第7話

「鞘師だ。例の波崎さんの当時の住所を調べて、私の携帯電話にメールを送ってくれないか。ああ、よろしく頼む。真田課長にも、伝えておいてくれ」

 鞘師警部は、電話で部下に波崎さんの住所を調べてくれと頼んでいる。

 僕達は、ファミリーレストランで食事をしていた。僕は、鰻は諦めて、ハンバーグを食べていた。

 平日だが、お昼時ということもあって、店内は満席だった。僕達も、席が空くまで少し待っていた。

「それじゃあ明日香さんは、波崎さんの娘さんが和久井に復讐をしたと思っているんですか?」

 と、僕は聞いた。

「その可能性も、もしかしたらあるかもしれないっていうだけよ。今のところ、証拠は何もないし。ただの、私の勘よ」

 と、明日香さんが言った。

「明日香ちゃん。それは、波崎さんと和久井が、二人とも首を吊っていたからかい?」

 と、鞘師警部が聞いた。

「はい。もちろん、私の考え過ぎだと思いますけど」

「そうか。しかし、明日香ちゃんの勘は、よく当たるからな」

 と、鞘師警部は頷いた。

「外れることも、多いですよ」

 と、明日香さんは言ったが、僕も明日香さんの勘が当たるところは、何度か見てきた。

 もちろん、勘だけで事件が解決するわけではないけれど。

「しかし、あれから15年くらい経っているとなると、娘さんは20代半ばくらいだ。もしも、父親の復讐を――と、考えていたのなら、十分に可能な年齢だろうな」

 と、鞘師警部が言った。

 確かに小学生の頃は無理でも、大人になった今なら、あり得なくはないが――

 その時、鞘師警部の携帯電話が鳴った。どうやら、メールが届いたみたいだ。

「ちょっと、ここから遠いな。食事を終えたら、すぐに出掛けよう」

 と、鞘師警部が言った。


「住所からいうと、この辺りのはずなんだが――」

 と、鞘師警部が言った。

「鞘師警部。道を、間違えたんじゃないですか?」

 と、僕は言った。

「明宏君じゃあるまいし、鞘師警部が間違えるわけがないでしょう」

 と、明日香さんが言った。

 前半部分が、ちょっと気になったが、まあ、それはいいとして――

「だけど、明らかに違いますよね」

 と、僕は目の前の、新しいマンションを見上げながら言った。

「どうやら波崎さんの家は、もう無くなったようだな」

 と、鞘師は言った。

「この15年の間に、この辺りも、大きく変わったんでしょう」

 と、明日香さんが言った。

「明日香さん。これから、どうしますか?」

 辺りは、もう暗くなってきていた。吐く息も白く、本当に雪が降るんじゃないかと思えた。

「少しだけ、近くで聞き込みをしてみましょうか。あんまり、期待はできないけれどね」


 それから、僕達は手分けして聞き込みをしてみたけれど、波崎さんの事を知っている人は見付からなかった。

「明日香さん。もう諦めて、帰りましょうか」

 と、僕は言った。

 辺りは、完全に暗くなっている。もちろん街灯の灯りがあるので、真っ暗闇ではないけれど。

「明日香ちゃん。時には、諦めも大事だぞ。波崎さんの事が気になるのは分かるが、また別の方法を考えることにしよう」

 と、鞘師警部が言った。

「そうですね――最後に、あそこの家で聞いてみましょう」

 と、明日香さんが指差した。

「あそこですか?」

 僕が、明日香さんが指差した方向を見ると、マンションから少し離れた所に、かなり古そうな一軒家があった。僕も最初にここへ来た時に、家がある事に気付いてはいたけれど、とても人が住んでいるとは思えないくらい古い家だった。

「明日香さん。あれって、空き家じゃないですか?」

 と、僕は言った。

「いや。どうやら、誰か居るみたいだな。うっすらと、部屋の灯りが漏れているぞ」

 と、鞘師警部が言った。

「最初に見た時は、真っ暗でしたけど、私達が他に行っている間に、誰か帰ってきたみたいですね。行ってみましょう」

 と、明日香さんは先頭に立って、歩き出した。


 その家の表札には、山本やまもとと書かれていた。

 明日香さんがチャイムを鳴らすと、しばらくして一人の小柄な女性が顔を出した。

「はい。どちら様でしょうか?」

 女性は、70代くらいだろうか?

「すみません。私、警視庁の鞘師という者ですが、ちょっとお話をうかがえないでしょうか?」

 と、鞘師警部が身分証を提示した。

「まあ、警察の方が、こんなボロ家に、どういったご用件でしょうか? 寒いですから、中にお入りください」

 と、山本さんは、笑顔で僕達を招き入れてくれた。

「どうぞ、どうぞ。今、熱いお茶を入れますからね。すみませんね、私も今帰ってきたばかりで、部屋が暖まってなくて」

「お構い無く。すぐに、帰りますから」

 と、鞘師警部が言った。

 しかし、山本さんはそのまま奥の台所へと入っていった。

「鞘師警部、いいじゃないですか。せっかくのご厚意ですし。頂きましょう」

 と、明日香さんが言った。

 正直、僕はホッとしていた。さっきまで、さんざん寒い中を歩き回ったので、寒くてたまらなかった。

 僕達は、暖かい炬燵こたつに入っていた。石油ストーブもついている。

 しかし、この炬燵が小さくて、僕達三人でも狭いくらいだ。ここに、いくら小柄なお婆さんとはいえ、山本さんが入れるだろうか?

 それにしても、殺風景な部屋だ。和久井の部屋程ではないけど、生活をしていくうえで、必要最低限の物しか置いていないのではないだろうか?


