第8話

 翌日、水曜日――


 今日も、朝はまだ寒かった。

 僕は電気毛布で暖かい布団に入ったまま、リモコンでテレビの電源を入れた。天気予報を確認してみると、今日は昼過ぎからは暖かくなるみたいだ。

 それにしても、便利な世の中になったものだ。今では、テレビのリモコンのボタン一つで、いつでも天気予報やニュースが見れる。

「週間予報は――雪は大丈夫そうか」

 と、僕は呟いた。

 僕はテレビを付けっぱなしにしたまま、顔を洗いに行った。


「うぅ……。冷たい」

 冬の洗顔は、冷たくて仕方がない。だからといって、洗顔の為だけにお湯を使うのは、もったいない。

 僕は、洗顔を終えると、朝の情報番組を放送しているテレビに目をやった。テレビでは、とある芸能人が酒に酔って暴力行為を犯して捕まっていた、というニュースをアナウンサーが伝えていた。

「誰だ?」

 僕は、ほとんど聞いた事がない俳優だった。

 まあ、テレビでやるんだから、僕が知らないだけで、それなりに有名な人なんだろう。僕は、特に気にする事もなく、そのままパジャマを脱いで着替え始めた。

 テレビでは、アナウンサーが

「いやぁ、驚きましたねぇ」

 なんて言っている。

「どれくらいの罪になるのか、弁護士の先生に聞いてみました」

 弁護士の先生――か。あのデジカメの先生は、いったい誰なんだろうか?

 テレビでは、アナウンサーが弁護士の話を伝えている。

 その話題が終わりかけた時、僕はテレビに目をやった。テレビ画面にはアナウンサーと、その下に、話を聞いたという弁護士の顔が、小さく映し出されていた。

「あれっ?」

 今の、弁護士の顔――

 どこかで、最近見掛けたような気がする。

 どこだったかな?

