第17話

 翌日、土曜日――


 僕は、いつもよりも遅く起きると、明日香さんとの約束の時間まで、ゲームをして時間を潰した。

 それにしても、急に映画を見ましょうだなんて、明日香さんはどうしたんだろうか? 明日香さんも疲れていて、ちょっと息抜きでもしたくなったのだろうか?

 まあ、何はともあれ、明日香さんと一緒に映画を見れるなんて(明日菜ちゃんも、一緒だけれど)、こんなに嬉しい事はない。


 しかし、約束の時間が午後6時30分だと、それまで暇で仕方がない。

 僕は、ゲームが大好きだけど、さすがにずっとやっていると飽きてくる。

 まだ、午後3時か。5時過ぎくらいに出れば、ちょうどいい時間かな。

 それまで、昼寝でもするか。大丈夫だとは思うけれど、映画を見ている途中で、眠くならないようにしないと。


「明日香さん! ごめんなさい! 許してください!」

 僕は、自分の寝言の大きさに驚いて、慌てて飛び起きた。

「夢か……」

 仕事に遅刻して、明日香さんに探偵事務所をクビにされる夢を見てしまった。

 夢で、よかった。

 僕は、枕元の目覚まし時計に目をやった。まだ、5時20分か。

 もう少し、寝ていられるな――

 外も、まだ暗いし。

 日の出までには、まだ時間が――って!

 違う! 今は、朝じゃなくて夕方だ!

 明日香さんと、映画の約束だった!

 僕は、急いでアパートを出ると、映画館へ向かった。


「明日香さん。すみません! 遅くなりました」

 僕は電車とバスを乗り継いで、約束の時間よりも10分遅い午後6時40分に、映画館にやって来た。

 明日香さんと明日菜ちゃんは、誰か知らない女性と話をしていたが、僕が話し掛けると同時に、どこかに行ってしまった。

「さっきの女性は、どなたですか?」

「なんか、私のファンなんだって」

 と、明日菜ちゃんが言った。

「明宏君。あなたは、ここで見てね」

 と、明日香さんに渡されたチケットは、一番後ろの席のようだった。

「あの日、私が座っていた席の隣の席だよ」

 と、明日菜ちゃんが言った。

「本当は同じ席がよかったんだけど、空いていなかったから隣にしたの。まあ、一つくらいずれても、検証に影響はないでしょう」

 と、明日香さんが言った。

「そうですね――って、検証って何の事ですか?」

「さあ、行きましょう」

 と、明日香さんは、僕の質問に答える事なく行ってしまった。


 僕達は、スクリーン3の右側の出入口から中に入った。どうやら、右側から入っても、左に行けるようだ。逆に、左側から入っても、右に行ける。

 僕達は、そのまま右側の通路を通って、中に入った。

 ここは、真ん中よりも、少し前のようだ。劇場の中は、既に満員である。

「それじゃあ、私と明日菜は、ここだから」

 と、明日香さんは、外に出る通路に一番近い席に座った。

「私は、ここ」

 と、明日菜ちゃんは隣に座った。

「えっ? 僕だけ、後ろなんですか?」

「そうよ。ああ、ここは前が広くて、足を伸ばせていいわね」

 と、明日香さんが言った。

 この列は、前を人が通れるようになっている。

「明宏さん、ごめんね」

 と、明日菜ちゃんが言った。


 仕方がないので、僕は自分の席に向かった。

「すみません。前を、失礼します」

 僕以外の人は、もう席に着いているので、狭いところを掻き分けて席に着いた。

 それにしても、明日菜ちゃんは、僕と明日香さんを隣に座らせてあげると言っていたんだから、代わってくれてもよさそうなものだけど……。

 どうして、男に挟まれているんだろう?

 僕の左隣は40代後半くらいの男性で、右隣は20代前半くらいの若い男性だ。因みに、若い男性の隣は恋人のようだ。

 はぁ……。僕は、ため息をついた。

 明日香さんは、どの辺りかな? 僕は、出入口の辺りを見てみた。

 ここからだと距離があるから、あまりよく分からないな。

 あっ、あれか。明日香さんと明日菜ちゃんの頭が、チラッと見えた。

 その時、劇場内の灯りが消えて、薄暗くなった。こうなると、もう明日香さん達の席は確認できない。

 仕方がない。映画を、楽しもう。


 2時間後――


「ぐすん……」

 僕は、感動して涙を流していた。まさか、こんなに感動的な作品だったとは。

 明日香さんの、隣でなくてよかった。泣いているところを見られたら、恥ずかしい。

 明日香さん達は、もう出ているみたいだ。僕も、急いで外に出た。


「明日香さん。いやぁ、感動しましたね」

 と、僕は言った。

「そう? 私は、ほとんど見ていなかったから、よく分からないわ」

 と、明日香さんが言った。

「えっ? 見ていなかったって、どういう事ですか?」

 まさか、途中で眠ってしまったのだろうか?

