第3話
僕達は鞘師警部の車に乗って、犯行現場のアパートへと向かった。
どうでもいい事だけど、明日香さんの軽自動車と比べると、本当に乗り心地が良い。いつまでも乗っていたい――というのは、大袈裟だけど。それほど、乗り心地が良いのだ。
僕も、いつかはこういう車に乗りたいものだ。しかし、東京の駐車場の料金は高すぎるけど。
「鞘師警部。そもそも、和久井亮二さんという人は、どういう人なんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「そうだな。土曜日にも話したと思うが、若い頃から――私の先輩の警察官の話では、10代の頃から色々と警察沙汰を起こすような奴だ」
「警察沙汰というのは、例えばどういう事ですか?」
「暴力事件はもちろんの事、詐欺まがいの事や、その他色々だ」
「そうなんですね」
「ああ。中でも酷かったのが、私が警察官になる前の話で、先輩に聞いた話なんだが――」
鞘師警部は、そこまで話すと、一度言葉を切った。
「鞘師警部?」
「ああ、すまない。これからする話は、あまり気分の良い話ではないんでな」
いったい、どういう話なんだろう?
「今から、15年くらい前の話なんだが――その頃、和久井は、とある金貸しの会社で取り立てをやっていてな。もちろん、善良な金貸しではない。違法な利息を取るような会社だ。
「いくらですか?」
と、僕は聞いた。
「300万円だ」
「300万――ですか。こんな言い方は、失礼かもしれないですけど――思ったよりは高額ではないんですね」
もっと高額かと、勝手に思っていた。
「明宏君。そうは言っても、その300万円が、波崎さんにとってはどうしても必要だったのさ。その時は、金を貸してくれた和久井に、大変感謝をしたそうだが――しばらくすると、執拗な取り立てが始まったんだ。三ヶ月くらいたった頃、和久井が突然、今すぐに金を返せと会社に乗り込んで来たらしい」
「三ヶ月で、全額ですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「ああ、もちろん利息も込みでな」
「いくらですか?」
「波崎さんから相談された近所の人の話では、その時は500万円請求されたらしい」
「三ヶ月で、そんなに増えるんですか!? そんな、無茶苦茶な……」
僕は思わず、叫び声を上げてしまった。
「その時は、なんとか帰ってくれたそうなんだが、その後も酷い取り立てが続き、数ヶ月後には何倍にもなっていたそうだ」
「その後、波崎さんは、どうされたんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「――どうにもならなくなった波崎さんは、自分の会社で首を吊っていたそうだ……」
「首を吊って――ですか」
と、明日香さんは呟いた。
「鞘師警部。和久井さん――いえ、和久井の奴を罪に問う事はできないんですか?」
と、僕は聞いた。
今まで、和久井さんと呼んでいたけど、こんな奴は呼び捨てでじゅうぶんだ。
「確かに、明宏君の気持ちは分かる。私だって、なんとかしてやりたい気持ちだ。だが――」
だが?
「後に、この会社の社長と一緒に逮捕されたんだが、裁判で和久井は、『社長に脅されて、嫌々取り立てに行っていただけ』だと、証言をしたんだ」
「それで、どうなったんですか?」
「和久井は、たいした罪には問われなかった。和久井だけではなく、他の取り立てを行っていた者達もだ」
「…………」
僕は、絶句した。そんな……。
これだけの事をやっておきながら、たいした罪には問われないなんて……。
「鞘師警部。和久井さん達が社長に脅されていたというのは、本当だったんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「ああ。それは、本当だったようだ。何かあると、ナイフを突き付けて脅していたようだ。その社長も認めていたし、実際に指を切断された者もいた、という話もある」
「鞘師警部。波崎さんのご家族は、どうされたんですか? 波崎さんの遺体を発見されたのは、ご家族なんですか?」
「家族か――実は、私も詳しくは分からないんだ。奥さんは、既に亡くなっていたような話は聞いたような気はするんだが。子供は一人いたらしいが、今どうしているのかは分からないな。確か第一発見者は、和久井だったはずだ。波崎さんの会社に、取り立てに行った時に見付けたらしいが――明日香ちゃん、そんなに気になるなら、私の先輩に話を聞いてみるかい?」
「ぜひ、お願いします」
「明日香さん。今回の事件と、何か関係があるんですか?」
と、僕は聞いた。
「それは、まだ分からないけど、何か気になるのよ」
僕達は、和久井のアパートにやって来た。
アパートの前は、とても静かだった。警察官の姿もなく、立入禁止のテープが貼ってあるだけだった。
何も知らない人は、『なんだこのテープは?』と、思っても、ここで数日前に殺人事件があったとは、想像もつかないだろう(とは言っても、殺された場所は他の場所みたいだけど)。
「鞘師警部。このアパートは、他の住人は居ないんでしょうか?」
と、僕は聞いた。
二日前にも思ったけれど、他に人が住んでいるようには思えないのだが。
「ああ。見ての通りこのアパートは、もうかなり古くてな。来年の1月の中頃には、解体工事が始まるそうだ。他の住人は先月迄には既に引っ越して、もう残っていたのは和久井だけだったそうだ。和久井は、『なんとかギリギリまで住ませてほしい』と、大家に頼み込んでいたようだ」
「ここに住んでいた人達は、事件には関係ないですよね?」
「そうだな。他の住人とはいっても、和久井がこのアパートに住み始めた頃に住んでいたのは三人だけで、その三人の内二人は、このアパートの大家に紹介された別のアパートに住んでいて、アリバイも確認されている。一人は警備員の仕事中で、もう一人は、友達とカラオケに行っていた。和久井とのトラブル等もなかったようだし、この事件とは無関係だろう。残るもう一人は、故郷の鳥取県に帰っていて、こちらも確認中だが、まず関係ないと思って間違いないだろう」
鳥取県だって? 僕と、同じじゃないか。
「鞘師警部。鍵を」
と、明日香さんが言った。
「ああ。ちょっと、待ってくれ」
鞘師警部はポケットからアパートの鍵を取り出すと、ドアを開けた。
そういえば、僕達が和久井さんの遺体を発見した時、ここの鍵は開いていた。最初から、開いていたのだろうか?
