第12話

「明日香さん。それにしても、高級そうなマンションでしたね」

 と、僕は言った。

「そう? それほどでもないと、思うけど」

「どうして、分かるんですか?」

「あのマンションは、私の父の不動産屋の物件だから」

 なるほど、そういう事か。

 しかし明日香さんは、お父さんの会社の物件の価格を、全部把握しているのだろうか? まあ、明日香さんなら、あり得なくはないか。

「興味があるなら、父に紹介するわよ」

「興味があっても、お金がありません」

 とてもじゃないけど、いくらそこまで高くないとはいっても、僕の給料では無理がある。

 それに――明日香さんのお父さんには、もっと別の理由で紹介されたいものだ。

「明日香さん。さっそく、児童養護施設に行ってみますか?」

「そうね――今から行っても、夕食の時間とかで忙しいだろうし、ご迷惑だろうから、明日の朝にしましょうか。明宏君、今日はこのまま帰ってもいいわよ。駅で、降ろしてあげるわ」

 午後6時を過ぎて、外はもう真っ暗である。


「明日香さん、お疲れ様でした」

「ご苦労様」

 僕は、駅で降ろしてもらうと、電車に乗って帰宅したのだった。


 翌日、金曜日――


 今日で、和久井が殺害されてから、ちょうど一週間が経った。昨日逮捕された、本多弁護士が犯人なんだろうか?

 それとも、犯人は別にいるのだろうか――


「明日香さん、おはようございます」

「明宏君、おはよう」

 明日香さんは、今日も既に探偵事務所に来ていた。

「今日は、寒いですね」

「そうね」

 と、明日香さんは頷いた。

 ここ数日間、寒くなったり少し暖かくなったり、安定しない日々が続いている。体調を崩さないように、気を付けなければ。

「鞘師警部から、何か連絡はありましたか?」

「犯行現場は、あの公園で間違いなさそうよ。砂場から、和久井の靴跡が見付かったそうよ」

「和久井のだけですか?」

「他にも、誰の物か分からない靴跡も、いくつか見付かったそうよ。その中には、本多弁護士よりも小さいサイズの靴跡もあったそうよ」

「本多弁護士の靴跡は、見付からなかったんですか?」

「本多弁護士と断定できる靴跡は、見付からなかったそうよ。誰の物か分からない中に、あるかもしれないけれどね」

「本多弁護士よりも小さいサイズって、女性でしょうか?」

 まさか、岸本弁護士の靴跡では――

「岸本弁護士の靴跡では、なかったそうよ」

 と、明日香さんは、僕の心の中を読んだかのように言った。

「鞘師警部も、少し岸本弁護士を疑っていたみたいね。岸本弁護士は間違いなく、ノートを買いに行っていたそうよ。それと、岸本弁護士は、やっぱり和久井の事を知っていたみたいね。偶然、二人が会って話しているのを聞いたらしいわ。私達に知らないと言ったのは、とっさに嘘を付いてしまったそうよ」

