第15話

「明宏君。そろそろ、行きましょうか」

 と、明日香さんが言った。

 もうそろそろ、明日菜ちゃんとの約束の時間だ。

「そうですね」

 と、僕は頷いた。

 僕達は、喫茶店へ向かった。


 僕達は、午後6時を少し過ぎた頃、Nテレビの前の喫茶店にやって来た。

「少し、遅れちゃいましたね。もう、明日菜ちゃん達は来てますかね?」

 と、僕は腕時計を見ながら言った。

 交通事故で、思っていたよりも道路が渋滞をしていて、少し遅れてしまった。

「大丈夫よ。どうせ、時間通りには終わらないわよ」

 と、明日香さんは、落ち着いている。

 確かに、以前、明日菜ちゃんと待ち合わせをした時に、2時間くらい遅れた事があった。あの時は確か、動物が思った通りに動いてくれずに撮影が押したと、明日菜ちゃんが言っていたっけ。


 僕達は、喫茶店の中に入った。喫茶店は意外と空いていて、僕達は入り口の見える奥の方の席に着いた。

「コーヒーを二つ」

 と、明日香さんが注文をした。

「やっぱり、まだ来ていないでしょう」

 と、明日香さんが言った。

「そうみたいですね」

 と、僕は頷いた。

 喫茶店は、半分よりも少し多いくらいお客さんが入っていた。

 僕達の隣に座っているのは、僕もテレビで見た事がある、最近人気のアイドルの女の子だ。一緒にいる人は、テレビ局の人とマネージャーさんだろうか? 何か、打ち合わせをしているみたいだ。

「明日香さん。隣のテーブルの人、最近人気のアイドルの子ですよね?」

 と、僕は小声で言った。

 明日香さんは、隣のテーブルにチラッと目をやると、

「そう? 私は、知らないわ」

 と、首を傾げた。

「ちょっと、明日香さん。隣に聞こえたら、失礼ですよ」

 僕は、もう一度隣のテーブルを見た。

 すると、アイドルの女の子が立ち上がった。文句でも言われるのかと思ったけれど、そのまま喫茶店から出ていった。どうやら、ちょうど打ち合わせが終わったところだったみたいだ。

