第4話
「あっ……。あの、ど、どうも――」
ドアの外から、こちらを覗いていた人物は、突然僕達が一斉に振り返ったので、相当慌てたのだろう。
何故かドアを大きく開けて、『どうも』と言って、頭を下げた。
「あ、どうも――えっと、どなたですか?」
と、僕は困惑しながら聞いた。
「あ、いえ――」
あれっ? 最近、どこかで見掛けたような気がする。この、少し太っている男性は――
「お前! 阿久津だな!」
と、鞘師警部が叫んだ。
そうだ! 和久井の遺体の第一発見者の、あの男だ!
「はい――うわぁっ!」
阿久津は叫び声を上げると、一目散に道路に向かって走り出した。
「明宏君! 早く! 捕まえて!」
と、明日香さんが叫んだ。
「は、はい!」
僕は慌てて、阿久津を追い掛けて走り出した――つもりだったけど、足がもつれて転んでしまった。
「うわっ!」
「明宏君! 何をやっているのよ!」
「す、すみません……」
僕は、日頃の運動不足を嘆いた。明日からは、もうちょっと歩こう……。
「あ、阿久津は――」
「もういいわよ。鞘師警部が、追い掛けて行ったから」
その僅か一分後、鞘師警部が阿久津を捕まえて戻ってきた。どうやら、阿久津は僕よりも更に運動不足で、すぐに鞘師警部に捕まったみたいだ。
平然としている鞘師警部に比べて、阿久津の方は、100メートル走でも全力で走ったんじゃないかというくらい、疲れ果てている。
もう12月だというのに、汗びっしょりだ。もう、逃げ出そうという気力もないようだ。
「お前、阿久津剛だな?」
と、鞘師警部が聞いた。
「…………」
その男は、鞘師警部の問い掛けに答える事はなかった――というよりも、息が切れて、答えられないようだった。
「阿久津剛だな?」
と、鞘師警部が強い口調で聞き返すと、
「はぁ……、はぁ……」
と、息を切らしながら、無言で頷いた。
「さっき、何をしていたんだ? 何故、部屋の中を覗いていたんだ?」
「あ、あの……。み、水を……」
「水?」
「水を一杯……、飲ませて……」
「仕方がないな――明宏君。私の車の助手席に、飲んでいないペットボトルのお茶があるから、すまないが持ってきてくれるか」
「はい、分かりました」
僕は、鞘師警部の車からペットボトルを取って、和久井の部屋に戻った。
阿久津は僕からペットボトルを受け取ると、一気に半分くらい飲み干した。
「すみません……。ありがとうございます……」
阿久津は、律儀にお礼を言った。
「それで、話の続きだが、どうしてここに来たんだ?」
と、鞘師警部が再び聞いた。
「あ、あの……、それは……。どうしても、言わなければいけませんか?」
「言いたくなければ、留置場に招待してやっても、いいんだぞ?」
と、鞘師警部が、阿久津の顔を覗き込むように言った。それは、僕達に見せる優しい顔とは全く違う、警察官の顔だった。
「それは、嫌です」
「安心しろ。我々警察も、お前が殺したとは思っていない」
「ほ、本当ですか? それじゃあ、話します」
阿久津は、残りのお茶を一気に飲み干すと、話し始めた。
「俺は、和久井さんが刑務所に入る前から、何度か会った事があるんですが、和久井さんが出所して、ここに住むようになってから、結構仲良くさせてもらってました。それで、一昨日ここに来た理由は、和久井さんが金曜日の夜に金が入るから、どこかで飲もうと誘われたんです。だけど、俺が金曜日に東京にいなかったんで、それじゃあ土曜日の夕方頃にっていう事になって、あの時間に来たんです。チャイムを鳴らしても出てこなかったんで、ドアを開けてみたら、和久井さんが首を――あっ、もしかして、あの時の二人組!」
阿久津は、僕達を今思い出したみたいだ。
「ドアに、鍵は掛かっていなかったんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「はい。鍵は、掛かっていなかったです」
「阿久津。和久井の言っていた、金曜日の夜に金が入るとは、どういう意味だ?」
と、鞘師警部が聞いた。
「さ、さあ……。俺にも、詳しい内容は教えてくれなかったですけど――」
「本当か?」
「ほ、本当です。でも、誰か男を脅迫していたというか……、ゆすっていたというか……。そんな感じだったと思います」
「男を、ゆすっていたのか?」
「は、はい。和久井さんが、良い写真が取れたって言っていたので……。俺が今日ここに来た理由は、もしかしたら写真がまだ残っているんじゃないかと思って……」
「鞘師警部。そういう写真は、見付かっているんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「いや、そういった写真は見付かっていない。和久井の携帯電話にも、そういった写真は無かったはずだが」
「その、ゆすられていた人物が犯人で、携帯電話の写真を消したんじゃないでしょうか?」
と、僕は言った。
「殺害してまで消すくらいだったら、携帯電話ごと持って行くんじゃないかしら?」
と、明日香さんが言った。
それもそうか。携帯電話ごと持っていって、処分してしまった方が安心か。
「あ、あの……。和久井さんは、殺されたんですか?」
「ああ、その可能性が高い」
と、鞘師警部が言った。
「そ、そんな……。あっ、あの……、和久井さんが使っていたのは、デジカメです」
と、阿久津が言った。
「デジカメ? あれか――」
と、鞘師警部が、デジカメの箱を指差した。
「ええ、それです。リサイクルショップで、安く手に入れたって話していました」
「阿久津。どんな写真か、お前は見たのか?」
「チラッと、見せてもらいました。男と女が、食事をしているところとか、ホテルから出てくるところの写真でした」
「ホテルからね――不倫現場かしら?」
と、明日香さんが言った。
「そうだと思います」
「しかし、和久井はデジカメを持っていなかったし、この部屋からも見付かっていない。犯人が、持っていったのか――」
と、鞘師警部が言った。
「和久井さんは、デジカメは机の引き出しに隠していましたけど。もしもの為だと言って。一番下の引き出しが、二重底になっているんです」
「二重底?」
「はい。ちょっと、いいですか?」
と、阿久津は机を指差した。
鞘師警部は、黙って頷いた。
「確か、ここをこうやって……。こうだったかな?」
阿久津が、なにやら引き出しをごそごそとやっていると――
「あっ、開いた。これです」
と、阿久津が引き出しの底から、デジカメを取り出した。
「何て事だ。ウチの鑑識連中は、これに気付かなかったのか……」
と、鞘師警部は、首を横に振った。
「鞘師警部。何が写っているのか、確認してみましょう」
と、明日香さんが言った。
「ああ。そうだな」
鞘師警部がデジカメ操作すると、複数枚の写真が確認できた。
「こ、この写真は――」
僕は、一枚目の写真を見て驚いた――というか、なんだこれは?