「明日香さん。さっきから、何を見ているんですか?」

 明日香さんは、僕と話しながら、何かを見ていた。

「昨日、藤田さんから借りた写真よ」

「何か、おかしなところでもあるんですか?」

「そういうわけではないけど――誰かに、似ているような気がするのよね」

「誰かに? まさか、岸本弁護士ですか?」

「ううん。岸本弁護士では、ないと思うわ」

 と、明日香さんは、首を横に振った。

「誰か、芸能人にでも似ているんじゃないですか? こんなに、かわいいんですから」

「芸能人か……」

 と、明日香さんは呟いた。

 いや、僕は思い付きで言っただけだから、あんまり本気に取らなくてもいいのだが――

「明日香さん。そろそろ児童養護施設の方に、行かなくてもいいんですか?」

「そうね――そろそろ、行きましょうか」

 と、明日香さんは、立ち上がった。


「この辺りでしょうか?」

 僕は、助手席に座る明日香さんに聞いた。

「多分、そこを左に入った所じゃないかしら?」

 僕は、左の少し狭い道路にハンドルを切った。

「あっ、あれでしょうかね?」

 しばらく直進すると、それらしき建物が見えてきた。門のところに、児童養護施設『桜の天使たち』と、書かれている。

 僕は、車を中に入れた。


「結構、古そうな建物ですね」

 と、僕は言った。

「そうね」

 もう、建てられてから、数十年は経っていそうな木造の二階建ての建物だ。

 明日香さんが、玄関横のチャイムを鳴らした。しばらく待っていたが、誰も出て来なかった。

 明日香さんがドアを引くと、鍵は開いていた。明日香さんは、中へ入っていった。

「明日香さん。勝手に入って、いいんですか?」

 建物の中は、静かだった。時間的に、子供達は学校にいっているのだろう。人の気配は、感じられなかった。

「留守でしょうか?」

 と、僕は辺りをきょろきょろと見回しながら言った。

「鍵を掛けずに、出かけるなんてことは、ないと思うけど」

 と、明日香さんが言った。

「すみませーん! どなたか、いらっしゃいませんかー?」

 と、僕は、大声で呼んでみた。

「はーい! すみません! ちょっと、待っていてください!」

 奥の方から、女性の大きな声が聞こえてきた。どうやら、留守ではなかったようだ。


「すみません。お待たせしました」

 と、やって来たのは、70代くらいのおばあさんだった。

「すみませんね。洗濯機を回していたもので、気付かなくて。私も、もう年で、耳が遠くなってきて。これくらい近くなら、聞こえるんですけど――あの、どちら様ですか?」

「すみません。申し遅れましたが、私は探偵の桜井明日香と申します。こっちは、私の助手の坂井です」

 と、明日香さんは、名刺を渡した。

「私は、ここの養護施設の、木村桜子です」

 と、木村さんも、名刺を明日香さんに渡した。

「探偵さんというと、もしかして――本多先生の事でしょうか?」

「…………」

 明日香さんと僕は、無言で顔を見合わせた。木村さんの口から、思ってもいなかった名前が飛び出したので、明日香さんも僕も驚きのあまり声が出なかった。

 そして、明日香さんが口を開いた。

「本多先生というのは、もしかして弁護士の本多進一郎さんの事でしょうか?」

「ええ、そうです」

 と、木村さんは頷いた。

「本多弁護士の事を、ご存じなんですか?」

「はい。この養護施設の経営の事などで、色々とお世話になっていましたので――本多先生の事で、いらしたのでは?」

「実は、別件でお邪魔させていただいたのですが。その前に、本多弁護士の事を、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、構いませんけど。よろしければ、お茶でも入れますから、こちらへどうぞ」

 と、僕達は、応接室に通された。


「狭い部屋で、すみませんね。あまり、経営に余裕がないものですから」

 と、木村さんが、お茶を出しながら言った。確かに応接室は狭く、建物の中に入る前から思っていたが、経営は苦しいようだ。

「木村さんは、本多弁護士とは長くお付き合いがあるんでしょうか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「ええ、もうかれこれ15、6年くらいでしょうか? 本多先生が、弁護士になられた頃からのお付き合いです」

「どういうきっかけで、お知り合いになられたんでしょうか?」

「古い知り合いに、紹介されたのがきっかけです。まだ若いけれど、とても熱血漢な優秀な弁護士がいると」

「熱血漢ですか――」

 そうなのか。僕達は、本多弁護士には直接は会っていないから、どういう人かは一切知らないのだ(不倫疑惑以外は)。

「ええ。当時は、本当に熱い人でしたよ。さすがに、最近は落ち着かれたようですけど」

 と、木村さんは微笑んだ。

「本多弁護士には、具体的にはどんな事を?」

「そうですねぇ……。この養護施設の経営の相談とか、以前ちょっとしたトラブルがありまして、その解決をしていただいたりとか、色々ですね。だから、ニュースを見て、本当にびっくりして……。本多先生が、まさか人を殺すだなんて……。絶対に、何かの間違いです」

 木村さんは、本多弁護士が殺人容疑で逮捕された事が、とても信じられないみたいだ。

「木村さんが、最後に本多弁護士に会われたのは、いつ頃でしょうか?」

「今月の、始め頃です。年末に、またお会いする予定だったのですけど……」

 と、木村さんは、肩を落とした。

「差し支えなければ、年末にどういう理由でお会いする予定だったのか、聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ええ、構いませんよ。実は――ここを来年の3月いっぱいで、閉鎖しようと思っているんです」

「閉鎖ですか?」

「はい。先ほどもお話したように、経営も苦しいですし、私自身ももう年で……。これ以上続けていくのは、難しいんです。それで、なるべく子供達に影響の少ない、年度末で閉鎖をしようと思っているんです。その事を、今年の8月くらいから、本多先生に相談させていただいていたんです。子供達の新しい受け入れ先なども、早急に決めなければいけませんので」