それとも、あの第一発見者の、阿久津という人が開けたんだろうか?
それとも、犯人が開けたんだろうか?
僕は、この疑問を、鞘師警部に聞いてみた。
「鞘師警部。僕達が部屋に入った時に、ここの鍵が開いていたんですけど――」
「ああ、その事なら。鍵の一つは、和久井の服のポケットに入っていた。もう一つ、予備の鍵が机の引き出しに入っていた。誰が開けたのかは、今のところ分かってはいない。犯人が和久井の鍵で開けて、服のポケットに鍵を入れて、鍵を掛けずに立ち去ったのかもしれない。もしもそうなら、犯人は、密室にして遺体の発見を遅らせようとする意図は、なかったのかもな」
「他に予備の鍵は、ないんですか?」
「あとは、私が今持っている、大家に借りたこの鍵だけだ」
僕達は、和久井の部屋に入った。
鞘師警部が部屋の電気のスイッチを入れると、僕は部屋の中を見回した。
部屋の中は、あの時、僕達が入った時と同じだった。ただ一つの違いは、和久井の遺体が無いという事だけだった。
「鞘師警部。ちょっと調べてみても、よろしいでしょうか?」
と、明日香さんが言った。
「一応、鑑識は終わってはいるが、あんまり派手に荒らさないでくれよ」
「はい、分かっています。派手には、荒らしませんよ」
と、明日香さんは微笑んだ。それはつまり、多少は荒らすかもしれないという事である。
しかし、本当に殺風景な部屋で、調べるとはいっても、机と押し入れの中くらいしか調べるような所はない。
明日香さんは、さっそく机の引き出しを開けて、中を調べているみたいだ。
僕も、押し入れの中でも調べてみようか。
押し入れを開けると、まず目に飛び込んできたのは布団だった。きちんと畳まれて、押し入れの上の段にしまわれている。
和久井は意外にも、布団を敷いたままにはせずに、ちゃんと押し入れにしまっているようだ。
「明宏君。布団には、何も無かったぞ」
と、鞘師警部が言った。
「まあ、そうですよね」
物を隠すのに、毎日寝る時に使っている布団の中には入れないだろう。
僕だったら、気になって眠れやしない。
押し入れの下の段には、透明な衣装ケースが二つ置かれている。見たところ、どちらも洋服や下着等のようだ。
これも当然、鑑識が調べているのだろうが、念のためふたを開けて、中を調べてみた。
やはり、入っているのは、衣類だけのようだ。僕よりも、サイズは小さいようだ。
「和久井は、身長が162センチで、明宏君よりも少し小柄なようだな」
と、僕の心の中を読んだかのように、鞘師警部が言った。
「これは、何でしょうかね?」
僕は、衣装ケースの横に置かれていた、一つの箱を手に取った。
「それは、デジカメの箱だな」
「少し、古そうな箱ですね」
「ああ。調べてみたところ、7、8年くらい前の機種のようだ」
「ずいぶん軽いけど、中は空でしょうか?」
僕は、箱を開けてみた。中には、取扱説明書が入っていたけれど、肝心のデジカメ本体は入ってなかった。
「机の中には、特に気になる物は無いわね。明宏君、そっちは?」
と、明日香さんが言った。
「空ですね。鞘師警部、デジカメは見付からなかったんでしょうか?」
と、僕は言った。
「ああ。デジカメが、見付かったという報告はなかった」
「何? デジカメの箱だけがあったの?」
と、明日香さんが聞いた。
「はい。押し入れの中に、これが」
と、僕はデジカメの箱を、明日香さんに渡した。
「ふーん。少し、古そうな機種ね――鞘師警部。和久井さんの遺体の服のポケットとかに、デジカメは入っていなかったんでしょうか?」
「ああ。携帯電話はあったが、デジカメはなかった。因みに、携帯電話は鑑識が調べているが、今のところ何か見付かったという報告はない。ちょっと事件が重なっていてな、こっちの事件ばかりに人手をさけないので時間が掛かっているんだ。発信履歴も着信履歴も残っていなかったが、おそらく和久井が自分で削除していたんだろう」
「犯人が、デジカメだけ持っていったんでしょうか?」
と、僕は言った。
「その可能性は、否定できないな」
と、鞘師警部は頷いた。
「そのデジカメに写されている写真が、気になるわね」
と、明日香さんが言った。
その時、僕は誰かの視線を感じたような気がした。
三人とも、ドアの方に背を向けていたのだど、明日香さんと鞘師警部も視線を感じたのか、三人同時にドアの方を振り返った――
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