第2話 尾行
すでに日が傾きかけた午後、生徒たちはいっせいに昇降口を目指す。真っ先に駆け出していく体育会系、落ち着いた様子で後からゆっくりと追いかける文化系。それぞれが昇降口を後にして、部室棟やグラウンド、体育館のある方向へと向かっていく。
私達はそれを背にして、反対側の正門へと足を進める。
そう。私達はどの部活にも入っていない。帰宅部と揶揄されることもある。日暮れとともにエンジンのかかる彼らとは違い、私達の一日はもう終盤を迎えつつある。
しかし今日は課された重圧のせいで、いつものように心のスイッチを切ることができないでいた。
後者の中で下りの階段に差し掛かったとき、昇降口で他の男子とじゃれ合う水野を見つけ、とりあえずほっとした。待ち伏せするようなことにでもなったら、どうすればいいか分からなかった。
しがみつきあったり、勢いよく離れたり。互いにバッグを振り回し合っているその集団は、とにかく狭い昇降口の中で邪魔者だった。
「早く負けて楽になれよー。」
「お前!ぜってぇ試合見に来るな!」
やたらと大きな彼らの声は、体育館へ続く中庭にやかましく響いた。その残音を背に受けて、おどけた背中がゆっくりと正門へ向かう。
“あ。”
その背中から次第に余分な力が抜けていくのが分かり、心のスイッチを切るのはみんな同じなのだと思った。あれだけやかましい奴でも帰り道は一人で黙っているというのは、なんだか不思議な感じがした。
少し距離を置いて、学校の最寄り駅に向かって歩く。大きな通りには出ずに、静かな住宅街を真っすぐ抜けていくと線路にぶつかる。あとは線路沿いに進むだけ。ぴろぴろと、コオロギの鳴く声がよく聞こえる。このくらいの時間はもう、過ごしやすい季節になってきた。
“尾行”といっても帰り道を見ているだけ。ただの帰宅部男子の下校風景は、取り立てて何が起きるわけでもない。
“なんで私がこんなことを”
煌々と光る蛍光色の店舗が、私の脇を素通りしていく。
“コンビニにも寄れない。。。”
こじんまりとした喫茶店が恨めしそうに私を見ている。最近はそこで本を読んだりしてまったり過ごすのにはまり始めていたのだが、それもままならない。
“全部、水野のせいだ!”
あまりにも何も起こらなさ過ぎて、自分の中に湧き上がる感情にばかり気を取られていると、既に目の前は駅だった。憎しみの連鎖の中をさまよっていた私は、気付けば水野を見失ってしまっていた。
“やってしまった…!”
焦って走り出そうにも、どこへ向かったらいいのか分からない。とりあえず人込みをかき分け、ホームへと急いだ。せっかく涼しくなってきたのに、こんなことで汗ばむのが悔しい。
ちょうど次の電車が来ていたところだった。果たしてあいつはこの電車に乗るだろうか。開いたドアに一瞬躊躇していると、そんな私を急かすようにホームに音楽が流れる。きれいな星空へ向かっていく列車を連想するような、キラキラとした曲。この後はもう家に帰るだけなのに、どこかおかしいといつも思う。いつにも増してなんだか拍子抜けしてしまい、諦めたようにして電車に乗った。
あの駅で流れる音楽が、私は嫌いだ。確かに誰もがどこかへ向かうために電車を使う。それは間違いなくそうだが、向かう先が輝かしい場所である人ばかりではない。あの駅から学校に通う人もいれば、勤め先に向かう人もいて、私と同じように自宅へ帰る人もいるだろう。
そのそれぞれが皆、前向きにそこに向かっているわけではないはずだ。そうではない人達にとって、あの音楽は決して心地のいいものではない。小さいころから聞き飽きている正論を、大きな声で連呼されているような気分になってくる。
初めてあれを聞いたときに感じたことと同じことを、今日久しぶりに感じていた。昨日までそんなことはすっかり忘れてしまっていた。嫌いなものを嫌いだと思い続ける必要なんてない。臭いものには蓋をして、自分はそこから離れてしまえばいい。あの音楽が好きな人は好きに聞けばいいし、そうじゃなければイヤホンをつけてガンガンに音楽をかけてしまったっていい。なのに、どうして春香は水野を嫌い続けることにこだわるのだろう。
水野の顔が頭に浮かんだちょうどそのとき、隣の車両から怒鳴り声が聞こえてきた。声の先に、見覚えのある茶色い長髪が見える。声の主であるおじいさんは、頭の先まで真っ赤になって叫んでいる。声にならない声が、車両中に響き渡っていた。
明らかに正気を失っている様子のおじいさんの周りから、波が引くように人がゆっくりと離れている。茶髪のロン毛が一人、それに対面する形で残された。ポケットに両手を突っ込みながら、おじいさんを見下ろすようにしている水野の後ろ姿は、そのまましばらく動かなかった。
“またなんかやったな、あいつ。”
今日はいいネタができたのでこの辺りにしておこう。
次の朝にすかさず春香に話すと、眉間に皺を寄せながら喜んでいた。どうして写真を撮らなかったんだと怒られたが、次からはそうするよう伝えると、すぐに別の話に替わっていた。
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