「因みに、こちらには子供は何人くらいいるんですか?」

「今は、小学生の男の子が三人と女の子が二人、中学生が男女一人ずつの、計七人ですね。多い時は、二十人近くいたんですけど」

「子供達は、ここが閉鎖される事は知っているんですか?」

「はい。話しています」

「子供達は、寂しがっているんじゃないですか?」

「ええ……。だから、全員まとめて引き受けてくれる所を探していたんです」

「そうなんですね。それで、新しい受け入れ先は決まりそうなんですか?」

「はい。年明けには、決まると思います。本多先生のお知り合いの所で。ただ――本多先生が、こういう状況では……。今は、岸本先生が話を進めていてくれているんですけど……。どうなるか、分かりません。最悪、断られるかもしれません」

 確かに、殺人犯からの頼みとなると、断られるかもしれないだろう。子供達には、何の罪もないのだが――

「もしもそうなれば、無理をしてでも、ここを続けなければいけないでしょう。子供達は、喜ぶかもしれませんけど……」

 と、木村さんは、微妙な表情を見せた。

 木村さん自身も、本当は続けていきたいのだろう。しかし、本人が続けていきたいと思っても、お金の問題がどうにかなるものではない。

「明日香さん。そろそろ、波崎さんの事を聞いてみませんか?」

 と、僕は言った。

「そうね」

 ここに来た最大の目的は、波崎さんの娘さんの成美さんの事を聞く為だ。思いがけず本多弁護士の話が出てきたので、忘れるところだった。


「木村さん。私達がこちらに伺ったのは、以前こちらの児童養護施設に居た、波崎成美さんという女の子の事を知りたくて来たんです」

 と、明日香さんが言った。

「成美ちゃんの事ですか?」

「はい。15年くらい前に、こちらに入ったと聞いて来たんです」

「ええ、成美ちゃんは、確かにここに居ましたよ。高校を卒業するまで居ました」

「木村さんは、子供達の事を全員覚えているんですか?」

 と、僕は聞いた。

「ええ、もちろん。特に成美ちゃんは、とてもかわいい子でしたし、身長も高くてね。今でも時々訪ねて来てくれます」

「えっ!? 今でも、こちらに来るんですか?」

 僕は驚きのあまり、明日香さんと顔を見合わせた。

「はい。そんなに頻繁に来るわけでは、ありませんけど。年に、2回くらいは来てくれますよ」

「因みに、最後に来られたのは、いつ頃でしょうか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「そうですねぇ……。最近は、来てないんですけど。8月の終わりくらいでしたかね。今日から、一週間夏休みをもらえたからって。そうそう、ちょうど本多先生が来られた日でした。成美ちゃんが帰る時に、ちょうど本多先生が来られたんです。多分、クリスマスには、また来てくれると思いますけど。毎年、子供達にプレゼントを持って来てくれるんです」

 毎年、クリスマスプレゼントか。お金が、かなり掛かりそうだな。

「波崎さんは、今は何をされているんですか?」

「私も、詳しくは聞いていないんですけど。あんまり、自分の事は話したがらないんです」

「そうですか」

「ただ――成美ちゃんがいる時に、一度電話が掛かってきた事があって。スカートがどうとか、ワンピースがどうとか、そんな事を言っていたと思います」

「そういう物を取り扱っている、お店に勤めているんでしょうかね?」

 と、僕は、明日香さんに聞いた。

「そうね。その可能性も、あるけど――木村さん。波崎成美さんは、どんな子供だったんですか?」

「そうですねぇ……。とても、おとなしい女の子でしたね。よく、ファッション雑誌とか見ていましたね。本多先生が、子供達の為に、色々な本を持って来てくれていたんです」

「他の子供達とは、仲が良かったんでしょうか?」

「ええ。同い年の子が、男の子が一人と女の子が二人いたんですよ。その子達とは、ずっと仲が良かったですね――あの、成美ちゃんが、どうかしたんでしょうか? 本多先生の事と、何か関係があるんでしょうか?」

 木村さんは、どうして明日香さんが波崎成美さんの事を聞いてくるのか、不思議で仕方がないみたいだ。

「いえ、そういうわけでは……」

「成美ちゃんが、本多先生の共犯者だとでも、おっしゃるんですか?」

 木村さんの口調は穏やかだけど、明らかに僕達に不信感を抱いている。

「そんな事は――まだ、どちらが犯人かは……」

 と、僕は慌てて言った。しかし、その一言がまずかったみたいだ。

「すみません。この後、まだ掃除や買い物などで忙しいんです。そろそろ、お帰りいただけますか?」

 どうやら、木村さんを怒らせてしまったようだ。

「明宏君。これで、失礼しましょう」

 と、明日香さんが言った。

「えっ? で、でも……」

「木村さん。大変失礼しました。これで失礼させていただきます」

 と、明日香さんが頭を下げた。

 僕達は、桜の天使たちを後にした。

 しかし、共犯者か。その線は、考えてなかったな。

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