一日目


 厚底の下駄が、鳴った。

 視界には見知った古い木の天井が広がっている。僕は大きく目を見開いたまま、素早く体を起こす。外は明るく、カーテンの隙間から漏れる明かりが警報を鳴らす。


「やっべ遅刻っ!」


 朝ご飯を抜いて全速で準備したおかげで、ギリギリセーフ。チャイムとほぼ同時に、滑り込みで着席できた。大きく息を吸って吐いて、机に突っ伏す。


「おうおう悠一さん、まだ新学期も始まったばっかりなのに遅刻ですかい?」

「遅刻してない、ギリギリセーフだ…」


 前の席から小声で「いししっ」と笑うこいつは、近所に住む幼馴染の真辺拓斗(まなべ たくと)。彼は少し見た目がチャラいが、馴染みということもあって何かと話しやすい。二年生の一学期から、またクラスが同じであることに安心している。


「はい、では出席をとりまーす」


 担任の間延びした声が教室に響く。

 僕は昨日の夢のことを思い出す。鬼や列を成す人々が脳裏によぎると、背筋に悪寒が走った。そして、彼女の紅の瞳。


(……本当に、夢、だったのか?)


 拭い切れない現実感。閻魔大王、ことえっちゃんは本当に居て、本当に僕に頼みごとをしたのだろうか。だが自殺者を減らすなんて大層なこと、僕にできるわけがない。それに何か、四葉寺のことも言っていた。ソクシンブツ、とも。


 わからないことは本で調べるのが一番だ。コンピューター室でササッと検索することもできたが、本当に知りたいことは可能な限り多くの媒体で調べるのが良いと個人的に思っている。

 僕は放課後、図書室に向かった。とはいえ、普段本をあまり読まない人間なため、図書室は知らない場所も当然だった。


「わっかんねぇ……」


 一応本たちは分類されているが、ギッシリ並べられている棚の数は十を超える。ソクシンブツ自体なにかもわからないのに、それが書いてある本を探すのは至難の業だった。先にパソコンで検索をするべきだった、と今更後悔する。


「何かお探しですか?」


 不意に、声を掛けられた。見るとそこには、肩までの黒髪に黒縁メガネでいかにも図書委員のような女性がいた。僕は苦笑しながら事情を話す。


「即身仏でしたら…こちらの資料が一番詳しく載っています。資料ですので貸し出しはできませんが」

「あ、ありがとうございます。じゃあ読んだら戻しときます」

「…どうして即身仏のことをお調べに?」

「あー、えっと、なんか書いてあったから何のことかなーって…はは…っ」


 分厚く古びた資料を受け取り、僕は言葉を濁す。そういえば、わざわざ図書室に来てソクシンブツのことを調べるためだけに、こんな資料を漁っているのはとても奇妙だろう。ということに今更気付く。


「あ、あとなんか面白い本ないですか? あんまり本読まないけどちょっと挑戦したくて…」


 咄嗟にそう取り繕う。始終目が泳いでいた気がするが、彼女は何とも思わなかったようで、好みを聞いてきた。幾つか質問されると、とりあえず、と受付カウンターへ案内された。本を一度も借りたことがないのがバレていたらしく、新規カードに名前等を書かされた。その間に彼女は本を取りに行く。


「綾音ってほんと真面目だよねー。知ってる? 綾音って、ここの本ぜーんぶ読んだらしいよ」

「え、あれってマジなの? うわぁそりゃ真面目になるよ」


 受付カウンター内にいることから、彼女らも図書委員なのだろう。図書室なのに普段と変わらない会話ボリュームで、悪口一歩手前の話をしている。

 綾音、というのは僕のために本を選んでくれたあの子だ。目と鼻の先にいるのに。


「はい。これは文字が大きくて読みやすいし、展開も面白いから途中で飽きたりしないと思います」

「ありがとうございます。ここに題名を書けばいいんですよね」

「はい。返却日の記載はこちらに……また何かわからないころがありましたら、聞いて下さい」


 僕は再度お礼を言い、彼女おすすめの本を片手に資料をめくった。何やら難しいことが難しい言葉で書かれていて、大半が理解不能だった。だが即身仏について、ようやく有力なページを探し当てた。