「明宏君じゃあるまいし、寝たりしてないわよ」

 と、僕の心の中を読んだかのように、明日香さんが言った。

「いえ、僕も寝ていませんよ」

「そう、意外ね。まあ、そんな事は、どうでもいいわ。私は、最初の15分と最後の30分くらいしか見ていないから」

「どういう意味ですか?」

「私は、その時間、映画館には、いなかったから」

「――いなかった? えっ? えっ? ど、どういう事ですか?」

 そんなバカな。

「スクリーンが明るくなった時に、時々明日香さん達の方をみたけれど、確かに座っていましたよ」

「私は、その時間、ここに行っていたわ」

 と、明日香さんは、携帯電話で撮影した一枚の写真を見せてくれた。

「この写真は、明日香さんですか?」

 その写真は、明日香さんの自撮りのようだった。

「そうよ。明日菜に、見える?」

 いや、いくら姉妹とはいえ、見間違える事はない。

「どこで、撮ったんですか?」

「見覚えがない?」

「見覚え?」

 とはいっても、暗くてよく分からない。

「ここよ」

 と、明日香さんは、もう一枚の写真を見せてくれた。

「ここって――あの、公園ですか? 和久井が、殺害された」

「そうよ」

 と、明日香さんは頷いた。

「いつ、撮影したんですか?」

「時間を見れば、分かるわよ」

「時間ですか?」

 写真が、撮影された時間は――

「あっ!」

 写真が撮影された時間は、今日の午後7時25分だった。

「どういう事ですか? だ、だって、この時間は、明日香さんは映画を見ていたじゃないですか? えっ? えっ? それじゃあ、明日香さんの席に座っていたのは誰ですか?」

 いったい、どういう事だ? 僕には、訳が分からない。

「簡単な事よ。私は、映画館を抜け出して、公園に行ってきたのよ。因みに、私の席に座っていたのは、明日菜の友達よ」

「明日菜ちゃんの友達?」

「そうよ。私の、モデルの友達。ちょうど、時間が空いていたから、協力してもらったの」

 明日菜ちゃんの隣にいた女性が、頭を下げた。

 あれっ? どこかで見たような――あっ、僕が映画館に着いた時に、明日香さん達と話していた女性だ。明日菜ちゃんのファンというのは、嘘だったのか。

「岬春奈さん――いえ、波崎成美さん。あの日、あなたも、途中で映画館を抜け出して、公園に和久井亮二を殺害しに行ったんです――そうですよね?」

「えっ? 波崎成美さん?」

 その時、物陰から、一人の男性が姿を見せた。

「さ、鞘師警部じゃないですか――」

「やあ、明宏君。こんばんは」

 と、鞘師警部が右手を上げた。

 そして、鞘師警部の隣には――

 波崎成美さんが、立っていた。

「鞘師警部に頼んで、連れて来てもらったの。もちろん、無理やりじゃないわよ。ご本人の、承諾をいただいてよ」

 と、明日香さんが言った。


「それで、明日香さん。いったい、いつ出ていったんですか? 映画の途中で出ていったら、従業員に見られて不審に思われませんか? それに、戻る時はどうするんですか? 確か、チケットは、一度外に出たら無効ですよね?」

「明宏君。そんなに、慌てないで。順番に、説明するから。実は、今日は朝から鞘師警部と一緒に、色々と調べてきたの。明日菜にも、ちょっと協力してもらってね。明日菜は、春奈さんを信じたいって言っていたんだけど、私の推理を聞かせて、納得してくれたわ」

「えっ? 明日香さん、仕事をしていたんですか? だったら、僕も行ったのに――」

「明宏君には、何も知らない状態で、検証に協力してほしかったのよ」

「そういえば、検証って何の検証だったんですか?」

「その前に、私は朝から鞘師警部とここに来て、防犯カメラの映像やスクリーン3の中を見せてもらったの。そして、今の検証で、確信がもてたわ。やっぱり、犯人は――波崎成美さん。あなたですね?」

「…………」

 波崎成美さんは、黙ったままだった。

 否定をしないということは、事実なのだろうか?

