第10話

「気の毒な話だね」

 と、そこで唐突に映像は停止し、私は憐れむように言ってくる男を振り向いた。

「結局、君の嘘のせいで、彼女も、彼も、みんなが傷つく羽目に陥ったんだ」

 責めている風では無いが、動かない画面を見上げたまま語るその口調は、易々とこちらの胸を抉ってくるものだった。

「今回の君の事故、もしくは自殺は、きっかけに過ぎないよ。だって、彼らはもうとっくに、それぞれの心に痛みを抱えていたんだから」

 私は、黙って男の横顔を見つめた。それはやっぱりぼやけていて、輪郭さえも曖昧だったのに、何故だかどれだけ眺めていても気持ち悪さは湧いてこなかった。

「彼女は君を傷つけてしまったと罪の意識を抱えていたし、彼は彼で君と彼女への想いの狭間で苦しんでいた」

「鉄二は、そんな適当な男じゃないよ」

 私の言葉は、まるで他人の意見じみて聞こえていた。

「だろうね、彼はいい男そうだし。彼女とも真剣に付き合っていたんだろう。でも、だからこそ悩みもしたんじゃないのかな。自分を振った女の事などさっさと斬り捨てて、ただ自分を好いてくれている彼女の事だけを気に掛けてやる事も出来ただろうし、そうでなくともその場しのぎに『今はお前だけを愛している』だとか何とか言ってやることも出来ただろうに」

 男の言っている事は、正しいのだろう。決して受け入れたくはない。でも、間違っているとも思えない。だけど、そうであるのならばこそ――

「全く、素晴らしい生き方だ」

「一体どうすれば良かったって言うのよ」

 間髪を容れず問いかけた私を、男は緩慢な仕草で振り返ってから、「と言うと?」

「私の行動が間違っていたって言うんなら、じゃあどうすれば良かったのよ」

「さぁね」

「さぁねって……。ふざけないでよ」

「私の役目は、此処で君を審査する事だからね。君に答を与える事では無いのだよ」

「そんなこと言って、本当はあんた達にだって正解なんか分かってないだけじゃないの」

「かも知れないね」

「何よ、それ」

 あまりと言えば無責任な返答に、怒りも通り越して呆れてしまった。

「さて、審査を続けようか」 男に悪びれている気配など欠片も無かった。

「それでは、これから君に質問をするから、出来る限り正直に答えてくれ賜え。どうしても嫌なら答えなくても構わないけれど、あまり賢明な判断とは言えないかな。カンニングの手助けをするみたいで少しばかり気が引けるのだけれど、敢えて先に言っておけば、君はかなりぎりぎりの所に立っている状態だから」

 やがて男は、そんな嬉しくもない忠告をしてきた後で、こう聞いてきた。

「君のあれは果たして、自殺だったのか、それとも事故だったのか、一体どっちなんだろうか」

 しばらく、問われている意味を理解出来なかった。いや、もっと正確に言えば、どうして今さらそんなことを問うてくるのか、目的が分からなかった。

「……え? それって、私に聞いてるの?」

「当たり前だろう。だって、真相は君にしか分からないのだからね」

「…………」

「それとも、君にも分からないのかな。それならそれで、こちらとしては構わないのだけれど」

 言外に、「ならば、君の審査はこれで終わりだ」と告げてきている男の声を聞き流しつつ、私は突如として速くなってきた心臓の鼓動を感じていた。

 私は一体、自殺と事故のどちらが原因で、この境目へやって来たのだろうか。

 結論は即座に出てくる、そう思われた。勿論、ただの事故よと。

 けれど実際は、もしかしたら、という不安をぬぐいきれず、すぐに答える事など出来なかった。唯一、自信を持てた事は、適当に嘘を吐いたり、不確かな気持ちを抱いたままで回答してしまうのは、致命的な行為に違いないはずだという事だった。

 本当に、自殺をしようと考えた事なんて、一度もないはずなのだ。確かに、何もかもが嫌になって、全てを否定してしまいたくなった事は、ある。その度に、そもそも自分は本当は鉄二の事など好きじゃなかったのだと真剣に思い込もうとしていたのも、事実だ。鉄二と気まずくなり、いつしか希美とも距離を置いて、気付けば一人で放課後の街を家に帰る気にもなれずにぶらぶらとしていた時、ふとした拍子に泣き出してしまいそうになった事は、一度や二度じゃない。朝に目が覚めて、学校に行く支度をしている途中でいきなり、このまま部屋に引きこもり、世界から隔絶されたらどんなに楽だろうかと、退廃的な誘惑に負けそうにもなった。時折、校舎を歩いている時に、視界の端の方に希美や鉄二が、いっそ二人が一緒にいる姿を見かけてしまって、体が勝手に後ろ向きに駆け出してしまった。挙げ句の果てには二人が付き合いだしたという噂を聞いて、良かったと思いたいのに苛立ちばかりをつのらせた。

 だけど、それでも、本気で死んでしまおうだなんて、冗談でも考えたりしなかった。そのはずだった。

 しかし、しかしだ。あの時の自分も絶対にそうだったと言い切って、本当に大丈夫なのだろうか。私自身でも気付いていないほどの嘘や誤魔化しは、微塵も含まれていないのだろうか。

 私は、何度も何度も躊躇しながら、必死にあの時の事を思い出そうとした。

 やがて脳裏に浮かんできたのは、泣きたいくらい切ない光景だった。

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