 即身仏とは、何やら昔の僧侶が生きながら埋められたらしい。ふと漫画で読んだシーンが蘇る。樽に空気を取り入れる筒を差しただけの中にお坊さんが入って、死ぬまで念仏を唱え続ける。そしてそれはミイラになる。


「うっ……」


 資料にはご丁寧に、今も保管されているミイラの写真が載っていた。思わず目を逸らして本を閉じる。

 きっと、彼らは辛かったはずだ。そこまでする理由がわからないし、もし自分が僧侶でもそこまでしたいとは思わないだろう。首を傾げながら資料を元の場所に戻し、僕はある場所に向かった。



 *  *  *  *



「なんだよー、四葉寺なんて何もないだろー。まさか、寺なんかで俺に愛の告白するわけ? そんなんじゃ俺のハートは射貫けないよ?」

「本当に射貫かれればいいのに」


 教室にまだ残っていた拓斗を連れ、僕は四葉寺を訪れた。小さいころ遊んでいたときはもっと存在感があった気がするが、今はだだっ広い敷地内にポツンと古めかしい建物があるだけ。そして少し外れた草むらの中に、井戸はあった。


「…なんで手握られてるの、俺。やっぱりハート狙い?」

「いいからちょっと黙っとけ頼むから」


 決して即身仏を調べたらあまりの気味悪さから、一人でここに来れなかったわけでも井戸に近付くことが出来ないわけでもない。決して。

 井戸は人の腕一本ほどの直径しかなく、もちろん使われている形跡はない。だが地面を見てみると、石づくりの井戸から不自然に伸びた切れ目があった。ひび割れのようなそれを見て、夢が夢でない可能性を濃く感じた。


「拓斗。何をしているんだ」


 握っていた手がビクリと震え、外された。振り返ると、スーツ姿の険しい顔をした男性が立っている。


「と、父さん…、お、おかえりなさい」

 

 にへら、と似合わない表情を浮かばせる拓斗。僕は眉をしかめる。疑問が浮かぶ前に、乾いた音が敷地中に響き渡った。


「なっ…!」


 平然と、彼は拓斗をぶった。


「何をしているのかとついてきたが…塾が休みなら家で予習復習をしなさいと言っているだろう。こんな所で油を売っている暇はお前にはないんだ」

「あ、あの、ち、違うんです! 僕が無理やり連れて来たんです!」


 僕は咄嗟に拓斗の前に出て訴える。だけど彼は睨み付けるだけで、何も言わない。


「…帰るよ、悠一。またな」

「た、たくとッ…?」


 また彼は似合わない笑みを浮かべ、父と一緒に帰ってしまった。


 僕は暫く茫然として、ゆっくり家路をなぞり始める。

 拓斗の父と面識がないわけではない。幼いころはよく互いの家を行き来しては遊んでいた。あんなに厳しい人だっただろうか。だけど、そうだ。いつからだろう。拓斗の付き合いが悪くなったのは。いつからだろう。拓斗の悩みを聞いたことがないのは。


 それからボーッとしながら、借りた本を読んだりテレビを見たりゲームをしたり。そして僕はいつの間にか寝ていた。



 ―――カラン―――ッ



「進捗を聞かせ給え」

「…………………………………………………………………えっちゃん」

「誰がえっちゃんだっ!」


 バンッと派手に机が叩かれる。前にも来たことある、彼女の書室をグルリと見渡す。夢じゃないんだと、もう認めざるをえなかった。


「これから一週間、君が寝るたびにここへ来て進捗を聞かせてもらう。もちろん現世の君はしっかり休んでいるよ」


 精神は絶対に安らいでいないだろうが、僕は言葉を飲み込む。代わりに、起こった出来事を話す。


「……即身仏を調べて、寺に行って、友達が叩かれた」

「あぁ見ていたよ」

「じゃあ報告なんていらないんじゃ…」

「君がどう思っているかが聞きたいんだ」


 どう、と言われても困る。拓斗が叩かれてしまったのは自分のせいで申し訳ないし、それはちゃんと彼に謝らないといけない。だけど家庭の事情が混じっているようで下手に手を出せない、とも思う。


「人間というのは面倒だ。多くの人間と共存し生きていくが、それぞれの立場や距離がある。君は、彼の友人である。そうだろう?」


 僕は頷いた。

 それは至極当たり前で、めんどくさくて、強くて、頼りない。


「次は、いい報告を待っているよ」





 ―――カラン―――ッ



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