「成美さん。あなたは、明日菜に隣の席が取れなかったと言って、離れた席のチケットを渡しましたけど、それは嘘ですね。事前に、インターネットで離れた席を取り、それを明日菜に渡したんです。隣に座られると、映画館を抜け出したのが分かってしまいますからね」

「明日香さん。どうして、インターネットで事前にチケットを取ったって、分かったんですか?」

 と、僕は聞いた。

「それは、簡単な事よ。映画館で、調べてもらったの。あの日、明日菜と成美さんが座った席は、同じパソコンから購入されていたわ。つまり、あえて離れた席を取ったのよ」

「たまたま、隣が空いていなかった可能性は?」

「それは、ないわね。だって、あの日の事前予約が可能になってから、一番に購入されていたから」

「それじゃあ、隣も空いていますね」

「そうよ。そして、あの日。成美さん、あなたは途中で劇場を抜け出した。まずは、明日菜と一緒にスクリーン3に入った。そして、午後7時にスクリーン3から出たんです」

「どうして、7時なんですか?」

「それは、簡単な事よ。映画の途中で出ていけば、従業員が不審に思って覚えているかもしれないわ。だから、午後7時にした。その理由は、隣のスクリーン4の映画が、7時に終わるからよ」

 と、明日香さんは、当時の上映予定時間の書かれた紙を取り出した。

「成美さんは、スクリーン4のお客さんに紛れ込んで、外に出たのよ。そして公園に行き、和久井亮二を殺害した――成美さん。あなたは、本多弁護士を装って和久井亮二に電話をかけて、約束の時間を変更したいと言って、午後7時30分頃に公園に来させた」

「その件については、阿久津剛から証言が取れた。和久井が、約束の時間が少し早まったと言っていたと」

 と、鞘師警部が言った。

「そして、公園で和久井亮二を殺害すると、和久井の遺体を隠して、急いで映画館に戻った」

「遺体を隠してって、いったいどこに隠しておいたんですか? 公園に隠せるような場所って、ありましたっけ?」

 と、僕は聞いた。

「車の中よ」

「車の中!?」

「ええ。成美さんは、自分の乗ってきた車のトランクに、和久井の遺体を隠したのよ」

「あの日使われたレンタカーは、既に特定済みだ。鑑識が調べれば、すぐに分かるだろう」

 と、鞘師警部が言った。

「そして映画館に戻ると、午後8時15分からのスクリーン2のチケットを使って、そのお客さんに紛れ込んで、スクリーン3に戻った。そして、映画の後、明日菜とカフェに行った。その後、和久井のアパートに行き、和久井の遺体を吊るした。アパートのドアに鍵を掛けなかったのは、遺体の発見が遅れて、死亡推定時刻がはっきりしなくなると困るからでしょう。和久井のアパートを訪ねて来る人なんて、阿久津くらいしかいないでしょうからね。もしも、いつまでも鍵が掛かっていたら、もう訪ねてこないかもしれないし。そうなると、アパートの取り壊し直前まで、発見が遅れるかもしれないから。多分、そんなところでしょう」

「でも、明日香さん。確かに、そうやれば可能かもしれませんけど(実際に、明日香さんが検証したわけだから)。だけど、そんなに長い時間いなければ、隣の席の人に怪しまれるんじゃないですか?」

 僕だったら、隣の人が一時間以上も戻ってこなかったら、さすがにおかしいと思うけど。

 もちろん赤の他人に、どこに行っていたんですか? とは、聞かないけど。

「確かに、隣の席の人は、おかしいと思うでしょうね。だけど、隣の人が全て知っていたとしたら、どうかしら?」

「えっ?」

「成美さんが購入したのは、二枚だけじゃないわ。成美さんの隣の席も含め、複数枚購入されていたのよ」

「どういう事ですか?」

「もちろん、明日菜にアリバイを証言させて、和久井亮二を殺害する為よ。複数枚購入した理由は、他に共犯者がいるからよ」

 今まで、明日香さんの話を黙って聞いていた成美さんが、突然、叫んだ。

「共犯者なんて、いないわ! 私が一人でやったのよ!」

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