「いやぁ、やっぱり生で見ると、かわいいですね」

 もちろん、明日香さんほどではないけどね。

「ふーん。明宏君、ああいうのがタイプなんだ」

 と、明日香さんがぼそっと呟いた。

「いえ、別にタイプというわけでは……」

 僕のタイプは、明日香さんだけです! とは、恥ずかしくて言えない。

「やっぱり、若い娘がいいのね」

 と、明日香さんが小声で呟いたが、小声すぎて、なんて言ったのか分からなかった。

「あっ、明日香さん。明日菜ちゃん達が、来ましたよ」

 アイドルの女の子と入れ替わるように、明日菜ちゃんが喫茶店に入ってきた。もちろん、岬春奈さんも一緒だ。

 僕が立ち上がって手を振ると、明日菜ちゃんが気が付いて、手を振り返しながら、僕達のテーブルにやって来た。


「お姉ちゃん、明宏さん、ごめんね。ちょっと、遅れちゃった」

 と、明日菜ちゃんが笑顔で言った。

「いいわよ。どうせ、少し遅れると思っていたから」

「僕達も、少し遅れて来たから」

 と、僕は言った。

「春奈さんも、連れて来たよ」

「こんばんは。何か、私にご用とか」

 僕の気のせいかもしれないけれど、岬春奈さんは何か警戒しているように感じられた。

「ええ。その前に、二人も座って。一緒に、コーヒーでも飲みましょう」

 明日香さんが、二人分のコーヒーを追加で頼んだ。すぐに、コーヒーが運ばれて来ると、明日香さんは話し始めた。

「単刀直入に聞くんだけど、岬春奈さん。あなたの名前は、芸名ですよね?」

 と、明日香さんが聞いた。

「えっ? ――ええ、そうですけど」

 と、春奈さんは、あっさりと認めた。

「えっ? そうなんだ。知らなかった。私、本名だと思ってた」

 と、明日菜ちゃんが言った。

「私に聞きたい事って、それですか?」

「それだけじゃないけど、まずは確かめたかったの」

「本名は、事務所の方針で非公開にしているので、教えられないです」

「どうしても?」

「はい。すみません」

 と、春奈さんは、頭を下げた。

「そう――それじゃあ、仕方がないわね」

 と、明日香さんは、あっさりと諦めてしまった。

「お姉ちゃん、春奈さんの本名が、どうかしたの?」

 と、明日菜ちゃんは、不思議そうに聞いた。

「アスナちゃん。もう、お姉さんの話は終わりみたいだから、行きましょう」

 と、春奈さんは言うと、立ち上がって喫茶店から出て行こうとした。

「ちょっと、春奈さん。待ってよ!」

 と、明日菜ちゃんも立ち上がった。

 その時、明日香さんが叫んだ――

「成美さん!」

 その声に、春奈さんが振り返った。

「やっぱり――あなた、波崎成美さんですね」

 と、明日香さんが静かに言った。

「何の事ですか? 私は、叫び声が聞こえたから、振り返っただけです」

「岬春奈さん――あなたの本名は、波崎成美さんですね?」

「波崎成美? どこかで、聞いた事があるような……。って、あの、波崎成美? お姉ちゃんの事務所の、ホワイトボードに書いてあった。どういう事? ねえ、お姉ちゃん!」

 と、明日菜ちゃんが驚いている。

「…………」

 春奈さんは、黙っていた。

 他のお客さんが、何事かと、こっちを見ている。

「ちょっと、外にでましょうか」

 と、明日香さんが言った。

「明宏君。支払いを、お願い」

「はい」


 僕達は、支払いを済ませて、喫茶店の外に出てきた。夜の6時30分を過ぎて、だいぶん寒くなってきた。

「寒いから、車に乗りましょうか」

 と、明日香さんが言った。

「いえ、ここで結構です」

 と、春奈さんが言った。

「そうですか、分かりました。では、改めて――岬春奈さん。あなたの本名は、波崎成美さんですね?」

「先ほども言いましたけど、本名は教えられません」

「お姉ちゃん。どうして、春奈さんの本名が、波崎成美だって分かるの?」

 と、明日菜ちゃんが聞いた。

「岬春奈、波崎成美、ひらがなにして並べ替えると――」

「ひらがなにして? えっと……。『みさきはるな』に、『はさきなるみ』よね――」

 明日菜ちゃんは、バッグから手帳を取り出すと、二人の名前をひらがなで書き始めた。

「あっ! 同じだ! 同じ字が、使われているよ!」

 と、明日菜ちゃんは、目を丸くしている。

「そうよ。岬春奈という芸名は、波崎成美のアナグラムだったのよ」

 アナグラム……。そんな、単純な事だったのか。

「えっ!? アナ……、アナ……、アナ……、何それ?」

 という明日菜ちゃんを無視して、明日香さんは話を続ける。

「明日菜が、ホワイトボードに大きく振り仮名を書いてくれたおかげで、分かったわ」

「そうですか……。やっぱり、分かりますよね。流石、探偵さんですね」

「それじゃあ、認めるんですね?」

「はい。私の本名は、波崎成美です。だけど、それがどうかしたんですか? 私の父の事も、おそらくご存じなんでしょうけど。私が、父の復讐をしたとでも言いたいんですか?」

