第11話
あの日、いつものように学校が終わってから、退屈な時間を潰す為に見飽きた街を一人でうろうろしていた私は、そこで偶然にも、もしくは不運にも、希美と鉄二が並んで歩いている場面に遭遇した。
私は突然の事態に、頭がパニックを起こしてその場に凍りついてしまっていた。どうしよう、どんな顔を向ければいいのだろう、話し掛けられたら何と返せばいいのだろう。色んな思考が私の中でぐるぐるぐるぐる渦を巻いていた。
でも、向こうは、こちらに気付いていなかった。希美と鉄二はとても楽しそうで、全身で二人だけの世界に浸っている感じで、少なくとも私の目にはそう映っていた。だから私はずっと外側で一人きり、二人の様子を眺めているしかなかった。
唐突に、邪魔したらいけないと思った。早く、気付かれていない内に、立ち去らなければならないと。……本音は多分、これ以上は見ていたくないと思っただけだ。
そして私は、静かに背を向けて歩き出した、のだと記憶している。ただ、正直に白状すれば、この辺りに関する記憶は少し曖昧だった。
ぼんやりと、足の動きに任せて歩いていたのは間違いない気がする。何も考えたくなくて、何かを考えたらあっという間に限界を超えてしまいそうで、だから必死に「空っぽな頭」のイメージで頭を一杯にして、私はろくに前も見ずに歩いていた。
交差点に差し掛かった時も、きっとそうだったのだろうと思う。信号機の色も、眼前を行き交う車の流れも、おそらく情報としては伝わってきていたものの、その意味を理解する気力が無かったのだ。
「……そうだよ。やっぱり、私は自殺なんかしていない」
気付けば、私は思考を声に出していた。
「それが、本当に答で良いのかな」
男の確認に、ようやく我に返った私は、改めて「自殺なんか、してない」と告げた。
そうだ。私は決して、死にたいと望んで、わざと道路に飛び込んだりしていない。だって、死にたいと願える余裕さえ、あの時の私には無かったはずなのだから。
「私は自殺したんじゃなくて、ただ信号や車に気付かずに道路に出ちゃっただけ。あれは、間違いなく事故だったのよ」
確信を込めて言った私に、男は一度だけ「ふむ」と頷くと、何やら考える風にステッキで地面をコツコツと叩いた。
果たして、それは男にとって満足のいく回答だったのかどうか、私に知る術は無かったが、不思議なことにあんなにもしつこく残っていた不安は、いつの間にか消えてしまっていた。
「それでは、次の質問だが」
しばらくして、今度はくるりとステッキを肩に載せた男は、やけにのんきな口調で尋ねてきた。
「君は、仮に生と死を選択出来るとして、生きたいのかい?」
心底から、意地の悪い質問だと思った。実際、性悪な男はいよいよその本領を発揮してきた。
「どうせ再び目覚めた所で、辛く寂しい現実が待っているだけだよ。事故の話を別にしても、大切な親友は離れていってしまったし、大好きだった男の子は君が自らから拒絶してしまった。毎日が楽しいだなんて、もうずいぶんと久しく感じていなかったんだろう?」
男は無言を貫いている私に対して、心なしか早口になってきていた。
「本当は、全て何もかも忘れてしまいたかったんじゃないのかな。だけどそれが叶わないから、無理矢理に自分を頑張らせていただけじゃないのかな」
「…………」
「そんな必要は、本当にあったのだろうか。生きる価値のある人生ならば、生きるべきだ。けれど、生きる価値を失った人生を、それでも生きる意味が、君にあるのかい?」
私の答は、とっくに決まっていた。
「あんたなんかに、私の価値を勝手に決められたくないわよ」
今度は男が黙る番だった。
「そりゃ、私はただの高校生だし、特別に自慢出来る事も無いし、頭や要領だってそんなに良くない。でも、あんたが言ったのよ。そんなのは関係無いって。何が命の本質よ。こそこそと、こんな場所から他人を覗き見して適当な事を言うだけのあんたに、私の本質なんて分かりっこないわよ」
遂に言ってやったと、すっきりした。直後に言い過ぎたかなとかすかに恐くなったけれど、後悔はしなかった。だって、私はただ質問に答えただけなのだから。
「お願いだから、もう一度、私を帰して。希美や鉄二や、他のみんなに会わせて」
そして私は、おそらく生まれて初めて、ただひたすら素直に頭を下げた。
「どうか、お願いします」。
男は何も応えなかった。
だから私は「お願いします」と繰り返した。どんなにみっともなくても構わない、再び生きられるのなら、私は何度でも懇願を続けるつもりだった。
なぜなら、私はどうしても、再び希美や鉄二に会いたかったからだ。私が二人を傷つけてしまった。二人はとても傷ついていた。それなのに私の事を考えてくれてもいた。そんな事実を知らされて、今さら諦められるわけがなかった。
どうするべきだったのか。何が最良で最善の行動だったのか。そんな事はやっぱり分かっていないままだったとしても、私は絶対にもう一度、ちゃんと二人と向き合わなければならなかった。喩えこの体や外見がどんな状態になっていたとしても、絶対に。
だって、私は今でも、二人の事が大好きなのだから。それが、私にとっての紛れもない本心だった。
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