「お待たせしました」

 と、山本さんがお茶を入れて戻ってきた。

「すみません。ありがとうございます」

 と、鞘師警部が頭を下げた。

「お菓子も、食べてくださいね」

 と、山本さんは笑顔で言った。

「ありがとうございます」

 と、僕はさっそくお菓子に手を伸ばす。正直、僕はお腹もペコペコだ。

 その時、明日香さんにジロッと睨まれた。多分、いつものように少しは遠慮しろという事だろう。

 しかし、伸ばした手を引っ込めるのも不自然なので、僕はそのままお菓子を手に取った。

 うん。美味しい。

「若い方は、遠慮せずに、たくさん食べてくださいね」

 と、山本さんは言った。

「すみません。山本さんに、少しお聞きしたい事がありまして」

 と、鞘師警部が言った。

 そうだった。僕達は、ここにお茶を飲みに来たのではなくて、話を聞きに来たのだった。

 いかんいかん。忘れるところだった。また、明日香さんに怒られてしまう。

「はい。どういった、ご用件でしょうか?」

「山本さんは、こちらに住んで長いんですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「そうですねぇ――もう、かれこれ半世紀くらいになるでしょうか」

 半世紀という事は、もう50年くらいここに住んでいるのか。それなら、波崎さんの事も知っているかもしれない。

「今から15年くらい前に、この近くに波崎さんという方が住んでいたと思うんですが、ご存じありませんでしょうか?」

 と、鞘師警部が聞いた。

「波崎さんですか?」

「ええ」

「波崎さん、波崎さんねぇ……。ああ、確か借金をされて、首を吊って亡くなられた方が、そんなお名前でしたわね」

「ええ、そうです」

「あの時は、警察が大勢来て、大変でしたわ」

「波崎さんには、小学生くらいの娘さんがいたんですが、今どこに住んでいるのかご存じありませんでしょうか?」

「ごめんなさいね。私は、波崎さんと親しかったわけじゃないので、分かりませんわ」

 と、山本さんは、申し訳なさそうに言った。

「そうですか。こちらこそ、すみません。突然、押し掛けまして。これで、失礼させていただきます」

「ごめんなさいね」

 と、山本さんは、再び申し訳なさそうに言った。

「明日香ちゃん、明宏君。帰ろうか」

「そうですね」

 と、明日香さんは頷いた。


 僕達が、帰ろうとしたその時だった――

「そういえば……。波崎さんの事は分からないんですけど、波崎さんと親しかった方なら、一人知っていますよ」

 と、思い出したように山本さんが言った。

「どなたでしょうか?」

 と、鞘師警部が聞いた。

藤田ふじたさんという方です」

「藤田さん――ですね」

 と、鞘師警部は手帳にメモした。

「その藤田さんは、どちらにお住まいでしょうか?」

「さあ、分かりませんねぇ。もう、7、8年くらい前に、引っ越されましたので。ご覧になられた思いますけど、この辺りも開発が進んで、皆さん立ち退きされて、残っているのは私達だけなんですよ。藤田さんは、波崎さんのお隣さんで、色々と相談にも乗っていらしたそうですけど」

 おそらく、その藤田さんが、波崎さんが自殺した時にも訪ねて来ていた人だろう。

「今、どこに住んでいるのか、全く検討もつきませんか?」

 と、鞘師警部は、続けて聞いた。

「ごめんなさい。私には、全く……。でも、私の主人なら、もしかしたら知っているかもしれません」

「ご主人は、今どちらに?」

「主人は、旅行が趣味でしてね。今は引っ越されたお友達と、時々旅行に行っているんです。私は、興味がないんですけど。その中に、藤田さんもいらっしゃるかもしれません」

「ご主人の、携帯電話の番号を教えてもらえますか?」

「それが、主人は携帯電話を持っていないんです。そんな物無くても、死にはしないって言って。私としては、持ってほしいんですけどね」

 まあ、確かに、めったなことでは死にはしないかもしれないけれど、奥さんとしては心配な部分もあるだろう。

「ご主人の泊まられている、旅館かホテルの名前は分かりませんか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「ごめんなさいね、北海道のどこかとしか分からないです」

「明日香さん。北海道の旅館やホテルに、片っ端から電話を掛けるというのは?」

 と、僕は言った。

 明日香さんの目は、『お前、正気か?』と、言っているようだった。

「――無理ですね」

 僕は、自分で言っておきながら、すぐに撤回した。広い北海道で、それは無理な話だろう。宿泊施設が、どれだけあるのかも、全く検討もつかない。

 僕の地元の鳥取県でも、さすがに難しいだろう――いや、鳥取県ならいけるか?

 うーん……、やっぱり、無理か?

 いや、そんな事は、どうでもいいのだが……。

「予定では、明後日のお昼頃には帰ってくるはずですけど」

「明後日のお昼頃ですね。それでは、お帰りになられたら、この番号に電話をいただけますか?」

 と、明日香さんは、名刺の裏に携帯電話の番号を書いて、山本さんに渡した。

「ええ、分かりました」

 と、山本さんは頷いた。

「それでは、これで失礼します」

 僕達は、山本さんの家を後にした。

 外は真っ暗で、所々外灯やビルの灯りが差していたが、雲が多く星は見えなかった。

 しかし、雪が降らなくて助かった。

「明日香ちゃん、明宏君。今日のところは、夕食でも食べて帰ろうか」

 と、鞘師警部が言った。

「そうですね。また明後日、山本さんのご主人のお話を聞いてから考えましょう」

 しかし、本当に波崎さんの一件が、この事件に関係があるのだろうか?

 僕はまだ、半信半疑な部分もあった。

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