第6話 縁談の行方

 侍女たちが迎えにきたときには、私の足は羽のように軽く足音を立てずに歩けるようになっていた。実際のところは歩きすぎて足がパンパンだったのだけれど。


「まぁ、ツィトゥリ様。お美しいですわ」

「きっとィナムラ王子も驚かれますわね」

「さぁ、まいりましょう」


 え、ちょっと待って。確か予定の二時間前に来るって言ってなかったっけ。


「あの、謁見までにはまだ時間があるのよね?」

「えぇ、ですがツィトゥリ様もご存知の通り人手が足りません。リハーサルもございますし、ご用意ができていらっしゃるのでしたら、是非テーブルセッティングを手伝ってくださいませ」

「わ、分かったわ。すぐに行くから、あと少しだけ時間をちょうだい」

「かしこまりました」


 テーブルセッティング?

 ツィトゥリの国があまり裕福ではないことは聞いていたけれど、手伝うのも別に嫌じゃないけれど、私が知らないことをやって失敗してバレちゃったらどうればいいの?


「つ、ツィトゥリ……」


 今度は私と入れ替わってベッドの中に隠れていたツィトゥリに泣きつくと、彼女は謎の笑みを浮かべた。


「大丈夫、誰かの真似をしておけば間違いないわ」

「そ、そうかもしれないけど」

「そんなに堅苦しいことじゃないから、本当に平気よ。あの人たち、口では色々

言うけど、私に手伝いをさせたことなんてないから。たぶん、逃げ出さないよう目に入るところに置いておきたいだけよ」


 つまり、もう逃げられないってことね。


「分かった。ツィトゥリ、私行くね。あなたに会えた記念にこのシーグラスをあげるから、ツィトゥリも頑張って!」

「ありがとう。ホントにありがとう!」


 最後にもう一度ぎゅっとして、私はツィトゥリと別れた。

 教えてもらった通りに広間へ行くとすでにテーブルセッティングは終わっていて、私は食器の向きを確認したり飾られた花のバランスを見たり、今日の予定を確認したりといった、私にできるような役目だけが回ってきた。

 予定の確認ができたことは本当に助かった。ツィトゥリから事前に聞いていたものの、実際目にしないと分からないことがたくさんある。広間の大きさや、自分が座る席、王様や王妃様、そして王子様の席など。

 しばらくすると王様たちもやってきて私はひやひやしたけれど、お二人とも準備に追われて私に話しかけてくることはなかったからボロを出さずに済んだ。王妃様だけは、ときどき私に視線を送ってきたから、私はその度にツィトゥリの笑顔を思い出しながらにっこりして見せた。これでいいのか、不安になりながら。


「ィナムラ王子がいらっしゃいました」


 従者が王子の来訪を告げた。

 私たちは揃って謁見の間に移動する。

 王妃様が私にそっと耳打ちする。


「ツィトゥリ、本当にいいの? あなたが嫌なら、縁談を辞めてもいいのよ」


 私が無理して笑っているように見えたのだろうか。

 王妃様の言葉に、私の胸がきゅっと締まる。


「大丈夫です。少し緊張しているだけだわ」

「そう、それならいいのだけれど」

「本当よ」


 私はもう一度笑ってみせた。

 ツィトゥリ、今頃駆け落ちの相手と会えたかな。

 私はちゃんとお姫様の役をこなせるかな。

 あぁ、だんだん緊張してきた。

 王子様が本当にイケメンだったらいいな、なんて。

 一歩一歩、ゆっくりと歩きながら、緊張を紛らすように私は考え続けた。


「恐れながら……」


 謁見の間で待っていた王子様の一行は、犬の耳を生やした小さめな人たちの集団だった。

 種族はあまり関係ないんだ。

 私は思わず呟きそうになったけれど、なんとか飲み込む。

 それより、王子様は一体どこにいるんだろう。

 犬耳の人たちはみんな老齢に見える。

 もしかして、王子様っていいながらおじいちゃんだったりしないよね。

 まさか、ね……


「……お、恐れながら、道中で王子とはぐれてしまいまして」

「道に迷われたのですか?」


 王様が心配そうに立ち上がり従者に指示を出そうとするのを見て、王子様一行のうちの一人が慌ててさえぎる。


「そ、それが……」


 王子様一行の中にいた一番年上そうなおじいちゃんがおずおずと玉座に近づいた。


「お、恐れながら……王子は……先日この国のお祭りで出会った町娘と駆け落ちしてしまいました」


 おじいちゃんのちっちゃい体はもっとちっちゃくなって、チワワみたいにブルブル震え、そして倒れてしまった。

 王様と王妃様は青ざめながらも落ち着いておじいちゃんを介抱する。

 私は、混乱しながら立ち尽くしていた。

 ちょっと待って。

 つい昨日まで縁談なんてこれっぽっちも興味がなかったけど、私は会ったこともない人に振られちゃったってわけ?

 正確には、私『浜野千鳥』ではなくお姫様の『ツィトゥリ』が振られたことになるんだけど、当のツィトゥリも駆け落ちしていなくなって……

 駆け落ちして……

 ねぇ、もしかして。王子様の駆け落ち相手はツィトゥリなんじゃないの?

 そういえば、ツィトゥリはお祭りで出会った人に恋をしたって言ってたよね。そして、その相手の名前を『ナァム』って言ってたよね。たぶん、ツィトゥリもお祭りでは偽名を使っていたはずよね。お互い、縁談の相手だと分からないまま恋しちゃったってことよね。

 ちょっと待ってよ。

 ばっかじゃないの。

 茶番じゃない。

 巻き込まれた私はいい迷惑だわ。

 歩き方の訓練をさせられたり、無駄な緊張させられたり……

 ホントにもう、あったまにきた!


「ツィトゥリ様! どちらへ?!」


 このままここにいたら、ツィトゥリに変装した罪で捕まっちゃうじゃない。ショックで部屋に引きこもるフリをして逃げなくちゃ。

 そう、フリよ、フリ。べ、別にショックなんかじゃないんだから。


「あ、それちょっと貸して!」


 侍女が持っていた陶のカップを受け取って飲み干す。

 この世界に来てからずっと何も飲んでいなかったから、実は喉が渇いていたんだよね。


「ツィトゥリ様! それは気付けのブランデーです!」


 飲み込んだ瞬間に喉が焼けるように熱くなって、目がぐるぐると回った。

 うわ、どうしよう。

 早く制服を取りに行かなきゃいけないのに。

 それから逃げなきゃいけないのに。

 壁も天井も、周りの人たちも、ゆっくり回って見える。

 床がぐにゃぐにゃ曲がって……わわわ、歩けない!


 たぶん、私は倒れたんだと思う。



***



「一体どうしたんだい?」


 目の前には浪漫屋骨董店の店主のおばあちゃんがいた。

 あれ?

 お店の中に所狭しと並んだ骨董品も、鍵付きの箱も、いつのまにか戻ってる。

 私、戻ってこられたんだ。


「今、なんか変なところにいて、私、逃げなきゃいけなくって……」

「なに言ってんだか分からないね。それより、あんた。あんたが約束を破ったせいで、大事な商品がひとつなくなったんだよ」


 おばあちゃんが鍵付きの箱の中を指差すと、確かにそこにあったはずのシーグラスがひとつなくなっていた。


「私、なにも触ってないです。ただ、形と色が似てるのを拾ったから見せようと思っただけで……」


 ポーチの中を何度探っても、一番キレイなシーグラスは見つからなかった。

 そうだ、あれはツィトゥリにあげちゃったんだ。

 で、でもあげたのは私が拾ったもので、お店のシーグラスには指一本触れていない。


「これはね、誰かの想いのカケラなんだよ。小さく割れて離れてしまった片割れが戻ってくるのをこの店で待ってるんだ。あんたが持って来たのはたぶん、ここにあったシーグラスの片割れさ。カケラが全部集まると、本当にキレイな宝石みたいになるんだよ。それを買いたいお客がいるから、私はここでカケラを集めてるんだ」

「は、はぁ……」


 つまり、私のおかげでシーグラスは宝石になったってことだよね。なのに、なんで睨まれてるんだろう。


「あんた、カケラを誰かに渡したね?」

「はい。だって、あの子に必要だと思ったから」

「あんたがちゃんと持っていれば、カケラが消えることはなかったんだ。大損害だよ。ちゃんと弁償してくれるんだろうね?」

「弁償?」


 でも私、お店のシーグラスは渡してない。


「カケラはね、大きい方について行っちまうのさ。だから、あんたがカケラをなくしたんだよ」

「そ、そんなぁ。弁償っていくらくらいですか? お小遣いで足りるなら、すぐ払いますけど」

「バカだね、カケラは日本円にしたら数十億の価値があるんだよ。お小遣いで足りるもんか」

「す、数十億?」


 想像を絶する。そんなお金、持ってるわけないし。

 そんなの小さな国の国家予算並みじゃない。

 そうか。ツィトゥリの国なら賄えるかもしれない。

 私、いいことしたんじゃないかな。


「ちゃんと聞いてるかい? 弁償だよ、弁償。とにかく明日からここで働いて、シーグラスも探してもらうよ」

「えぇぇぇぇ〜!!」


 いいことしたはずなのに。

 私はいきなり借金を背負って、不思議なお店で働くことになってしまったのでした。

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猫耳姫は駆け落ちしたい ー浪漫屋骨董奇譚ー Mikey @m_i

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