 僕はもう一度テレビ画面に目をやったけど、既にアナウンサーは別のニュースを伝えていた。でも、確かに最近見掛けたはずだ。

「――あっ!」

 思い出した! あの、デジカメに写っていた男だ! 一瞬だったけど、間違いないと思う。

 あの男――

 弁護士は、先生と呼ばれる職業だ。こうしては、いられない。明日香さんに、早く知らせなくては。

「携帯電話、携帯電話っと――」

 そうだ、寝る前に充電をして、そのままだ。

 僕は急いで携帯電話を充電器から外すと、明日香さんへ電話を掛けようとした。そこへ、タイミング良く携帯電話が鳴った。

 明日香さんからだ。

「も、もしもし明日香さん? おはようございます! ちょうど僕も、明日香さんに電話を掛けようと――」

「明宏君! 今すぐに、探偵事務所まで来て!」

「今すぐですか?」

「ええ。あのデジカメの男が誰か、分かったのよ」

「僕も、今テレビを見ていて――」

「明宏君も、見ていたのね。鞘師警部にも、さっき連絡をしたから。明宏君も、早く来てね」

「分かりました! 急いで、向かいます!」

 僕は、急いで部屋を出ようとしたが――

「あっ!」

 まだ、着替えている途中だった。ズボンを、まだ履いていなかった(どうりで、寒いはずだ)。

 これで出たら、風邪をひいてしまう(いや、それ以上の大問題が――)。

 僕は急いでズボンを履くと、慌てて部屋を飛び出したのだった。


 僕は、いつもよりも30分くらい早く探偵事務所にやって来た。慌ててやって来たので、朝食も食べていない。

 おや? あれは――

「鞘師警部!」

「おお、明宏君か。おはよう」

 ちょうど鞘師警部が、車から降りてきたところだった。

「鞘師警部、おはようございます」

「私も、今、着いたところだ。明日香ちゃんに、電話で叩き起こされてね。詳しい話は、上でするよ」

 と、鞘師警部は、二階の探偵事務所を指差した。


「明日香さん、おはようございます」

「明日香ちゃん、おはよう」

 今日も明日香さんが、事務所を暖かくしておいてくれていた。

「おはようございます。鞘師警部、さっそくと言いたいところですが。明宏君、どうせ何も食べずに来たんでしょう?」

 と、明日香さんが言った。

「はい。慌てて、出て来たんで」

 と、僕は正直に言った。

「おにぎりだけだけど、良かったら食べて」

 と、明日香さんが机の上を指差した。

 僕が机を見ると、そこには、おにぎりとお茶が用意されていた。

「ありがとうございます!」

 僕は、遠慮なく、おにぎりを食べ始めた。

「いやぁ、美味しいですねぇ。これって、明日香さんが握ったんですか?」

「他に、誰もいないでしょう」

 それも、そうか。

 しかし、明日香さんの握ったおにぎりが食べられるのなら、毎日でも朝早く呼び出されたいものだ。

「鞘師警部も、良かったら食べてください」

 と、明日香さんが言った。

「ああ、私はいいよ。実は、ここに来る前に、サンドイッチを食べて来たんでね。明宏君、私は気にせずに食べてくれ」

「それじゃあ、もう一ついただきます」

 うん、美味しい。

 鞘師警部は、おにぎりをバクバク食べる僕を、ニコニコしながら見ている。

「鞘師警部、それでは本題の方ですが――」

 と、明日香さんが言った。

「ああ、そうだったな。明日香ちゃんの電話の後、私はその番組を見ていなかったんだが、どうやら捜査員の中に番組を見ていた者がいて、確認が取れた。あの男は、弁護士の本多進一郎ほんだしんいちろう41歳だ。それともう一つ、例の動物の毛だが、犬の毛だった」

「さっそく、行ってみましょう」


 僕達は、鞘師警部の車で、本多弁護士の事務所がある三階建てのビルへ向かった。本多弁護士事務所のホームページには、依頼人の為の駐車場が一台分しかないと記載されていたので、近くの有料駐車場に停めて、歩いて弁護士事務所に向かった。

 時刻は、午前8時を少し過ぎた頃だ。

 この辺りは大通りから中に入った所で、それほど大きな建物もなく、人通りも大通りと比べると、それほど多くはない。

「このビルの、三階が本多弁護士の事務所だ」

 と、鞘師警部が、三階を指差しながら言った。

 本多進一郎弁護士事務所と、看板が出ている。

 どうやら、一階はお弁当屋で、二階は空いているようだ。募集中の張り紙がしてある。

 しかし、こんな所で、お弁当屋は儲かるのだろうか?

 まあ、この辺りは、他に飲食店もなさそうだし、それなりに人が来るのかもしれない。

 お弁当屋には、30代半ばくらいの女性が一人立っていた。チラッと僕達の方を見たけれど、特に気にしていないみたいだ。

 まあ、弁護士事務所があるだけに、普段見掛けない人がビルへ入って行っても、本多弁護士の依頼人か何かだろうと思っているのかもしれない。

 僕達は、エレベーターに乗って、三階へ向かった。

 同じ三階建てのビルでも、明日香さんの事務所のビルにはエレベーターはないけれど、このビルにはエレベーターが完備されている。まあ、このビルの方が、かなり新しそうだからね。

 エレベーターは、ゆっくり三階に到着した。

 僕達はエレベーターを降りると、本多弁護士事務所と書かれたドアをノックした。

「はーい! 開いてますよ。どうぞ!」

 と、中から女性の声が聞こえた。

 鞘師警部がドアを開けると、そこには若い女性が一人、椅子に座って事務作業をしているみたいだった。

「すみません。本多弁護士は、いらっしゃいますか?」

 と、鞘師警部が聞いた。

「申し訳ありません。本多は、外出中でして、夕方までには、戻ると思うんですが」

 と、その女性は申し訳なさそうに言った。

「夕方ですか。明日香さん、どうしますか?」

 と、僕は聞いた。

「そうね……。まさか、夕方まで待たせてもらうわけにもいかないし、出直しましょうか」

 と、明日香さんは言いながら、事務所の中を見回している。

 まあ、さすがに6時間も7時間も待たせてもらうわけには、いかないだろう。いくら、お弁当屋があるからとはいっても。

「あの――何か、本多の方にご依頼でしょうか? 私でよろしければ、お話をお伺いいたしますけど。申し遅れましたが、私も弁護士で、岸本優子きしもとゆうこと申します」

 と、岸本弁護士は、鞘師警部と明日香さんに名刺を手渡した。

 あれ? 僕には、くれないの?

