第1話
目が覚めると、そこは何だかとにかく白かった。
例えば空は、一面が雲で覆われているみたいに真っ白で、それなのに辺りは夏の晴れた昼下がりさながらに明るかった。材質のよく分からない地面にしたって、一からペンキで隅々まで塗ったと言うよりも、元の大地からあらゆる色素を残らず抜き取ったと言われた方がしっくり来そうな純白さで、そこはまた微少な影さえ見つからないほどに何処までも何処までも平坦だった。
そして私はその、あまりにも単一すぎて、最早、広いのか狭いのかさえ判然としない世界の中で、一人ぽつんと立っていた。自身の姿と、着ている半袖のセーラー服だけがいつもと変わらない色合いをしていて、なのに足は靴も靴下も穿いていなくて、色んな意味でとても違和感があった。
「……お~い」
おずおずと声を上げてみるが、案の定、誰からも返事は無かった。そこでもう一度、今度はどうせ誰もいないのだろうからと少しだけ大きめの声で「あの~」と言ってみた。
結果、やはり世界はひたすら静かなばかりで、我ながら改めて顧みれば滑稽な行動だったと、余計に気恥ずかしくなった。
さて、どうしようかと、私は頭を巡らせた。けれど、結論はその必要もなくすぐさま頭に浮かんできた。詰まる所、考えた所で何が分かるわけもなく、だとすればとりあえず歩いてみようと決めた。
見渡す限り無人の世界を、私はぺたぺたと裸足で進んだ。時折、「誰かいませんか~」とさして期待せずに言ったりしつつ、ひたすら直進出来ているのかどうかも定かでないまま歩き続けた。足の裏から伝わってくる地面の感触は、強いて言うならぴかぴかに磨かれた後の体育館の床みたいだった。
不思議と恐怖は感じていなかった。それよりも単純に、此処は何処なのだろうという、おそらく冷静に考えれば酷く間抜けな疑問ばかりが気になっていた。どれだけ歩いても一向に視界の変化は無かったものの、疲れもまるで感じなかったから、いつしか時間の感覚までも曖昧になっていた。
だけど、さらに歩き続け、いよいよ次の行動を選択し直した方が賢明なのではなかろうかと、今さらながらに思い始めていた、まさにその頃だった。
「おやおや、珍しい。久しぶりのお客さんだ」
突然、すぐ傍から声が聞こえて、私は思わず小さな悲鳴を上げた。
果たして、いつの間に現れていたのだろうか。私からほんの二メートルほどしか離れていない場所に、これまで見たこともないほどに奇妙な出で立ちの男――声や体型からしてそうだと思う――が立っていた。
「これは失礼、驚かせてしまったかな」
「あ、いや……」 慇懃な仕草で頭を垂れる男を前に、私は何と返して良いのか分からなかった。
本当に、奇妙な男だった。派手さはないが、見るからに仕立ての良さそうなスーツ姿で、艶やかな革靴を履き、背の高いシルクハットに加えて、白い手袋をはめた手にはいかにも高級そうなステッキまで持っている。だが、真に可笑しいのは、そんな紳士然とした格好では決してなく、何よりもその顔だった。
男には顔がなかった。ただ、西洋の怪談話に出てくる騎士みたいに、頭がないわけではなかった。現に、帽子まで被っているのだし。とは言え、日本の妖怪にもいる「のっぺらぼう」などとも、また少し違った。
どんな表現が最適なのか、私はようやく落ち着きつつある心臓の動きを確かめながら、密かに考えた。
そして思い付く。要するに、男は首から上の、丁度顔の部分にだけ、プライバシー保護の為のぼかしを入れられている様な状態なのだ。そう、それはさながら、ワイドショーなどの取材を受けて証言をしている「会社員のAさん」や「元空き巣のBさん」と言った感じだった。
私は正直、怖がるべきなのか呆れるべきなのか、すぐさま選ぶことが出来なかった。勿論、生物的な違和感というか、生理的な不快感は紛れもなくあったのだけれど、同時にそのある意味で人を食った姿が、何となく皮肉っぽく感じられてもいた。不意に、生徒が失敗した時など、こちらが分からないのを良いことに、やけに流暢な英語でぼそりと何言かを呟く、嫌味な英語教師の顔が浮かんできた。
私は僅かに考えてから、「あんた、一体、何?」と聞いた。「誰?」と尋ねるよりも合っている気がした。
だけど、男はむかつくことに、軽く肩をすくめて見せただけだった。まるで、理解の遅い生徒を相手にするのは面倒だとでも言わんばかりに。ぼんやりとしていて断定は出来ないけれど、きっとこいつは今、顔に薄ら笑いを浮かべていると直感した。
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