第6話

「君はなかなかしっかり者として生きてきたようだね」

 男が軽くステッキを振ると、あたかもホームシアターのスクリーンを宙に貼り付けたかのように、いきなり目の前の空間に無音の映像が流れ始めた。それはまさしく、私の過去を幼い頃から順に早回しで映し出しているものだった。

 猿みたいな顔で離乳食を口一杯に頬張っている、赤ん坊の私。幼稚園に進んで、真新しい制服と帽子を何度も何度も両親に見せつけている、ちょっとだけおませな私。地元の小学校の五年生になり、クラスの学級委員長に選ばれて、かすかに体を強ばらせながらも頑張って挨拶をしている私。次から次へと流れていく光景は、こんな状況にもかかわらず、不思議な懐かしさと奇妙なおかしさを感じさせてくれるものだった。

 だけど、続いて場面が切り替わった時、私は密かに息を呑んだ。六年生の夏休み明け、やはり学級委員を務める私のクラスに、転校生がやってきた。

 みんなよりも先に、職員室で担任の女性教師から「沙耶ちゃんは学級委員だから、この子をよろしくね」と紹介された時、希美は見るからに緊張した面持ちで上目遣いにこちらを見つめてきていた。

 あの日の事は、今でも覚えている。職員室から出た後、教師から任された責任感で、とにかく彼女を早くクラスに溶け込ませなければと考えていた私が、出来る限り愛想の良い笑顔で「よろしくね」と言うと、あろう事か希美は突如として申し訳なさそうな表情を浮かべたのだ。

「ごめんなさい。私なんかの為に、わざわざ」

 そう言って頭を下げてきた同い年の少女に対して、私は驚きと、僅かな焦りと、それら以上に新鮮さを抱いた。希美の行動が単なる嫌味で無いことは、その顔を見れば子供の頭でもちゃんと分かった。

「そんなことないよ。だって、これから同じクラスになるんだし」

 慌てて言い返しながら、きっとこの子は人見知りする子なんだろうなと思っていた。だとすれば、いよいよ自分が助けて上げなければいけないな、とも。

「ずいぶんと仲が良さそうだね」

 改めて笑いかけた幼い私に、ようやくかすかだが微笑み返してくれた希美の姿を眺めていると、男がそんなことを言ってきた。

「あの子は、私がいないと駄目な子だから」 私は、懐かしい希美の姿を見つめたままで、即答した。

 事実、希美は何かにつけ、周りの人間達よりもとろかった。だからその度に、私は彼女の手助けをした。ただ、それを面倒だとか、嫌だと思ったことは、確かに全くと言っていいほど無かったのだ。そして希美もまた、私以外の人間に頼ろうとはしなかった。

「なるほど。彼女にとって、君はとても大切な存在だったわけだ」

「私にとっても、希美は大事な友達よ」

 自分で言うのも照れ臭いが、いつしか私達はとても仲の良い姉妹みたいな関係になっていた。

 それなのに、次に男が吐き出した言葉は、そんな私達に対する皮肉じみていた。

「でも、本当に君は彼女の事を想っていたのかな」

「もしかして、それが嘘だって言うつもり?」

 すぐさま問い返した私に、男は何も答えてこなかった。

 私は思わず男へときつい視線を向けて、「ふざけないでよ。私は本当に、希美の事を」

「ほら、場面が変わるよ」

 だけどこちらが言い終えるのを待つどころか、気にした風もなく、男はステッキで映像を指してきた。

 私は釈然としない気持ちを抱きつつも、同時にどうせ争っても無駄なんだと悟り、渋々ながらも再び映像へと意識を戻した。

 それはいつの間にか、私達の中学時代へと変わっていた。

 鉄二が、いた。

「なかなかいい男じゃないか」

 傍らから届いてくる声に、私は複雑な心境で無言を貫いた。

 部活も終わった放課後の校庭では、女子ソフトボール部のキャプテンを務めていた私と、マネージャーをしてくれていた希美、それから野球部のピッチャーをしていた鉄二が、汚れた体操服やユニフォームを着替えもせずに、楽しげな様子で言葉を交わし合っていた。

 音声が無くとも、容易く分かる。鉄二が何かしら下らない冗談を言って、私がそれに「馬鹿じゃないの」とか何とか返し、希美がそんな私達を眺めて笑っている。中学三年生のあの頃、徐々に子供扱いされる事に嫌気が差し、大人を意識し始めた私達だったけれど、不思議と三人で過ごしている時は、子供とか大人とか、そんな余計な事なんて考えたりしなかった。馬鹿馬鹿しいやりとりが、ただ楽しい。本当に、それだけで十分だった。

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