第11話
「もしもし、桜井です――山本さんですか? はい、そうです」
どうやら、一昨日、僕達が訪ねた山本さんからの電話のようだ。旦那さんが旅行先から帰宅したら、電話をくれる事になっていたっけ。
「ありがとうございます。それでは、今から伺わせていただいても大丈夫でしょうか? はい、分かりました。それでは、3時過ぎにお伺いいたします。ありがとうございました。失礼します」
明日香さんは、電話を切った。
「明日香さん。山本さんですか?」
と、僕は聞いた。
「ええ、そうよ。山本さんのご主人が、さっき帰られたそうよ。波崎さんと親しかった、藤田さんの事を知っているそうよ。急いでお昼を食べて、向かいましょう」
「明日香さん。それって、必要なんですかね? やっぱり、本多弁護士が犯人なんじゃないですか?」
鞘師警部が取り調べを続ければ、きっと本多弁護士も罪を認めるのではないだろうか? 僕は、そんな気がした。
「こっちが空振りだったら、それはそれでいいのよ。本多弁護士の事は、鞘師警部に任せておきましょう。最初の方針通り、私達はもう少し、こっちを調べてみましょう」
そういえば、明日香さんは最初に、デジカメの男は警察に任せて、自分達は波崎さんの件を調べると言っていたっけ。たまたま、テレビで本多弁護士の事を知ったから、本多弁護士の事も調べる事になったのだ。
「分かりました。行きましょう」
と、僕は言った。
僕達は、明日香さんの車で山本さんの家に向かった。最近は、鞘師警部の車での移動が多いから、自分で運転をするのは、和久井の遺体を発見した日以来か。
「そういえば、明日香さん。さっきの話の続きなんですけど、どうして岸本弁護士が、和久井の事を知っていたかもしれないって思うんですか?」
と、僕は運転しながら聞いた。
「ああ、それはね――私達が、本多弁護士の事務所を訪ねた時よ。私が岸本弁護士に、和久井という人を知っているかって聞いた時に、岸本弁護士は、そんな男性は知らないって答えたわ」
「それが、何かおかしいんですか? 和久井は、男性ですよ」
「私は、和久井という名字しか口に出さなかったのよ。亮二という名前は言わなかったし、もちろん性別も言っていないわ」
明日香さんの言葉に、僕は必死でその時の事を思い出そうとした。
「思い出しました! 確かに、そうでした。間違いありません」
「思い出しただけでも、明宏君としては上出来ね。そうよ、確かに岸本弁護士は、和久井亮二という男を知っていたのよ」
「でも、どうしてそれを隠したんでしょうね? 何か、岸本弁護士にとって、不都合な事でもあるんでしょうか?」
「岸本弁護士にとって、不都合な事ね――」
と、明日香さんは呟くと、なにやら考え込んでしまった。こういう時は、そっとしておいた方がいいだろう。
しばらく走っていると、明日香さんが口を開いた。
「明宏君――」
「はい。明日香さん、どうかしましたか?」
「岸本弁護士は、ご両親を亡くしているって言っていたわよね?」
「ええ、そうですね。確かに、そう言っていましたけれど――それが、何か?」
「波崎さんの娘さんも、ご両親を亡くしているのよね。そして年齢的にも、岸本弁護士と波崎さんの娘さんは同じくらいよね?」
「そうですね。多分、同じくらいになるんじゃないでしょうか」
二人とも、20代の半ばくらいのはずだ。しかし、明日香さんは何が言いたいのだろうか?
もしかして――
「明日香さん。もしかして、岸本弁護士が波崎さんの娘さんだって、考えているんじゃないですか?」
「明宏君、察しがいいわね。ふと、そう思っただけよ」
「で、でも――そんな事って、あり得るんでしょうか? 確かに、年齢や両親を亡くしているという境遇は似ていますけど……。でも、名前が違うじゃないですか。波崎成美と、岸本優子ですよ。岸本優子が、偽名だったとしたら、偽名で弁護士の資格が取れるんでしょうか?」
「問題は、そこなのよね。やっぱり、私の考え過ぎかしら」
「明日香さん。もしも、本当に岸本弁護士が波崎さんの娘さんだとしたら、どうなるんですか?」
「そうね――偶然、自分の勤めている弁護士事務所の弁護士が、これまた偶然、過去に自分の父親を死に追いやった人物に脅迫されている事を知った。これを利用して、父親のかたきを討った――というところかしら? ちょっと、無理があるような気がするけど」
確かに、そんな都合よく偶然は続かないとは思うけれど。
「もしもそうだとすると、岸本弁護士はノートを買いに行くふりをして、和久井を殺しに行った――という事でしょうか?」
「まあ、この事は、藤田さんの話を聞いてみてからにしましょう」
と、明日香さんは言った。
僕達は、二日振りに山本家にやって来た。
玄関のチャイムを鳴らすと、山本さんの奥さんが顔を出した。
「山本さん。お電話、ありがとうございます」
「いらっしゃいませ。先ほど、主人が帰りましてね。藤田さんの事を聞きましたら、知っているという事ですので。中へどうぞ」
僕達は、家の中へ通された。
「どうも、初めまして。探偵の、桜井明日香と申します」
「いやぁ、これまたかわいらしいお嬢さんですね。もっと、おばさんが来るもんだと思ってました。ワッハッハ!」
と、豪快に笑うこの男性が、山本さんの旦那さんだ。年齢的には、70代後半くらいだと思うけれど、とても元気な人だ。
「山本さん、今日はお忙しい中、どうもありがとうございます」
と、明日香さんが頭を下げた。
「忙しい事なんかありませんよ、旅行に行かない日は、暇で暇で仕方がないですよ」
「それで、さっそくなんですが、波崎さんと親しかった藤田さんという方を、ご存じだと奥様からうかがったのですが」
「ああ、藤田さんね。私も、藤田さんとは凄く親しいわけではないですけど、年賀状の交換はしているんで、もちろん知ってますよ。今も、都内に住んでいるはずですよ。ちょっと、待っていてください。確か、年賀状に住所が書いてあったはずだから」
と、山本さんは言うと、奥へ入っていった。
僕達が来るまでに、探しておいてほしかったものだが。まあ、せっかく教えてもらえるのだから、贅沢を言っても仕方がないか。
「お待たせしましたね。ありましたよ」
5分後、一枚のハガキを手に、山本さんが戻ってきた。
「これが、今の藤田さんの住所です。引っ越したとは聞いてないので、そこで間違いないでしょう。電話番号は分からないんで、直接行ってみてください。今年も、そろそろ年賀状を出す時期ですな」
僕は年賀ハガキを受け取ると、手帳に藤田さんの住所をメモした。
「ありがとうございます。さっそく行ってみます」
と、明日香さんが言った。
「藤田さんに、よろしく言っておいてください」
「はい、分かりました。ちなみに山本さんは、波崎さんの事はご存じありませんか?」
「いやぁ……、波崎さんの事は、正直あんまり知らんのですよ。確か、奥さんは早くに亡くされたんじゃなかったかなぁ? いや、離婚したんだったかなぁ? いや、やっぱり亡くされたのか……。まあ、とにかく、お嬢さんを男手一つで育てていたようですがね。まさか、借金まみれだったとはね。お嬢さんも、かわいそうにね。今、お嬢さんはどうされてるん?」
いや、それが分からないから、聞いているのだけれど……。
「山本さん、これで失礼いたします」
と、明日香さんが頭を下げた。
「あっ、そうだ!」
僕達が帰ろうとした時、山本さんが何かを思い出したように声を上げた。
「ちょっと、待っていてください」
山本さんは、奥へ入っていった。
そして、すぐに戻ってきた。
「よかったら、これ差し上げますよ。北海道土産です。女房が、いらないって言うもんで」
と、山本さんは差し出した。
「は、はぁ……。明宏君、いただいておきなさい」
「えっ? いや、しかし……」
僕は困惑した。奥さんもいらないかもしれないけれど、僕だって貰っても困る。
「若い人が、遠慮なんかするもんじゃない。ワッハッハ!」
「明日香さん、すぐに、藤田さんの家に向かいますか?」
「そうね。行ってみましょう」
僕達は、このまま藤田さんの家に向かう事にした。
僕は、車を運転しながら後部座席から視線を感じた。後部座席には、ちょっと大きめの熊の置物が、鮭をくわえながら僕を見つめていたのだった。
「明日香さん。この住所だと、明日香さんの事務所に近いんじゃないでしょうか?」
と、僕は言った。
「そうね。結構、近そうね」
僕達は午後5時頃、藤田さんの住むマンションにやって来た。
「ここですかね? 結構、高そうなマンションですね」
と、僕はマンションを見上げながら言った。僕の住むアパートとは、当然比べ物にならない――っていうか、そもそも比べようとした事が恥ずかしい。
「さあ、行くわよ」
明日香さんに促されて、僕達はマンションの中へ入っていった。
「突然、すみません。私、探偵の桜井明日香と申します。こっちは、助手の坂井です」
と、明日香さんは、藤田さんに名刺を渡した。僕達は、藤田さんの部屋に通されていた。
高そうなマンションではあるが、室内はそれほど高級品で溢れているという事はなかった。
藤田さんは、70代後半くらいか。山本さんよりは、少し若そうだ。
「これは、ご丁寧にどうも。探偵さんが、こんな老人に何のご用でしょうか? 探偵さんに調べられるような事は、見に覚えがないのですがね。誰か、私に惚れた女性が、身辺調査でも頼まれましたかな?」
と、藤田さんは笑った。
「残念ながら、そうではありませんが――藤田さんが波崎さんという人をご存じだと、山本さんにお聞きしまして。それで、訪ねて来ました」
と、明日香さんが言った。
「そうですか。妻に先立たれて、ちょうど寂しいと思っていたところだったんですがね――まあ、冗談はそれくらいにして。波崎さんというと、15年くらい前に亡くなられた、あの波崎さんですかな?」
「はい、そうです」
と、明日香さんは頷いた。
「まあ、波崎なんて珍しい名字は、そんなに多くないでしょうからね――それで、その波崎さんが、どうかされましたか?」
「藤田さんは、波崎さんと親しくされていたんですよね?」
「ええ、そうですね。私が、一番親しかったと思いますよ」
「元警察官の方にお聞きしたのですが、当時警察に通報されたのが藤田さんなんですね?」
「ええ、そうですよ。あの時は、驚きました。まさか――あんな事になるなんて……。私が、もっと早くなんとかしてあげられたら、よかったんですがね」
と、藤田さんは、肩を落とした。
「波崎さんの会社は、かなり景気が悪かったんでしょうか?」
「ええ、そのようですね。波崎さんも、よりによってあんな悪徳な会社から、金を借りるとは……。まあ、それだけ困っていたんでしょうね」
「波崎さんには、小学生のお嬢さんがいらしたそうなんですが」
「ああ、成美ちゃんの事ですね。成美ちゃんも、かわいそうにね。あの年で、両親ともにいなくなるなんてね……。波崎さんの遺体を発見した時の成美ちゃんの姿は、今でも忘れられませんよ」
確かに、そうだろう。目の前で、首を吊っている父親の姿を見たのだ。それは、ショックだっただろう。
「その、成美さんなんですが――その後、どうされたのか。そして、今どうされているのか。藤田さんは、何かご存じありませんか?」
「今ですか? 成美ちゃんには、他に身寄りがないという事で、父親が亡くなって一ヶ月くらいは、私の家にいたんですよ」
「えっ!? ここにですか?」
と、僕は聞いた。
「いえ、ここではなくて、前の家ですが」
ああ、そうか……。藤田さんは、数年前に引っ越しているんだった。
「その後は、どうされたんでしょうか?」
と、明日香さんが聞いた。
「私としては、ずっといてもらっても構わなかったんですが、妻が嫌がりましてね。児童養護施設の方に、入る事になったんです」
「その児童養護施設の場所は、ご存じでしょうか?」
「ええ、もちろん。私が、決めた所ですからね。『桜の天使たち』という、児童養護施設です。春になると、敷地内にとても綺麗な桜が咲くんですよ」
「それで、『桜の天使たち』ですか」
「ええ。経営者の名前が、
藤田さんはそう言うと、隣の部屋に入っていった。
「お待たせしました。以前、成美ちゃんが手紙を送ってきた事がありましてね。住所は、ここに書いてあります」
と、藤田さんがハガキを手に戻ってきた。僕はハガキを受け取ると、住所をメモした。
「ありがとうございます。ハガキは、よく届くんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「いえ、成美ちゃんが中学生くらいまでは届いていたんですが、もうここ10年くらいは届かないですね。ここに引っ越した際に、成美ちゃんに手紙を書いて、ここの住所も教えてはいるんですが。今も、元気でやっていればいいんですがね」
「藤田さん。成美さんの写真とか、お持ちではないでしょうか?」
「写真ですか? ――そういえば、一枚あったと思います。ちょっと、お待ちください」
藤田さんは、再び隣の部屋に入っていった。
「お待たせしました。家に居た時に、一枚だけ写しましてね」
「ありがとうございます」
明日香さんが、写真を受け取った。僕も、横から写真を覗き込んだ。
これが、波崎成美さんか――
その写真には、一人の小学生の女の子が写っていた。しかし、その女の子は写真の中で、まったく笑っていなかった。父親を亡くしたばかりだから、当然といえば当然なのだが。
「かわいい女の子ですね」
と、僕は思わず呟いた。
「そうね」
と、明日香さんは頷いた。
まだ小学生だけど、そのかわいさは際立っていた。まるで、芸能人みたいだ。しかし、岸本弁護士に似ているかと言われたら、微妙なところか――
「藤田さん。この写真を、少しの間お借りしてもよろしいでしょうか?」
と、明日香さんが聞いた。
「写真ですか? ええ、いいですよ」
僕たちは、藤田さんにお礼を言うと、藤田さんのマンションを後にした。
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