 まさか、僕だけ見えていないとか? そんなに、存在感が薄いのだろうか……。僕は、少しブルーな気持ちになった。

「申し訳ありません。名刺が、二枚しか残っていなくて。本多先生が外出のついでに、業者の方から名刺を受け取ってきてくれるんですけど」

 と、岸本弁護士は、再び申し訳なさそうに言った。

「気になさらないでください。二枚で、結構ですよ」

 と、明日香さんが言った。

「よろしければ、応接室の方へ」

 と、岸本弁護士に、奥の応接室に通された。


 さすが弁護士事務所だ。応接室の机やソファーも、明日香さんの探偵事務所の物よりも高そうだ。

「あれっ? あのドアは、なんですか?」

 と、僕は応接室の奥に、もう一つドアがあるのを見付けた。

「ああ、そこは非常口になっているんです。そこから非常階段で、ビルの裏の方に下りられるんです」

「そうなんですね」

「はい。内側からは、そのまま開きますけど、外側からは鍵を使わないと開かないです」

「なるほど」

「今、コーヒーを入れますので、お待ちください」


「それで、今日は、どういったご依頼でしょうか?」

 と、岸本弁護士は言った。

「すみません。先ほどは言いそびれたのですが、我々は本多弁護士に依頼があって来たのではありません」

 と、鞘師警部が言った。

「私は、警視庁の鞘師です」

 と、鞘師警部が、身分証を見せた。

「まあ、警察の方でしたか。これは、失礼いたしました。てっきり、何かご依頼かと思ってしまいまして」

「いえいえ。こちらも、すぐに名乗ればよかったんですけど。因みに、私はこういう者です」

 と、明日香さんは、岸本弁護士に名刺を渡した。

「探偵さん――ですか」

「はい。桜井明日香と、申します。こっちは、私の助手です」

「どうも、桜井の助手の、坂井明宏です」

 と、僕は頭を下げた。

「はあ」

 岸本弁護士は、警察官と探偵の組み合わせを、不思議そうに見ている。

 まあ、そうだろう。警察官が訪ねてくる事も珍しいだろうけど、探偵まで一緒というのは、まるで、盆と正月が一緒に来たようだ――あれ? 何か違うか? まあ、いいか。

「それで、警察の方と探偵さんが、本多先生にどういったご用件でしょうか? 捜査一課といえば、殺人事件か何かでしょうか?」

 と、岸本弁護士は聞いた。

 しかし、本多弁護士本人ではないのに、どこまで話したらいいのだろうか? あの写真が不倫現場の写真だとすると、他人に話してしまうのは駄目だろう。

 鞘師警部も、どういうふうに話を切り出そうか、考えているみたいだ。もちろん、岸本弁護士が、その事を知っていれば問題ないかもしれないけど。

 因みに、本多弁護士と一緒に写っていた女性は、岸本弁護士ではないようだ。顔が、全然違う。

「岸本弁護士は、こちらで働かれて長いんですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「えっ? 私ですか? そうですねぇ……、今年の春からですから、まだ8ヶ月くらいでしょうか。そもそも、弁護士になってから、まだ日が浅いもので」

 と、岸本弁護士は微笑んだ。

「失礼ですが、岸本弁護士は、まだお若いですよね?」

「私は、26歳です」

 僕よりも、一つ上か。

「まあ、そんなにお若いのに、優秀なんですね。ご両親も、喜ばれているんじゃないですか?」

「どうでしょうかね? 両親は、もう亡くなっていますので……」

「あっ、すみません」

「いえ、もう、十数年前の事ですから……。もちろん、生きていたら、喜んでくれると思いますけど」

 と、岸本弁護士は微笑んだ。

「えっと……。私の身の上話を、聞きに来られたんじゃないですよね?」

「はい。岸本弁護士は、和久井という人をご存じですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「和久井さん――ですか? さあ、そんな人は知りませんねぇ。依頼人には、いなかったと思いますけど」

 と、岸本弁護士は、考えながら言った。

「プライベートでは?」

「うーん……。プライベートでも、そんな男性は知らないですね」

「そうですか。実は、先週の金曜日に殺害されたんです」

「――殺人事件ですか?」

 岸本弁護士は、驚いているようだ。

「はい。そうです」

「それが、本多先生とどういう関係があるんでしょうか?」

「実は、その和久井亮二という人の部屋に、本多弁護士の写真があったんです」

 と、明日香さんは、不倫現場の写真だという事は言わずに、ただ写真があったという事実だけを伝えた。

「どうして、本多先生の写真が?」

「もしかしたら、本多弁護士のお知り合いかもしれないと思って、お話を聞ければと思って来たのです」

「本多先生が、お一人で写っている写真ですか?」

「そうです」

 と、明日香さんは嘘を付いた。

「そうですか……」

 何だろう、岸本弁護士には、本当は何か心当たりがあるんだろうか?

「因みに、先週の金曜日の夜7時から9時頃に、岸本さんと本多弁護士は何をされていましたか?」

「えっ? どうして、そんな事を?」

「気を悪くされたら、申し訳ありません。皆さんに、お聞きしているので」

「分かりました。先週の、金曜日ですね」

 と、岸本弁護士は話始めた。

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