二日目



 僕は通学路を歩きながら、拓斗に掛ける言葉を考える。まずは普段通り、挨拶をしよう。そしてあまり重くならない口調で昨日のことを謝ろう。触れすぎれば、きっと悪化してしまう傷口が彼にはある。

 だけど僕が頭を悩ませたことも虚しく、彼は欠席だった。特に何もすることのない僕は、休み時間と昼休みを使って借りた本を読破してしまった。


「綾音さん」


 放課後、図書室。せっかく読み終えたのだからまた何か紹介してもらおうと、本の整理をしていた彼女に声を掛けた。


「本、面白くてもう読み終わってしまいました。ありがとうございます」

「いいえ、良かったです。また何か借りられますか?」

「はい、お願いします」


 そう言って、彼女は棚の本を眺める。ふと、その唇が動く。


「湊さん」

「は、はい」


 初めて名を呼ばれた。ドキマギしながら、僕は上ずった声で返事をする。カードで名前を見たのかもしれないが、凛とした彼女の声はどこか緊張してしまう。


「次の日曜日、付き合ってほしい所があるんです」


 ただでさえ強張っていた体は、硬直してしまった。何の反応も示せない僕に、綾音さんは焦り気味に続ける。


「ただ私に付いてきてくれるだけでいいんですっ。不躾で申し訳ありませんが…どうしても、一人では勇気が出なくて…」


 彼女は目を伏せる。あまり表情が豊かとは言えない綾音さんが、不安に顔を曇らせる。だから思わず、頷いてしまった。


「はい。僕で良ければ」


 驚いたように彼女は顔を上げた。何度か目を瞬かせた後、その頬が緩んだ。

 その表情に、僕もなぜか吐露したくなった。


「あの、僕もどうしたらいいかわからないことがあって」

「何でしょう?」

「友人が、もしかしたら辛い思いをしているかもしれないんです。でも僕なんかがそれに踏み込んでいいかもわからないし…、でも謝りたいことはあるんです」

「そのご友人は、今日はどのような様子だったんですか?」

「それが休みで…風邪って先生は言ってたけどたぶん違う。だから今から家に行こうかなって…」


 あ、と僕が声を漏らすと、彼女は微笑んだ。


「もう答えは出てるじゃないですか」



*  *  *  *



 彼の家を訪れるのはいつぶりだろう。数年訪れていないだけなのに、なぜかもう知らない場所のように感じる。一応「真辺」という表札を確認。そして深呼吸。


「わっ」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

「えぇぇぇそんなにビビるっ!?」


 振り返ると、そこには飄々とした拓斗がいた。普段着でバッグを片手に下げているから、どこかの帰りだったのだろう。


「お、おどかすなよ!」

「いやぁつい挙動不審だったから。あ、もしかしてプリント届けに来てくれた?」

「あ、うんまぁ…」

「サンキュ。うち、上がってくか? 誰もいないから色んなことし放題だぜ」

「速攻で帰りたくなるようなこと言うなよ」


 いしし、と笑う彼はいつも通りだ。ホッとしつつ外で何をしていたのか尋ねると、塾で模試を受けていたらしい。そういえば前にもそれで学校を休んだことがあったなと思い出す。

 彼の部屋に入り、僕はすぐに切り出した。


「昨日は、ごめん。無理やり誘って…」

「あぁ良いって良いって。こっちこそごめんな、ビックリしたよな」


 僕は用意された座布団の上に正座し、彼を見つめる。いつからそんなに、人に気を遣う表情をするようになったのか。


「なぁ拓斗」

「ん?」

「辛い?」

「………………………………ちっとだけ」


 結局昨日のことはそれっきり話題にはならず、学校にいるときのようにくだらないことばかり話していた。だけど僕は、特に娯楽の置かれていない簡素な部屋の隅にあるギターをしっかり目にしていた。



―――カラン―――ッ



 乾いた音が脳裏に反響する。

 目を開けば、薄暗い中に唯一色を主張する紅がそこにあった。


「進捗はいかがかね?」

「………………拓斗は、死にたいって、思うのかな」


 とても身近で、いつもヘラヘラしている友人が苦を強いられているなんて、考えもしなかった。彼は今どれくらいの苦悩を抱え、今どれほど辛くて苦しくて生きづらくて、死にたいと思っているのだろうか。


「気になるなら、それも聞けば良かったではないか」

「簡単に言わないでください! それを聞いたら拓斗がどんな気持ちになるか…」

「そんなこと、本当はどうだっていいんだろう。君はただ、自分の保身のためにそう言ってるだけさ」


 彼女はどこから取り出したのか、キセルを口元へ運ぶ。なぜ今になって吸うのか、胸に煙が溜まっていく。そして知ったような口を利くことに、僕は眉をひそめる。


「もし彼の口から「死にたい」と聞いた時、なんて言葉を掛けていいかわからないから。悩みを深く聞いてしまった瞬間、自分は関係者になってしまうから。そうしたら自分も、頭を悩ませないといけないものなぁ」


 ぷかぷかと煙が輪っかを作る。それらは付かず離れず、等しい感覚で上へ向かう。


「僕は別にそんなつもりはッ」

「他人様を気遣うより、自分に目を向けるのが賢明じゃな」

「待っ―――!」




―――カラン―――ッ



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