「なんだ? これは阿久津、お前か?」
と、鞘師警部が言った。
「あ、はい。和久井さんが、一枚、試し撮りをさせろと言うんで仕方なく……」
「仕方なくて、どうして上半身裸なんだ?」
「い、いえっ。冗談で脱がされただけで、別にそんな趣味があるわけでは――」
と、阿久津は必死に弁解している。
明日香さんは、そんな写真を呆れた眼差しで見ている。
「まあ、気を取り直して。これか――」
二枚目以降の写真には、一組の男女が食事をしているところや、ラブホテルに一緒に入るところ、そして一緒に出てくるところの写真等が複数枚見付かった。どうやら、夫婦ではなさそうだ。
「二人とも、顔がはっきりと確認できますね」
と、明日香さんが言った。
一応、眼鏡を掛けたり帽子をかぶったりして、変装をしている写真もあるのだが、顔がはっきりと写っている写真も複数枚ある。
男は、30代後半か――いや、40代前半くらいかもしれない。
女の方は、20代だろうか? 男と比べると、かなり若そうだ。
「誰でしょうかね?」
と、僕は言った。
当然だけど、僕の知らない人達だった。つまり、有名人とかではないようだ。
「阿久津、本当に誰か知らないのか?」
と、鞘師警部が聞いた。
「知らないですけど、和久井さんが先生って言っているのは聞きました」
「先生?」
「学校の先生でしょうか?」
と、僕は言った。
「その可能性はあるけど、先生と呼ばれるのは、教師だけじゃないわ」
と、明日香さんが言った。
「そうだな。政治家や弁護士、他にも色々とあるだろう」
と、鞘師警部が言った。
「そうですね。漫画家とか小説家も、先生って言いますよね」
と、僕は言った。
これでは、絞り込めない。どうして先生と呼ばれる職業が、こんなにたくさんあるのだろうか? どれか一つにしておいてくれれば、助かるのに。
まあ、そんな事を言っても仕方がないのだけれど。
「しかし、これは重要な証拠だ。さっそく署に持ち帰って、調べてもらうよ。それと、阿久津。署の方で、もう少し詳しく話を聞きたい。私と一緒に来てくれ」
と、鞘師警部が言った。
「えっ!? い、今、話したじゃないですか!」
と、阿久津は驚いている。
「ああ、ありがとう。助かったよ」
「話したら、帰らせてくれるんじゃなかったんですか?」
「帰らせる? 私は、そんな事、一言も言っていないぞ――なあ、明宏君?」
「そうですね。僕も、聞いた覚えはないです」
と、僕は頷いた。
「そ、そんな……」
「阿久津、安心しろ。帰りは、私が車で送ってやるから」
と、鞘師警部が言った。
「そ、そういう問題では……。分かりましたよ。行けばいいんでしょ。行けば」
と、阿久津は渋々ながらも、警察署に行く事に同意をした。
「明日香ちゃん。申し訳ないが、私は阿久津を連れて署の方に戻るよ」
「分かりました。私達は、バスか電車で事務所に帰ります。何か分かったら、また連絡を下さい」
「ああ、もちろんだ――阿久津、行くぞ」
僕達は、和久井の部屋を出た。
「あの二人は、警察官じゃないんですか?」
と、阿久津が車に乗り込む直前、鞘師警部に聞いているのが聞こえた。
「彼女は、探偵だ」
「探偵? なんだ、どうせ取り調べを受けるなら、かわいい女性警官が良かったのに」
と、阿久津はぶつぶつ言いながら、鞘師警部の車に乗り込んだ。
『彼女は』か……。
つまり鞘師警部は、僕の事はまだまだ探偵だとは思っていないのだろう。
「明日香ちゃん、それじゃあ、また連絡するよ――そうそう、例の波崎さんの事も、先輩に頼んでおくよ」
「よろしくお願いします」
と、明日香さんが言うと、鞘師警部は阿久津を乗せて、警察署に帰っていった。
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