地獄からの優しい連鎖
繭墨 花音
落ちた先に
いつも通り、僕は自室のベッドで寝ていたはずだ。だからこれは夢なんだと、そう思いたい。だけど、どこからか漂う生暖かくねっとりと全身を包む風と、ひっきりなしに耳を劈く悲鳴がやけにリアルで、僕はただただ立ちすくむしかなかった。
「ここ、は……?」
ゴツゴツとした岩の地面が視界いっぱいに広がり、それを覆いつくさんばかりの人の列。彼らはどこかを目指して―――いや、その表情に意思は見られない。無理やりに列を作らされ、はみ出すことすら許されていないようだ。
僕はその異様な光景に、しばし圧倒された。ハッとして近くの人の肩を掴む。
「あ、あの、ここはどこですかっ!?」
五十代くらいの男性は反応を示さない。まるで自分のことしか頭にないように、ぶつぶつと何かを言いながら爪を噛んでいる。見ると、彼の手はかなりの深爪になって血が滴っていた。
「う、っ……」
あまり得意ではない血を間近にし、思わず後ずさる。他の人に声を掛けよう……辺りを見渡すが、みな一様に誰のことも認識していない。自分のことだけを案じ、悲鳴を上げたり震えたり怒鳴ったり茫然としたり笑ったり。
「おい、そこで何をしている!」
突然背後から声がかかった。やっと話しができる人が現れたのかと、僕は即座に振り返る。しかしそこには、鬼がいた。
「列を乱すな戻れ! 逆らうようならここで粉砕して運んでやってもいいんだぞ」
僕の倍はある鬼は棍棒を振りかざしてニヤリと笑った。もう何が何だかわからない。絵本でよく見る全身真っ赤で屈強な鬼が目の前にいる。しかも二人。言葉を使って話しているから会話はできるようだが、彼らにそんな余地は見えない。何も言えずただ口を開閉して突っ立っていると、奥にいた鬼が首を傾げた。
「……こいつ、死者の臭いがしないぞ」
「あ? ……本当だ、生きてる人間か?」
スンスンと鼻を鳴らして鬼たちは距離を詰める。ヒッと短い悲鳴が喉元から漏れる。
「やべぇまた落ちて来たのかよ。ほんっと最近多いよなぁ」
「仕方ねぇよ。とりあえずえっちゃんに報告だな」
なぜか彼らから殺気が掻き消えた。のんきに頭を掻く姿に、僕は今なら話せるかもしれないと口を開こうとした。
「あぁいいよいいよ。あんた死んでないんだろ? えっちゃんに報告しなきゃいけないから、ついてきて。わざわざ生者を地獄に流すほど、俺らも暇じゃないし」
死んでる。生きてる。地獄。
先程から物騒な言葉が飛び交っている。だけど信じられるわけがない。まさか本当にここが―――。
彼らに連れられ列を沿って暫く歩いた。するとようやく、先頭にたどり着いたようだ。
大きな机と椅子に、高くそびえる書類。一人一人チェックをしているのか、座っている鬼と同じくらいの体格の女性は何かを問いかけては見定めるような目を向ける。
「えっちゃーん。また迷子が出たんだけど」
えっちゃんと呼ばれているのは、椅子に座っている女性だったようだ。彼女は顔を上げると、眉をしかめた。そして近くの鬼に席を譲ると、こちらへ歩み寄る。
真っ赤な布地に真っ白なボタンの花が咲いている着物は、鬱陶しいのか相当に着崩されている。黒髪は一つで高く結ばれ、肩は大胆に露出され、脚は歩くたびに太腿まで見えてしまっている。まるで花魁のようだと思ったが、片腕を外に出し、さらしで豊満な胸を巻いているところを見ると極道のようにも思えた。
「死者の前でえっちゃんと呼ぶな、えっちゃんと。……で、そこの小さいのは?」
グッと間近に顔を寄せられる。思わず後ずさりしつつも、その白い肌と美しい顔立ちに目を奪われる。
「ふーん……、こりゃあちょいっと特殊だね。お前たち、ここは頼んだよ」
「へい。えっちゃんの仰せのままに」
「だーかーら、えっちゃんと呼ぶなと言っているだろう?」
彼女は鬼たちに向き直り、声を張った。
「私はえっちゃんじゃない。閻魔大王だよ」
* * *
彼女に連れられた先は、高々とそびえたつ陰湿な気を放つ城だった。外装も内装も黒一色。必要最低限だけの蝋燭が点在するだけで、足元は覚束ない。そして今現在いる部屋も、辛うじてズラリと本棚に囲まれていることがわかるだけで視界は不明瞭だ。
「ここが私の書室だ。人間には少々暗いかもしれないが、まぁ掛け給え」
差し示された鉄の椅子は、錆びついて古くも頑丈そうで脚が太い。恐る恐る僕が腰掛けると、彼女は一つ頷いて自身も腰を落ち着かせた。
「さて、順よく説明しよう。人間は混乱に弱い生き物だからね。まずここがどういった場所か、予想はついているかな?」
「………地獄、ですか?」
「そう、正解だ。悪い人間が死んだときに落とされると、人間界でも言われてるあの地獄だ。そして私が閻魔大王だ」
胸を張って、彼女は頷く。僕は震える膝を押さえつけながら口を開く。
