第5話 変装
布団をそっとめくって「大丈夫?」と、ツィトゥリが私をのぞき込む。
「暑かったぁ!」
ふぅ、と私が息をつくと、またくすくすと二人で笑う。
「私、決めた。身代わりになってあげる」
私が言うと、ツィトゥリが不思議そうに見つめてきた。
「今の話を聞いても、嫌にならなかったの?」
「だって、楽しそうじゃない。お姫様になんて普通なれないし、今日来るっていう王子様もカッコいいんでしょ? ちょっと見てみたいな、って思って」
「千鳥、あなたって素敵だわ!」
「ツィトゥリだって、駆け落ちなんてカッコいいよ!」
私たちはお互いを讃えあって抱きあった。
「ねぇ、ツィトゥリ。このシーグラスって、そんなに高価なの?」
私はテーブルに並べられた荷物の中から、薄い青のシーグラスを手に取った。
今まで見つけたものの中で、一番キレイで、一番形がよくて、浪漫屋骨董店の鍵付きの箱に納められていたシーグラスに似ているもの。
ツィトゥリは、じいっとガラスを見つめている。
「私、こんなにキレイな石は初めて見るわ」
「石じゃなくてガラスだよ?」
「ガラス……ガラスとはなんですの?」
この世界ではガラスというものが存在しないのかもしれない。部屋を見回すと、窓についているのは木戸だけだ。
もしガラスに希少価値があれば、ツィトゥリの言うとおり税として納めることが可能かもしれない。
「私が住んでいたところでは、ガラスっていう透明の素材があって、窓とか壁とか食器とか、色んなものに使われてるんだ。アクセサリーにもなるよ。それに、簡単に作れるし、形も変えられるの。別に高価なものではないけど、もし税金の代わりになるなら、ツィトゥリにあげる」
「素晴らしいものなのですね。本当にいいんですの?」
「うん。だって、これは拾ったものだからお金もかかってないんだよ」
「こんな美しいものが落ちているなんて、あなたの住んでいる国は不思議なところなのね……ねぇ、千鳥。あなたはこのガラスの作り方をご存知ですの?」
「う、う〜ん。それがね、確か重曹となにかを混ぜて作るって聞いた気がするんだけど、詳しくはよく知らないの」
世界史の授業中に先生が話してくれたはずなんだけど、そのときの内容は右から左に抜けていってしまった。こんなことならちゃんと聞いておけばよかった。
「それなら、もしこのガラスのことを誰かに聞かれても「知らない」と言えばいいわ。ただの石なら厳しく追求されることはないでしょうけれど、もしも人の手で作ることができると知られたならば、覇権争いに巻き込まれてしまうかもしれないもの」
「まさか……」
「もちろん、必ずそうなるとは限らないわ。でも、いつも最悪の事態を考えなくては」
「分かった。私、ガラスのことはただの石だって思うことにする」
ツィトゥリは少し安心したように微笑む。
「今夜一晩だけ身代わりになってくれたら、あとはあなたの自由だから。今夜はご挨拶するだけで、あとは宴に紛れてここを出てしまえば大丈夫。あなたの国に帰ってもいいし、もし気に入ったらそのまま残って王子様と結婚してもいいのよ」
「やっだ〜! そんなのありえないよ!」
一目惚れなんてしたことないし、しかもすぐ結婚しなくちゃいけないんでしょ?
心の準備が全然出来ていないもの。
だけど、ツィトゥリの言葉で急にどきどきしてきた。
「分からないじゃないの。ィナムラ王子は良い噂しか聞いたことないわ。きっと素敵な殿方よ」
「でも、ツィトゥリは別の人がいいんでしょ?」
「だって……私は、ナァムに出会ってしまったんですもの」
猫耳をぴょこぴょこ揺らしながら頬を染めて恥ずかしがるツィトゥリは、ものすごく可愛かった。
「王子の話は置いといて、身代わりはちゃんとやるから任せて!」
「頼もしいわ。それじゃあまず、歩き方の特訓ね」
「え? 歩き方?」
「そう。あんなに騒々しく足音を立てるようじゃ、すぐにバレてしまうし、百年の恋も冷めてしまうわ」
そ、そんな。猫と比べられて足音がうるさいって言われても困るよ。しかも、百年の恋も冷める、だなんて。
「まずは本番のドレスと靴に着替えてから練習しましょ」
ウェストを締め上げられるウェディングドレスのようなものを想像していたけれど、ウェストの絞りも裾の広がりも胸の開きもほどほどのドレスでホッとした。色はツィトゥリの瞳によく合う、深い青だ。
靴は、用意されていたものは十センチくらいの高さもあるヒールがついた、ドレスと同じ色のものだったけれど、私の方がツィトゥリよりも身長が高かったおかげで別の低い靴を選ぶことになった。
一番の問題は猫耳だ。
私の耳を消すことはできなくても、ツィトゥリと同じような猫耳を生やさなければ身代わりは務まらない。髪の毛で耳の形を作ったら誤魔化せるんだろうか。
鏡に向かって私が自分の髪を持ち上げていると、ツィトゥリが急に思いついたように手を叩いた。
「そうそう! 去年のお祭りの時にいただいたものがあるのよ」
クローゼットをごそごそと探して、小さな箱を引っ張り出す。
箱を開けると、ツィトリの耳そっくりの真っ白な耳飾りがあった。
「なぜか去年すごく流行っていて、街の人がプレゼントしてくださったの。だけど、耳が四つあるみたいで、結局使えなくて……きっとこの日のために用意されたものだったのね」
人間の耳を隠しながら猫耳飾りをつけると、私とツィトリはますますそっくりになった。
「まぁ! これならきっと父も母も気づかないわ。あとは足音だけね」
「えぇ、やっぱりそれは必須なの?」
「当たり前じゃないの。さぁ、特訓よ!」
ひぇぇ。ツィトリの目がらんらんとして怖い。
「時間がないから早く!」
「は、はいぃ〜!」
お姫様って、こんなに大変だったのね。
私は頭に重たい本を乗せられて、絨毯の線の上を何往復もさせられた。
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