第5話
「此処に来る者はね、君を含め、曖昧な人間だけなんだよ」
「……曖昧な人間?」
「例えば君は、自殺と事故、一体どちらが原因だったのか」
「それは」
私は答えなかった。と言うよりも、私にだって分からなかったのだ。無理矢理に見せられた映像はともかく、あの瞬間に関する具体的な記憶や感情は、トラックにぶつかった衝撃で体から遙か彼方へと飛んで行ってしまったみたいに、消えていた。
「まぁ、自殺だとはっきりしていたなら、そもそも此処には来られていなかっただろうし。そしてそれはまた逆も然りで、避けようの無い事故ですでに明確に即死していたならば、やはり同じ事だっただろうがね」
「…………」
「そう考えると、此処に来るのは『ぎりぎり幸運だった人間』だとも言えるだろうね。今にも死に直面している事実は不運だとしても、辛うじて審査を受けられる分、悲惨な事故の被害者よりはまだマシだ」
「どうして、自殺なら、駄目なのよ」
ふと胸に湧いた問いに対する男の返事は簡潔だった。「自ら命を手放す者に、改めて生き返る価値は無いだろう?」
「何でよ。その人だって、生きてさえいれば、もしかしたら将来に凄い発明をしたり、何か特別な仕事とかをして世界的に有名になるかも知れないじゃない」
「我々が言う所の『価値』とは、君達の世界にとってどれほど重要かという意味とは、全く違うんだよ」
男は呆れた様子で肩をすくめた。
「此処で審査する『価値』とはつまり、『世界の中での重要度』ではなく、『生命としての在り方』なのだよ。有名も無名も、優秀も無能も、人間の本質には関係ない」
「…………」
「此処では、強国の大統領も、平凡な女子高生も、歴史的な科学者も、生まれたばかりの赤ん坊も、皆同列なのだよ」
それは、少なからず意外な言葉だった。まさか、教科書に載っていそうな人物と、その名前を覚えるのに四苦八苦している自分が同じに扱われるだなんて、夢にも思っていなかった。
「安心したかな」
「別に、そんな事は」
「しかし、それはまだ少し早い」と、男は思わず否定しようとした私をあっさり無視して、こう続けた。「最初にこんな事を言うのは酷かも知れないが。君の場合、あまり状況はよろしくないからね」
口から飛び出そうとしていた言葉が引っ込み、気管に詰まってむせそうになった。
「そ、それって、どういう意味よ」
「審査は、減点方式で行われる。なぜなら、生まれてきた時点では誰しも皆、等しく価値ある命なのだからね。問題は、その後の生き方でどうなっていったかだ。そしてこの減点の基準だが、端的に言えば、『嘘』で決まる」
「……嘘? それって、どれだけ嘘を吐いてきたか、とか?」
「その通り。もっと正確に言えば、どんな嘘を吐いてきたか、だがね」
「そんなの」絶対に無理じゃないと、何とか途中で口を閉ざしたものの、心底から思った。今までに吐いた嘘の数や中身なんて、とてもじゃないが覚えていない。
「断っておくがね、嘘がすべからくいけないと言っているわけではないよ」
それでは一体、何が許される嘘で、何が許されない嘘なのだろうか。混乱しつつある私に、男はいかにも「お前の考えなどお見通しだ」とばかりに、ステッキを二回ほどくるくるとさせてから、「最も厳しく減点されるのは、『自分を騙す嘘』と『他者を傷つける嘘』だね」
「……自分を、騙す」
「おや、身に覚えがありそうだね」
「そんなこと」
「他者を害する嘘は言うまでもないけれど、ある意味で己に吐く嘘こそ何より厄介だと言えるね。どうしてだか、分かるかい」
「知らないわよ」
「自己否定だからだよ」
「…………」
「自殺と一緒さ。自らの意思で体を殺す代わりに、心を殺すのだから。自身を守る為に吐く嘘でなく、自分こそを騙してしまう嘘など、それはつまり己の生き方と価値を否定している事と同じだろう。そんな真似を平然と行う人間を、どうして後押ししなければならないんだい」
男は気楽な口調で辛辣な言葉を終えると、呆然とするこちらに向かって「さて、それでは審査を始めようか」と告げてきた。私は、誰も好きこのんで自分に嘘なんて吐かないのだと言いたかったが、実際は一声も返せなかった。
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