「あ、あの、僕は何もしてません! 悪いことなんて…そりゃあ小さな事ならしたかもしれないけど、まだ中学生だし、そ、それに死んでもいません!ただ寝ていただけでッ」
「あぁわかっているよ、落ち着き給え。君のように悪いこともしていない、死んでもいない人間が、最近はよく間違って落ちてくるんだ」
ため息交じりの返答に、僕はようやくホッと胸を撫で下ろす。そういえば鬼たちも言っていたが、どうやら僕のような前例が沢山あるようで、このまま地獄に流されるようなことは回避できそうだ。
「じゃ、じゃあ元の世界に戻してもらえますか…?」
「君はなぜ、ここ最近人間が間違って落ちてくると思う?」
僕のお願いを完璧に流し、閻魔大王は問いかける。そんなことより自分が現世に帰れる保証が早く欲しいのだが、紅のツリ目に射止められ、ぐっと堪えた。
「人間が死ぬとき、『死判員』という魂の選別者がそいつの元へ行き、魂が選別される。要は悪い奴か良い奴かを分けるんだ。そいつが過去に成してきたことによって決まるのはもちろんだが…、その死判員をすり抜けて通ってくる輩がいる。どういう死に方をした人間だと思う?」
「それは…交通事故、とか?」
「事故や病気は生前から死ぬ日時が決定している。死判員がその時に遅れるようなことはない」
死があまりに明確に、生前から決まっているということに驚きながら、疑問は深まる。人の死に方には数が限られてくる。それ以外の死に方で、どうしたら死判員をすり抜けるというのか。
「自殺、だよ」
予想もしていなかった返答が、心臓を跳ねさせた。同時に、先日の道徳の授業を思い出す。今、自殺者の増加が社会問題になっていることから、もし友達が「死にたい」と漏らしたら、なんと声を掛けるかと作文を書かされた。
「自分で命を絶つことが善か悪かは、ここでは置いておこう。それは君達人間が議題にし給え。我々の問題は、勝手に死なれる輩が多すぎて死判員が間に合わないということだ。自殺自体はそう珍しいことでもないし、全く間に合わないわけではないんだが……如何せんその数が多すぎる」
鉄製の長机に頬杖を突きながら、彼女は深いため息を吐いた。恨めしそうに、山と化している書類を睨んでいる。
「で、でも僕は自殺なんかしてないし…死んでもいません!」
「そう。君はイレギュラーなんだ」
彼女は立ち上がり、真っすぐ僕の方へ歩み寄る。妖艶で美しいながらも、大きな体格の放つ気迫から、体が自然と強張る。紅の瞳が僕を覗き込む。
「名は湊悠一(みなと ゆういち)。田野市四葉に住む、四葉中学校の二年生。成績と顔面偏差値は中の下で運動能力は中の上。帰宅部で趣味はゲーム。特にRPGが好き」
「えっ、えっ、えっ…」
「合っているだろう?」
突然名を、住所も身の上もその他もろもろも全て言い当てられた。一部単にダメ出しをされただけの気もするが、驚きで今回は目を瞑る。
「君は何の変哲もない普通の人間だよ、安心し給え。だけど住んでいるところが悪かったね。近くに寺があるだろう?」
言われて、僕は眉をひそめる。確かに家の近くにとても小さなお寺があるが、地区の人が掃除をしている所を何回か見ただけで、子どもたちの密かな遊び場になっていた。
「あそこの井戸には即身仏が居てね……その切れ目から、寝ていて腑抜けた魂がここに引っ張られたんだろう。さっさと修理をしろとあれだけ言ったんだが…まぁ仕方ない。君はもちろん現世に帰してあげるが、一つだけ頼まれてほしい」
彼女は人差し指を立てた。その爪も、瞳のように紅色だ。
「自殺者を減らしてほしい」
「………………………………………………………は、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
「一人でもいい、とにかく減らしてくれ。死んだ人間が正規ルートを通らずにあの切れ目から入ってくるケースも多々ある。だがあれを塞ぐのは今からでも四日はかかる。その間だけでいいんだ」
頼む、と両手を合わせられても僕は全力で首を振る。というか、手を合わせるという行為を閻魔大王がするのは違和感しかないのだが。
「無理無理無理無理ッ! そんなことできるわけないじゃないですか!」
「やってみなきゃわからないだろ! それに、君はそうもあっさりと閻魔大王の頼みを断っていいと思っているのかい?」
にやり。
そういう効果音がついてもおかしくないほど、閻魔大王は口角を悪戯気に上げまくった。僕は半分涙目で叫ぶ。
「そんなの卑怯だ! えっちゃんって呼ばれてるくせにっ!」
「それは関係ないだろ! いいからさっさと現世に戻れ!」
―――カラン――ッ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます