第2話
翌日の日曜日は、特に呼び出しもなかったので、僕はゆっくりと休んだ。明日香さんの探偵事務所は、基本的には土日と祝日は休みである。
しかし、昨日のように休日出勤になる事もある。急な調査依頼で呼び出される事も、よくある事だ。事件に、休みはないのである。
昨日の事件の事も気にはなるけれど、まあ、鞘師警部が直ぐに解決してくれるだろう。
僕の普段の休日の過ごし方は、いくら休日とはいっても、いつ呼び出されるかも分からないので、昼過ぎまで寝ているとかいうことはない。それでも、普段よりは遅い8時くらいまでは寝ている。
朝はコンビニ弁当で済ませると、昼過ぎまでゲームをやって、昼食を挟んでまたまたゲームという、ゲーマー以外の他人から見たら、なんともつまらない一日を過ごしている。
たまには、映画でも見に行きたいところだけど、携帯電話を切らなければならない場所へは、なかなか行けないのである。
そんなこんなで、夜もゲームで一日が終わっていくのであった……(別に、ゲームが好きだから、これでいいのだ――と、自分に言い聞かせるのである)。
翌日――
僕は、いつものように電車で探偵事務所に向かった。駅からは、徒歩で10分くらいである。少し待ってバスに乗れば、もう少し早く着くけれど、健康のためにも少しでも歩くようにしている。自宅から駅まで、そして駅から探偵事務所までの往復30分から40分くらいではあるけれど、良い運動になっている――と、思う。
駅を出て10分程歩いて見えてきた、白い三階建てのこのビルが明日香さんの探偵事務所である。築20年近い建物であるけど、それなりに綺麗なビルだ。
このビルは、不動産業の明日香さんのお父さんが所有するビルで、家賃はほとんど無料と言ってもいいくらいの格安だ(お父さんも、娘には甘いのだろう)。
明日香さん自身は、あんまりお父さんには頼りたくはないみたいだけど(しかし、普通に家賃を払っていたら、僕の給料が無くなってしまうかもしれない。それは、僕にとっては非常に困る)。
ビルの一階は、車が三台停められる駐車場になっている。ここに、明日香さんの白い軽自動車が停まっている。
二階が探偵事務所で、三階に明日香さんが住んでいる部屋がある。
明日香さんの部屋には、僕は一度も入ったことがない。
僕も、探偵事務所の鍵は持っているけれど、明日香さんの部屋の鍵は持っていない(当たり前と言えば、当たり前であるけど)。
さて、事務所に到着した。
階段を上がろうとした時、明日香さんの車の隣に、赤い乗用車が停まっているのに気が付いた。どうやら、鞘師警部が来ているみたいだ。
月曜日に連絡をくれると言っていたけど、電話ではなく、わざわざここまで来たということは、簡単な事件(もちろん、殺人事件に簡単も難しいもないのだろうけど)ではなかったのだろうか?
僕は、そう思いながら階段を上がっていった。
「あれっ?」
鞘師警部の車が停まっていたから、明日香さんも事務所にもう来ているのかと思ったんだけど、二階の探偵事務所には、しっかりと鍵が掛かっていた。事務所の中も、電気は消えている。
おかしいなと思いつつ、僕はポケットから事務所の鍵を取り出して鍵を開けた――瞬間に、ハッと思った。
明日香さんと鞘師警部は、お互いに独身である。
僕は、鞘師警部は明日香さんに気があるんじゃないかと、少し疑っている。
ま、ま、ま、まさか……。まだ暗い、事務所の中で――
い、いやいや、まさか、そんな事(※どんな事かは、想像にお任せします)はないだろう。明日香さんだって、僕がこの時間に出勤をしてくるのは知っている。
「…………」
まさか、ねえ――
僕はどうしたものか迷ったが、明らかに人の気配は感じられない。僕は意を決して、ドアを開けた――ゆっくりとだけど。
「あ、明日香さん――お、おはようございます」
僕の声は、完全に裏返っていた。
「…………」
当然ながら、返事はなかった。
僕は、ホッと一息付いた。しかし、ここに居ないとなると、一体どこに行ったんだろうか?
明日香さんに、電話を掛けてみようかと思いつつも、僕は事務所のドアから顔を出して、階段の方を見上げた。
この上が、明日香さんの部屋だ。すると、三階の方から話し声とともに、明日香さんが下りてきた。
もちろん、明日香さんが独り言を言っているわけではなく、その後ろから鞘師警部も笑顔で下りてきた。
ま、まさか……。二人で、明日香さんの部屋に居たのか? 僕は、激しく動揺した。
「あら、明宏君、おはよう。どうかしたの? この世の終わりみたいな顔をして」
と、言いながら、明日香さんは事務所に入っていった。
「い、いえ……。別に――おはようございます」
僕は、そんなに酷い顔をしていたのだろうか? ガラスに映る顔では、よく分からない。
「やあ、明宏君。おはよう」
と、鞘師警部が、爽やかな笑顔で右手を上げた。
「おはようございます。鞘師警部、明日香さんの部屋に居たんですか?」
「うん? ああ、二、三分前に着いたんだが、事務所に鍵が掛かっていたんでね。そのまま待っていようかとも思ったんだが、寒いしね。それで、明日香ちゃんの部屋まで行ってきただけだよ」
な、なるほど、そうだったのか。
「それが、どうかしたのかい?」
「い、いえ……」
僕が想像していた事を、本人の前で言えるはずがない。
「僕は入れてもらえないんですけど、鞘師警部は入れてもらえるんですね」
と、僕は思わず言ってしまった。
「うん? ああ、なるほど――そういうことか」
と、鞘師警部は笑った。
「きっと、君を部屋に入れるのは、恥ずかしいんだろう」
えっ? 恥ずかしい? どうして、僕を部屋に入れるのが恥ずかしいんだろう? 僕みたいな人間を部屋に入れる事が、恥ずかしいという事かな?
「鞘師警部。それって、どういう意味――」
と、僕が聞き返そうとした時、
「ちょっと、二人とも、早く入ってドアを閉めてよ。寒いじゃない!」
と、明日香さんの声が響き渡った。
「鞘師警部。早速ですけど、一昨日の事件の事を聞かせていただけますか?」
と、明日香さんが鞘師警部に聞いた。
「ああ。その為に、来たんだからね」
と、鞘師警部は、僕が入れた温かいコーヒーを飲みながら話し始めた。
「被害者の名前は、明日香ちゃん達も知っての通り、和久井亮二。年齢は44歳だ」
「鞘師警部。昨日、私なりに調べてみたのですが、過去に逮捕歴も数回あるみたいですね」
どうやら明日香さんは、昨日も一人で事件を調べていたみたいだ。
「ああ、そうだ。和久井は、若い頃から傷害事件や詐欺まがいの事件を度々起こしてきた、どうしようもない奴だ。だからといって、殺されて良いわけではないがな」
「去年の秋頃に出所していたと、おっしゃっていましたよね?」
「ああ。傷害などで、三年くらい入っていたみたいだな。出所後は、特に問題は起こしていなかったようだが、仕事をしていたような形跡はなかった。何かしらで収入を得てはいたようだが」
「何か、犯罪絡みの事でしょうか?」
と、僕は聞いた。
「現時点では分かっていないが、私は、おそらくそうだろうと思っている」
「誰か、和久井さんを援助しているような人は、いないんでしょうか?」
と、明日香さんが聞いた。
「そうだな――絶対にいないとは言い切れないが、そういう人物は、いないだろう。独身で、付き合っている女性も見当たらない」
「そうだ、鞘師警部。あの、第一発見者の人は?」
と、僕は聞いた。
あの人は、何者なんだろう?
「第一発見者の男は、目撃情報から考えると、
「阿久津剛? 誰ですか?」
「和久井ほどではないが、こいつも若い頃から色々と悪どい事をやっている男で、どうやら和久井が今のアパートに住みだした頃から、ちょくちょく訪れていたみたいなんだ。おそらく、二人で何かよからぬ事を企んでいたんだろう」
「鞘師警部。その阿久津さんという人は、見付かったんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「昨日、阿久津が住んでいるアパートに行ってみたんだが、留守だった。もしかしたら、帰っていないのかもしれない。今日も朝から部下達が、阿久津の立ち寄りそうな所を探している」
「鞘師警部は、行かなくていいんですか?」
と、僕は聞いた。
「
「そう言われても、一昨日、現場でお話した以上の事は、私にも分かりませんよ」
と、明日香さんが言った。
真田課長は、明日香さんをとても気に入ってくれているみたいで、捜査協力を頼まれた事も一度や二度ではない(もちろん、非公式ではあるけれど)。
「もちろん、いくらでも協力はさせていただきますよ」
と、明日香さんは笑った。
「鞘師警部。和久井さんの死因は?」
と、僕は聞いた。
「明日香ちゃんの見立て通り、一度首を絞めて殺害してから、吊るされたようだ。それと、額の傷は、和久井がまだ生きている時に、鈍器で殴られたようだ。他にも、複数の傷があったし、衣服には土や砂も付着していた。どこか外で、揉み合ったんだろうな。そして金曜日の深夜に、アパートに運び込まれたんだろう」
「土や砂――ですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「ああ。どこか外で殺害された事は、間違いないだろう。現在、その土も調べているところだ。それと、もう一つ。白い動物の毛が、付着していた」
「何の動物ですか?」
「多分、犬か猫だろうとは思うが、これも調べているところだ」
「和久井さんが、ペットを飼っていたという事はないんですか?」
と、僕は聞いた。
「そういう形跡はなかった。阿久津もペットは飼っていないし、おそらく犯人に付着していた毛が、揉み合った時に和久井に付着したんだろう。もちろん、たまたま現場に落ちていた毛の可能性も考えられるがな」
犯人が、犬か猫を飼っているのだろうか? そんな人は大勢いるから、そこから辿るのは難しそうだ。
「それでは、まだ殺害現場の特定には、時間がかかるという事でしょうか?」
と、明日香さんが聞いた。
「そうだな」
と、鞘師警部は頷いた。
「それにしても、犯人はどうして、わざわざ鈍器で殴りつけた後に、絞殺したんでしょうね? そのまま撲殺では、都合が悪かったんでしょうか?」
確かに、そうだ。その後、わざわざ部屋に運んで吊るすのも、かなり手間が掛かるだろう。
「それは、調べてみないと分からないな」
「和久井さんの、死亡推定時間は何時頃でしょうか?」
「鑑識の調べでは、金曜日の午後7時から9時頃だという話だ。今、分かっているのは、これくらいだな」
「そうですか」
と、明日香さんは頷いた。
「せめて、阿久津が見付かれば、何か分かるだろうが」
「部屋の中には、何か手掛かりになるような物は、なかったんですか?」
「ああ。一通り、調べてはみたんだが――」
「鞘師警部。一度、現場を見させていただけませんか? あの時は、ゆっくり調べる時間がなかったので」
「そうか、分かった。それじゃあ、これから行ってみよう」
と、鞘師警部は頷いた。
僕達はコーヒーを飲み終えると、鞘師警部の車で現場のアパートへと向かったのだった。
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