った。
遠慮しなくていいのに、と食い下がる母を置いて
自分の部屋に拓海は戻った。
今の状態で誰かに気をつかう事はできるとは思えない。
それに自分はもう小学生じゃない。
拓海は自分の部屋のベッドに倒れこむ。
眠たくはないのだが、体のしんどさを
どうにかするために目を瞑る。
少しずつ体に眠気が浸透していき、頭の中の
かろうじて張られている意識の糸が音を立てずに
切れた。
眠りに落ちてある程度の時間が経った頃だろうか、
母さんが雑炊とアイスを持ってきてくれた。
雑炊を食べている間にアイスが溶けるから
アイスは後の方が嬉しいのだが、こんな所も
そそっかしい母さんらしい。
拓海は体を起こし、ありがとうを忘れずに伝える。
いつもは100円の安いバニラアイスなのだが、
今日はハーゲンダッツだった。
なぜ急にリッチになったのか不思議に感じていたら
母さんが「たっくんもお兄ちゃんになってきたね」
と上機嫌に話しかけてきた。
あぁ、そういう事か。
リビングには産まれたばかりの叶恵がいたんだ。
母さんは俺の行動を叶恵に気を使って自分の部屋で寝ると言ったと勘違いをしているようだ。
拓海は、かすれた低い声で必死に違うと
母に訴えかけるが、母には聞こえていないのか
「拓ちゃんは優しいお兄ちゃんやねぇ」
と頭を撫でながら声をかける。
どっちもおかわりあるからね、と言い残し
スキップするような軽やかな足取りで部屋から
出ていった。
俺はどちらも追加をしなかった。
月曜日の朝は拒んでも訪れる。
起きた時に、もうそんな時間かと憂鬱になるのは
いつもの事だが今日はレベルが違った。
抱え込んでいる問題が今まで生きてきた中で
ダントツで重大だからだ。
まだ拓海は14歳なのだから経験が無かったり
対処の仕方など分からないのはしょうがない。
ただ分からないからでは済まないのが人間関係だ。
宿題のように分からない部分をそのままにして
次の日に先生から解答を聞ければどれほど良いか、
拓海を悩ませている事を解決する方法を必死に探すが新品の面影が残ってる拓海の引き出しの中に、
それは見当たらない。
考えれば考えるほど頭が痛くなり、昨日の晩に
収まりかけた熱がぶり返しそうになった。
そんな朝を迎えた拓海の学校に向かう足は
重く、遅く、理性の言うことに反発していた。
まるで妹の叶恵(1歳)のように駄々をこねている。
だが拓海は駄々をこねるほど若くもなく
割り切れるほど年を取っていない、
青春は心を揺らし、傷つけ、潤わせ成長していく。
そんな青春真っ盛りの少年は暴風に揺られながら
言葉のナイフで傷つけられながら日々を過ごすのだ。
満身創痍の心を引っさげて拓海は学校に着いた。
上履きに履き替え、多数の話し声でざわつく
下駄箱を早々に抜け出し教室に向かう。
自分のクラスは3階校舎の奥の教室で、
奥にある分だけ手前の教室のクラスの生徒より
自分達は多く歩かないといけないし
他のクラスを横切らないといけない。
少し小走りで教室を横切り自分のクラスにたどり着き、自分の席にカバンを下ろし椅子に座り込む。
何を恐れているんだ。
俺は田山のクラスの教室は1つ下の2階なのに。
妙に冷たい汗がじんわりとシャツに張り付きだし、
少し脈拍が上がっていく。
「まだ体調悪いの?」
声のする方を向くと、横に1人の男が立っていた。
バスケ部の副キャプテンでシュートもドリブルも
上手く部内で1番センスがある。
何でもこなしてしまう才能のせいなのか、
サボりぐせがあるのが勿体無い男だ。
「ちょっとまだ本調子じゃないな」
「まじか〜頼むぜ、俺1人じゃ練習メニュー組めねえんだよ」
悠人は弱音を吐いているが器用なやつだ。
おそらく何だかんだ言いながらもメニュー
を組み立てたに違いない。
極度の面倒臭がりの悠人だが人に頼まれたことは
キッチリとこなす事は古くから知っている。
その分自分の事となるとサボるのだが、
それでも何でも水準以上にこなすため
その才能に嫉妬していた時もあった。
悠人は少し俯きながら助けを乞うように
こちらの様子を伺っている。
本当にものぐさな奴だ。
そんな悠人に呆れているが、悠人は諦めない。
その諦めない姿勢を少しぐらい練習に割り当てろ、
とつくづく思う。
「でも学校に来たって事は練習に顔は出せるよな?」
悠人にとっては何気ない一言だった。
同じ部活の者にとって、その質問は大した考えも
疑いも含まれていないが、
拓海はその言葉に深く動揺していた。
拓海は今日の部活に出るかどうか迷っていのだ。
普段なら迷わずに向かうのだが、
あの日から生まれた不安のようなネバネバとした
汚れが頭にこびりついて邪魔をしている。
俺はキャプテンだ、誰よりも練習に精を出して、
誰よりもチームに貢献しなければならないんだ!
拓海の中にそう高らかに宣言する自分がいた。
でも、もうそいつだけじゃない。
もう1人の暗い箱の中に閉じこもっていた、
禍々しい空気を包んだ自分が少しずつ顔を出していた。
休んでもいいじゃん。だってあいつら
俺が大切にしているバッシュを捨てたんだぜ?
大切なものを粗末に扱われて簡単に許せるの?
許せないんじゃないの?
憎しみという名の鍵により開いてしまった
負の感情が詰まったパンドラの箱は
拓海だけが持っているものじゃないが、
その存在に拓海の心は風に弄ばれる
木の葉のように揺らめいていた。
少し不気味な間を置いた後、拓海の出した答えは
悠人に、そして本人にも意外なものだった。
「病み上がりだし‥みんなに移すと悪いから
今日は帰るよ」
悠人は少し目を見開いて、こちらを見つめる。
その顔を見ていると拓海は何故か泣きたくなった。
しばらくすると、悠人は「そっか」とだけ呟き、
休むからには風邪治せよと言い残し去っていった。
この苦しい気持ちを吐き出してしまいたい、
それができればどれほどいいだろうと拓海は
考えていた。
だがチームメイトであり友達である悠人に
この事は相談できない。
それはやってはいけない。
何故かと聞かれても答えられない、
分からない事ばかりが多すぎる拓海は
そのまま机に頭を付けて周りに顔を
見られないようにする。
その姿は箱の中身を覗こうとするようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます