第10話

「アリバイ作り――ですか?」

 と、僕は驚いて、明日香さんに聞き返した。

「ええ、そうよ」

 と、明日香さんは頷いた。

「ということは、明日香ちゃん。やはり和久井を殺害した犯人は、波崎さんの娘さんではなく、本多弁護士だと?」

 と、鞘師警部は聞いた。

「――それは、まだ分かりません。だけど、岸本弁護士の話を聞くと、やっぱり不自然だと思うんです」

「どこが、不自然なんですか?」

 と、僕は聞いた。

「弁護士ともあろう人が、本当に勘違いで、大切な裁判の為の資料を作り忘れるのかしら?」

「確かに、そんな大切な事は、普通は忘れないか」

 と、鞘師警部は頷いた。

「ええ。明宏君じゃ、あるまいし」

「いえいえ。僕だって、そんな大切な事は忘れないですよ。一応、手帳も持ち歩いていますから」

 そんな、失礼な。

「そうよ。明宏君でさえ大切な事はメモしているのに、依頼人の人生を左右してしまうくらい大切な事を忘れるというのは、やっぱり不自然です」

「なるほど。他には?」

 と、鞘師警部が促す。

「本多弁護士が、時間を気にしていたという事も気になります」

「それは、残業時間を気にしていたんじゃないですか? 残業代を、あんまり出したくない――とか?」

 と、僕は聞いた。

「確かに、その可能性もゼロではないけど。岸本弁護士が戻ってきてからは、時間を気にしていなかったという事が引っ掛かるの」

「なるほど。それまでは時間が気になる事があったが、その後は気にする必要がなくなった――という事か」

 と、鞘師警部が言った。

「もしも、本多弁護士が意図的に岸本弁護士に残業をさせて、そして、あの時間にノートを買いに行かせたのだとしたら――」

「その20分間に、何かをしていたという事か」

 と、鞘師警部は頷いた。

「はい。探し物なんかじゃなく、もっと違う事を――」

 明日香さんは、違う事というのが何の事かを、はっきりとは言わなかったけど。その間に、和久井をどこかで殺していた――という事か。

「鞘師警部。ちょっと、あっちの方に行ってみましょうか」

 と、明日香さんが言った。

「ああ、分かった」

 僕達は、弁護士事務所の裏の細い道を、奥の方へ向かって歩いてみる事にした。


 この道は、ほとんど外灯もなく、今は午前中だからいいけれど、夜は真っ暗かもしれない。

 本多弁護士は、あの夜、ここを通ってどこかへ行ったのだろうか?

 僕達が10分くらい歩くと、小さな公園のようなものが見えてきた。

「公園ですかね?」

 と、僕は言った。

「ちょっと、入ってみましょうか」

 と、明日香さんが言った。

 僕達は、公園に足を踏み入れた。


「あんまり、手入れがされているようには見えませんね」

 と、僕は言った。

「そうだな。遊具も錆び付いているし、雑草も酷いな」

 と、鞘師警部が言った。

 どうやらこの公園は、今はまったく使われていないみたいだ。鞘師警部も言っていたけど、ブランコや鉄棒も錆び付いている。

「反対側は、車も通れる道ですね」

 と、僕は言った。

 僕達が入って来た方向と逆の入り口は、広い道路になっていた。こちら側からなら、車でも来れる。

「鞘師警部! これを、見てください!」

 突然、明日香さんが叫んだ。明日香さんは、砂場を見ている。

「明日香ちゃん、何か見付かったかい?」

「ええ。この砂場ですが、誰か争ったような形跡じゃないでしょうか?」

「確かに、そうだな――足跡らしきものもあるな」

 と、鞘師警部は頷いた。

「明日香さん。まさか、ここが現場なんでしょうか?」

 と、僕は言った。

「鞘師警部。これは、血痕じゃないでしょうか?」

 と、明日香さんが言った。

 砂場の中に、誰かが忘れていったのだろうか、子供が使うような小さなシャベルが落ちていた。

 僕達は、自分の足跡が付かないように少し離れた所から見ていたが、そのシャベルに、血痕のようなものが付着しているみたいだった。

「ま、まさか――あれが、凶器でしょうか?」

 と、僕は聞いた。

「いや、それはないだろう。和久井は、明らかに絞殺だ」

 と、鞘師警部が否定した。

 まあ、確かに、こんな小さなシャベルでは殺せないか。

「そういえば、和久井の額に傷がありましたよね? あのシャベルでしょうか?」

 と、僕は再び聞いた。

「あれは、小さすぎるわね。おそらく、落ちていたあのシャベルに、偶然血痕が付着したんでしょう」

 と、明日香さんが言った。

「実際に夜に来てみないと分からないが、この辺りは外灯も少なく、夜は暗そうだな。犯人は、あのシャベルには気付かなかったんだろう」

 と、鞘師警部が言った。

「鞘師警部。すぐに連絡をして、詳しく調べてもらいましょう」

 と、明日香さんが言った。

「ああ、そうだな」

 鞘師警部は携帯電話を取り出すと、警察署に連絡を入れた。


「明日香さん。本多弁護士が、和久井をここに呼び出して、殺害したんでしょうか?」

 と、僕は聞いた。

「うーん……。その可能性もあるけれど、時間がね。20分で、殺害して往復できるのかしら?」

 確かに、僕達は本多弁護士の事務所から、10分くらい歩いて来た。徒歩では、絶対に無理だろう。何か、乗り物を使えば――

「明日香さん。車を使えば、可能じゃないでしょうか?」

「それは可能だと思うけど、車を使うには、あの裏の細い道は無理ね」

「こっちの広い道なら、どうでしょうか?」

「問題は――車を、どこに停めていたのかよ。弁護士事務所の駐車場は、お客さんの為の駐車場って、岸本弁護士が言っていたわ。そこに車が停まっていたら、岸本弁護士がノートを買いに外に出た時に、気付くかもしれないわ。仮に気付かなかったとしても、車に乗るところを一階のお弁当屋さんに見られるかもしれないし、その可能性は低いんじゃないかしら」

「確かに、そうですね。それじゃあ、やっぱり裏の道ですかね? 自転車かバイクでも使えば、可能ですよね?」

「そうね……。殺害して、往復する事は可能かもしれないけど――遺体を、どこに隠しておいたのかしら?」

「隠すって、どういう事ですか?」

 と、僕がきょとんとしていると、

「遺体が発見されたのは、ここじゃないでしょ」

 と、明日香さんが、呆れたように言った。

「あっ、そうでしたね。和久井のアパートで、見付かったんでした」

 すっかり、忘れていた。

「運んだのは深夜だと思うけど、それまで遺体を、ここに置いたままにしておいたのかしら? いくら人通りが少ないとはいっても、危険すぎると思うわ」

「そうですね」

 確かに、数時間とはいえ、遺体をそのままにしておく事は危険すぎる。誰の目につくか、分からないのだ。

「明日香ちゃん。もうすぐ、鑑識がやって来る。君達は、どうする?」

 と、電話を終えた鞘師警部が聞いた。

「そうですね――ここから、本多弁護士の事務所までの間を聞き込みしてみます」

「そうか、分かった。私は、鑑識が来るまでここにいるから、また後で合流しよう」


 公園で鞘師警部と別れた僕達は、公園から弁護士事務所に向かって、一軒一軒訪ねてまわった。

 しかし、平日の午前中で留守の家も多く、たいした話を聞く事はできなかった。

「明日香さん。特に、収穫はありませんでしたね」

 と、僕はため息をついた。

「そうね。まあ、仕方がないわね。本多弁護士本人にも、話を聞きたいところだけど、まだ帰ってきていないみたいだし。鞘師警部と、合流しましょうか」

 僕達は、再び公園へと向かった。


 公園には、既に鑑識も到着をしていて、立ち入り禁止になっていた。少数だが、野次馬もいる。僕達は、鞘師警部に特別に中に入れてもらった。

「明日香ちゃん。そっちの方は、どうだった?」

 と、鞘師警部が聞いた。

「残念ながら、何も分かりませんでした。留守の家も多くて」

「やはり、そうか。明日香ちゃん、すまないが私はしばらくここに残る事になった」

「分かりました。それじゃあ、私と明宏君はバスか電車で帰ります」

「いつも、悪いな。無駄な交通費を使わせて」

「いえ、気にしないでください。経費ですから」

 と、明日香さんは笑った。

「それじゃあ、明宏君。行きましょうか」

「はい」

 と、僕は頷いた。

「今日の夜か、遅くとも明日の朝には連絡をするよ」

 と、鞘師警部が言った。


 そんなこんなで、僕達は昼食を食べ、2時過ぎには探偵事務所に戻ってきた。

 結局この日は、鞘師警部からの連絡はなかったのだけれど、翌日、事件は急展開をみせた。本多弁護士が、和久井亮二殺害の容疑者として逮捕されたのだ。


 鞘師警部から電話があったのは、翌日の木曜日の午後2時過ぎだった。

「もしもし、明日香ちゃんか。連絡が遅れて、申し訳ない。実は、今朝なんだが、本多弁護士が逮捕された」

 と、鞘師警部が言った。

「本当ですか!? 何か確実な証拠が、見付かったんでしょうか?」

 と、明日香さんは、驚きを隠せない。

「ああ。昨日、明日香ちゃん達が帰ってから、昼間留守だった家に夕方に聞き込みを行ったんだ。その中で、岸本弁護士がノートを買いに行っている間の時間に、あの道を走るバイクが目撃されていたんだ」

「バイク――ですか?」

「そうだ。スーツ姿で、バイクに乗る男がな。本多弁護士もバイクを持っていてな、家族の話では、金曜日は電車ではなく、バイクで出勤していったらしい。おそらく、どこかにバイクを隠していたんだろう。それと、和久井が吊るされていたのと同じ物と思われるロープが、本多弁護士の事務所から見付かった。ただ、このロープは量産品で、どこにでも売っている物だがな」

「そのバイクの男は、間違いなく本多弁護士なんでしょうか?」

「ああ、本多弁護士の事務所に入って行くところも目撃されている」

「そうですか。それにしても、よくご家族が、バイクの事を素直に話してくれましたね」

「ああ、そうだな。奥さんの口振りでは、本多弁護士の不倫に、気付いていたようだな。とっくに、愛は冷めている――そんなところだろう」

「それで、本多弁護士は犯行を認めているんでしょうか?」

「ああ、それなんだが――あの写真を見せたところ、和久井に脅されていた事は認めた。不倫をばらされたくなければ、金を払えと要求されていたそうだ。どうやら本多弁護士は、奥さんに不倫がばれているとは思っていないみたいだな。だが、殺害については否認をしている」

「否認ですか?」

「ああ、そうだ。本多弁護士の話では、公園に行った事は行ったが、和久井は来なかった――そう、話している」

「来なかった? どういう事ですか?」

「それは、まだ分からないな。本多弁護士が、苦し紛れに嘘を言っているだけかもしれない。この後、また引き続き取り調べを続ける。もしも、何か分かったら、また連絡をするよ」


「明日香さん。これで、事件も解決ですね」

 と、僕は笑顔で言った。

 もう少し時間がかかるかと思ったけれど、あっさりと解決してしまった。

「しかし、岸本弁護士も驚いたでしょうね。本多弁護士が不倫をしていて、殺人まで犯すなんて」

 と、僕は言った。

「そうね……。殺人犯として逮捕された事には、驚いたでしょうね。でも、不倫は知っていたかもしれないわね」

 と、明日香さんが言った。

「えっ? どうしてですか?」

「岸本弁護士は、少なくとも和久井の事は知っていたと思うわ」

「どうしてですか?」

 と、僕は再び聞いた。

「私が、岸本弁護士に、和久井という人を知っているかって聞いた時に――」

 と、明日香さんが言った瞬間に、明日香さんの携帯電話が鳴った。

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