「波崎さん。あなた、探偵の日向さんに、和久井亮二の事を調べてもらっていますよね?」

「――そこまで、ご存じなんですね。あの探偵、守秘義務を守らなかったのね」

「いえ、日向さんは、あなたが依頼人だとは明言されていません。ただ、和久井亮二の事を調べてほしいという、人物がいたという事だけです」

「確かに、和久井亮二の事を調べてもらったのは事実です。偶然、和久井を街で見掛けて、今も何か悪い事をやっているんじゃないかと、気になったんです」

「そうですか。それでは、先週の金曜日の夜に、和久井亮二に会ってはいませんか?」

「会っていません。お姉さんもご存じだと思いますけど、私はアスナちゃんと、6時45分から映画を見ていたんです」

「そうだよ、お姉ちゃん。映画の後、一時間くらいカフェにいたし。春奈さんが、犯人のわけがないじゃない!」

 と、明日菜ちゃんが反論した。

「私が犯人だというなら、証拠を見せてください」

「証拠ですか……。明日香さん、何かないんですか?」

 と、僕は聞いた。

「証拠は、ありません」

 ないのか……。

「それじゃあ、お話になりませんね。アスナちゃん、悪いけれど、今日はこれで失礼させてもらうわ」

「春奈さん、ごめんなさい。お姉ちゃんは探偵で、人を疑うのが仕事だから。でも、春奈さんのアリバイは、私が証明するから」

 と、明日菜ちゃんが言った。

「アスナちゃん、ありがとう。食事は、またいつか――会える機会があれば行きましょう。それじゃあね――」

 と、成美さんは微笑むと、人混みの中へ消えていった。


「ちょっと! お姉ちゃん! 春奈さんが犯人って、どういうわけよ! いくらお姉ちゃんだからって、春奈さんを犯人扱いするなんて、酷すぎるわ!」

 と、明日菜ちゃんは、かなり興奮している。

「明日菜、うるさいわよ。そんなに大声を出さなくても、狭いんだから聞こえてるわよ」

 僕達は、明日香さんの車で映画館に向かっていた。

 これから三人で、映画鑑賞――では、もちろんなく、成美さんのアリバイを崩す事ができないか、調べに行くのだ。明日菜ちゃんも、私が春奈さんのアリバイを証明する為に一緒に行くと言って、車に同乗していた。

「ねえ! 明宏さんも、黙っていないでなんとか言ってよ! まさか、明宏さんも春奈さんが犯人だって思っているの?」

「い、いやぁ……。僕は、なんとも……」

 正直、僕はよく分かっていないのだ。

 明日香さんも、まだ映画館に居たというアリバイは解けていないみたいだし。

「お姉ちゃん!」

「もうっ、分かったわよ。それじゃあ、その日の事を、もう一度詳しく聞かせてくれる?」

「うん」


 先週、金曜日の午後6時過ぎ――


「はぁ……、はぁ……、間に合った」

 私は、バスに駆け込むと、ホッと一息ついた。

 今日は、これから春奈さんと一緒に、映画を見る約束をしていた。思っていたよりも撮影が長くなって、バスの時間にギリギリだった。まあ、次のバスでも間に合うと思うけど、あまり春奈さんを待たせるのも申し訳ない。

 春奈さんは、車を運転していくと行っていた。

 私も、車の免許は持っているけど、両親にもお姉ちゃんにも、あまり運転するなと言われている。

 バスの中は、暖房で暖かかった。バス停まで走って来たので、少し暑いくらいだ。

 それにしても、今年ももうすぐ終わりかぁ。バスの窓の外に流れる街の景色も、クリスマス一色だ。


 20分後、私はショッピングセンターの前のバス停でバスを降りると、映画館に向かった。

 ここ『シネマF』は、最近リニューアルオープンした映画館で、大きなショッピングセンターに併設されている。

 駐車場も結構広いけれど、8割くらいは車が停まっているようだ。

 映画館の中には、映画館の正面入口からも、ショッピングセンターの中からも行けるようになっている。

 私は映画館の正面入口から入って、エレベーターは混んでいそうなので、階段で二階へ上がった。劇場は、建物の二階にある。

 私と同じ考えなのか、他にも数人が階段を上がっていく。

 階段を上がると、ちょうど前の回が終わったところで、出てきたお客さんと、次の回を待つお客さんとでいっぱいだった。

 次の回は、午後6時45分から午後8時45分までだ。もちろん、私達が見る、『あなたの名は』以外の映画を見る人もいるので、更に人が多くなっている。

「春奈さん、どこだろう?」

 こう人が多いと、探すのも大変だ。

 電話を、掛けてみようかな?

 バッグから、携帯電話を取り出そうとしたところ、劇場の隅の方に春奈さんの姿を見付けた。私が、春奈さんの方へ歩いて行くと、春奈さんは、数人の男女と話込んでいた。その時、春奈さんが、こちらを振り向いた。

「アスナちゃん、こんばんは。凄い人だね」

 と、春奈さんが笑顔で言った。

「春奈さん、こんばんは。さっきの人達は、知り合い?」

 先ほどの男女は、劇場の奥の方へ行ってしまった。

「えっ? あ、ああ、違うの。私の、ファンなんだって」

「そうなんだ。それにしても、本当に凄い人ですね」

「そうなの。私も、10分前に来たんだけど、びっくりしちゃった。それでね、座席を取ったんだけど、あまりにも人が多すぎて、ちょっと離れた席になっちゃったの」

「そうなんですか? 仕方がないですね」

「アスナちゃんは、後ろの方が好きだったよね?」

「はい」

 私は、映画館では、可能な限り後ろの方で見たい。

「それじゃあ、アスナちゃんは、この一番後ろの席で見て」

 と、春奈さんにチケットを渡された。

「春奈さんは、どこで見るの?」

「私は、真ん中の端の方かな。それじゃあ、行きましょうか」


 約2時間後――


「春奈さん、面白かったですね」

「そうね。アスナちゃん、この後、時間ある?」

「ありますよ」

「それじゃあ、ちょっとカフェにでも行かない?」

「いいですね。行きましょう」

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